ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戦後日本の、いびつな反戦・平和

2013-11-27 15:03:58 | 徒然の記

 抽象論でなく、具体的な話で日本の今を考えてみたい。

 「学徒出陣」・・学徒たちは、侵略戦争の担い手だったのか、狂気の軍国主義の犠牲者だったのか。

 この問題は私たちの間で、現在どのように捉えられているのか。
 天皇制と国家主義の犠牲者だったとする、「聞けわだつみの声」に代表される意見が、戦後長い間主流を占めていた。学生だった頃の自分は、出陣した学徒たちに同情し、彼らを戦地へ向かわせた国や、政府に怒りを感じていた。

 11月12日付けの、毎日新聞の記事によると、出陣した学徒はおよそ十万人で、東京周辺だけでも77の学校から入隊したと言われているが、今もって、正確な人数と名前が掴めていないとのことだ。

 全国の大学で、記念碑や像を建てているのは、小樽商大、福島大、一橋大、早稲田大、東洋大など、約20校に過ぎない。慶応大学が、OB元学徒兵の要請に応じ、「帰らざる学友の碑」を建設したのは、平成10年のことだという。

 学業半ばで軍隊に徴用され、戦地へ赴き、ほとんどの学徒が生きて帰らなかった。学生を悼む気持ちは、保守左翼に関係なく共有のものと信じている。それなのになぜ全国の大学が、彼らを悼む碑を今日に至るまで作れなかったのか、人数や名前さえ正確に掴もうとしなかったのか。

  新聞の記事では、ある教授の言葉が紹介されている。

 「あの戦争に参加した者は、どんな形にせよ、悪い人だと言う考えが残っていた。碑を作るとなれば、あの戦争をどう評価するかという問題が関わってくる。様々な戦争観があって、まとめるのはとても難しい。」

 教授の言葉の中に、国の歴史に戦後の私たちがどのように向き合って来たか、という答えが集約されている。中国人記者が、日本の保守政治家が戦争の反省をしていないと糾弾したが、事実は「日本の保守政治家」の一部でなく、私たち日本人が、戦争への検証を怠って来たと言うことだ。正確に言えば、「故意に目をそらして来た」。

 私は彼と違うから、戦争の検証が即座に「反省」につながるとは考えていない。しかし、彼が指摘する通り「なあなあ主義」で、先送りをしてきたのは間違いない。

 大学が本気で戦争の検証をするとしたら、出陣を讃え学徒の士気を鼓舞した教授たちが、今はどうしているのか、というところから初めなくてならない。

 戦争賛美者から一転し、戦後に平和憲法賛美者へ変節した学者たちの名前を、若槻泰雄氏の著作から引用すると、驚きたくなる事実がある。沢山名前が列挙されているが、5人だけ紹介する。

 清水幾太郎、末川博、今中次麿、堀真琴、平野義太郎の各氏だ。

 著名な学者たちは、何も知らない国民には人道主義者、平和主義者として敬意を払われている。教育界や学界で占めている彼らの高い地位を考えると、「和をもって尊しとなす」日本人が、今更寝た子を起こすような、深刻でやっかいな検証をするだろうか。

 これまで何度も指摘して来たが、新聞も例外でない。あれだけ戦争遂行に協力し、国民を駆り立て、勇ましい記事を連日書いた新聞が、今はどうだろう。反戦・平和の旗手となり、戦前の行為には何の弁明もない。

 私たち国民も、そんな新聞を許容している。自分の過去に頬冠りしているマスコミが、学者たちの過去の検証に手を貸す訳がない。それどころか「敗戦の日」の記事は、国民の受けた悲惨な戦争の思い出のオンパレードだ。

 日本は侵略戦争を反省していないと、中国や韓国・北朝鮮と大合唱する前に、「敗戦の日」の新聞記事に、「被害者としての思い出」だけでなく、「戦意を称賛した人間たちの思い出」を掲載してはと提案したい。

 戦争の検証を曖昧にしている元凶は、日本のマスコミでもあり、それを批判しない私たち国民でもある。

 「保守政治家の一部」などという、見当違いの批判を述べてはなるまい。反日の学者先生やマスコミのように、私は自分を責任のらち外に置き、批判だけしているのではない。

 言いたいことはもっとあるが、本日はこれまでだ。どうせ、「みみずの戯言」でないか。

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