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東京大空襲 ( 著者は、戦災資料センター館」の館長 )

2018-07-16 22:26:36 | 徒然の記

 早乙女勝元氏著『東京大空襲』( 昭和46年刊 岩波新書 )を、読了。

 昨日、書評を終えたばかりの池宮城氏も左翼系の人物でしたが、早乙女氏も左傾の作家です。大東亜戦争末期の、悲惨な出来事を描く、二人の人物の著作を、偶然手にしたことになりますが読後の印象も良く似ていました。

 池宮城氏は沖縄戦につき、早乙女氏は東京大空襲について、無残に死んでいく庶民の姿を克明に綴っています。悲惨な出来事は悲惨なままに、残酷な事実は残酷なままに、二人は申し合わせたように詳細に語ります。激しい非難をせずとも、むごたらしい情景を記述すれば、読む人間は「戦争反対」「平和が一番」という結論につながると、そういう信念に基づいているらしいと受け取りました。

 「私もまた、猛火の中を逃げ惑いかろうじて生き残った一人です。」「だから、人間の義務として、あの夜の惨状を復元し、戦禍の真相を活字にとどめておきたいと思う。」「できることなら、正確な史実として後世に残したいとも思う。」

 「誰しも、過去の傷に触れられるのはつらい。できることなら、二度と思い出したくないだろう。」「だから私はなおさらのこと、悲壮なほどの決意をもって、」「体験者の重い胸を切り開き、その心の底に沈み込んでいるものを、明らかにせずにおれないのだ。」「だとえどんなにつらくとも、戦禍の原体験を直視することこそが、平和への確かな足場を築くことに結びつくはずである。」

  池宮城氏の著作は昭和55年の出版で、早乙女氏の本はその9年前に出されています。いずれも岩波書店ですが、当時はこうした左傾の本が沢山印刷され、戦前の日本を糾弾していました。東京裁判史観が日本の知識層を席巻し戦前の日本を批判し、過去を否定さえすれば、進歩的知識人として持て囃された時です。

 本が出された頃、私は既に会社で働いていました。右肩上がりの経済成長でしたから、月月火水木金金という忙しさでした。新聞は見出しだけしか読みませんでしたが、朝日新聞の定期購読者でした。嘘のようですが朝日の平和主義と人道主義に、惹かされていましたから、当時両氏の著作を読んでいたら、共鳴していたと思います。

 今の私は、早乙女氏にも池宮城氏へ送った、同じ言葉を届けます。

 「世界情勢も語られず、諸外国とのせめぎ合いも語られず、」「ただ東京都民が犠牲になった日本が無謀だったと、自分の穴から首を出し、視界の範囲内で見えるものしか語っていませんね。」

 このような了見で世界を眺め、自分の国を悪しざまに語ることは、今の日本では「偏見」呼ばれます。昭和7年に東京都足立区に生まれた著者は、今年87才です。

 参考までに、氏に関する情報を紹介します。

 「氏は、日本の作家・児童文学作家で、東京の姿を描いた作品が多く、反戦・平和をライフテーマとする。」
 
 「昭和20年3月9日の、東京大空襲を経験。」「昭和20年に義務教育を終え、鐘紡附属東京理化学研究所に、少年工として勤務する。」「かたわら、旧制都立第七中学校(現・都立墨田高校)夜間部に入学。」

 「昭和45年に、東京空襲を記録する会を結成。」 

 「山田洋次監督を、初めて葛飾柴又に連れて行ったのは氏である。」

 「平成14年、江東区に作られた「東京大空襲・戦災資料センター館」の館長に就任。」 

 「毎年3月9日前後には、必ず朝日新聞の投書欄に東京大空襲を忘れてはならぬ旨、投書し採用されている。」

  どうでも良いような情報も混じりますが、氏の人となりを表すものとして、紹介してみました。この本は、池宮城氏の著作と同様、私の知らなかった貴重な事実を、沢山教えてくれました。感謝せずにおれない知識ですが、池宮城氏がそうだったように氏もまた、その貴重な情報に重きを置いていませんでした。

 書評に入る前に、序章に書かれた氏の熱い思いを紹介します。若かった日の私なら、感激して読んだと思います。かって私を感激させた朝日新聞の主張が、今ではそうなってしまったように、75才の私には、氏の意見が独りよがりな自己陶酔でしかありません。

 「ここには当時12才の少年の私を含め、警視庁カメラマンだった石川光陽氏を除いて、8人の下町庶民が登場する。」「私はこの8人の、名もなき庶民の生き証言を通じて、皆殺、無差別絨毯爆撃の夜に迫る。」

 「話す方も聞く方も、つらかった。」「だがそのつらさに、耐えてくれた人のために、そしてまたもの言わぬ八万人の死者のために、私は昭和20年3月10日を、ここに忠実に再現してみたい。私の人間としての、執念のすべてを込めて。」

 私はも息子たたちにしても、東京大空襲については、詳しく知らないはずです。米国による、世界最大の非戦闘員爆撃の真相を知れば、昭和20年3月10日という日が、日本人には忘れてならない日となると思います。しかしそれは、氏が期待するような意味でなく、日本人としての目覚め・・という意味です。

 明日から、本論に入り思います。

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2 コメント

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リベラルが言いたい事は「日本が無謀だった」 (成田あいる)
2018-07-17 23:28:54
「岩波」と早乙女勝元氏とで、実に「最高」「最強」のコラボです。
この早乙女氏は、「反戦」で腕を鳴らしていますし、「児童文学作家」からして故・灰谷健次郎氏に相通じるものがあると思います。
氏が館長を勤めている「東京大空襲・戦災資料センター」も、当初は無差別空襲の資料を集めた「平和祈念館」としてオープンする計画でしたが、何故か頓挫し「センター」に切り替わったようです。
更に早乙女氏は、3月10日前後に、「東京大空襲を忘れてはならぬ」と朝日に投稿する事を毎年の「ルーチン」にしているようです。
朝日と早乙女氏とで、これまた「最高」「最強」の組み合わせです。

テレビ、特にNHKが「終戦特番」を毎日のように組み、「ノーモア・戦争」と訴える季節が近づいてきました。
早乙女氏の訴えたい事は、「戦禍の原体験を直視することこそが、」「平和への確かな足場を、築くことに結びつくはずである。」とのくだりに良く表れていると思います。
また、各メディアや「リベラル」が常々訴えている事も、これらに良く表れていると思います。
要は、「日本が無謀だった」の一言がズバリ表現していると思います。

確かに「第二次大戦」の「戦禍」が悲惨だったことは認めますし、二度と起こしてはならないと思いますが、「悲惨だった」「二度と繰り返してはならない」と毎年毎回、言い続けて何になるのでしょうか。
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マスコミの知能指数 (onecat01)
2018-07-18 07:25:17
成田あいるさん。

 マスコミの特番「ノーモア・戦争」の季節が近づいていますね。73年一日のごとく、「戦争は嫌だ」「日本は間違っていた」と、同じ言葉が踊ります。

 夏祭りのお神輿みたいに、日本中のマスコミが浮かれ騒ぎます。

 「そんなことで、平和は来ない」と、国民の多くが考え、馬鹿騒ぎに眉を潜めているのに、変化も進歩もありません。マスコミの知能指数の成長は、止まったままです。

「悲惨だった」「二度と繰り返してはならない」と毎年毎回、言い続けて何になるのでしょうか。

 まったくその通りです。早乙女氏の毎年の投書と、朝日新聞の関係を、私は初めて知りましたが、子供の遊びみたいな話で、呆れてしまいました。

 NHKは、一度解体し、朝日は倒産すればいいのです。知能指数の低いマスコミが、国民不在の馬鹿騒ぎをする時代は、もう終わりましたね。自民党の議員も、国民の動きを察知し、国の舵取りを本気でしなくてどうするのでしょう。

 コメントをありがとうございます。

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