陸培春氏著『アジアから見たニッポン』( 平成4年 徳間文庫 )を、不愉快な、それでいて何か考えさせられるような、複雑な気持ちで読み終えた。
作者は昭和22年マレーシア生まれの中国人で、昭和48年から日本へ留学し、在学中にシンガポールの新聞社の特派員となり、日本での生活が通算20年になるという人物だ。日本と日本人が好きで、第三の母国だと言い、高度成長した日本はアジアの手本だと誉めている。ところが本の中程になり歴史にかかわりだすと、突然語り口が変貌する。
「日本の政治家たちは、どうしてアジアの国々から信頼を得られないのか。理由は簡単だ。一つは、大部分の日本人政治家が戦争の反省をしておらず、軍国主義思想と決別していないからだ。」
「二つ目は、彼らは他人への対応に誠意が欠け、二枚舌、失言、ウソといったことを平気でやる。日本の国民も日本の政治家を信頼していないのに、アジアの人びとがどうして信頼できるのか。」
「三つ目は、日本はアジアの友人たちを見下している。他人を重視しない者をどうして信用できよう。」そしてシンガポールのリー前首相も、次のように語っている。」
日本と日本人が好きで第二の母国だと言う割には、喋っていることが一致しません。日本国内にいる反日左翼の人々と、全く同じ意見です。
「日本人は何をするにも行くところまで行く。第二次世界大戦をドイツ人は反省したが、日本人は依然として済まないと思っていない。日本では戦時の行為がなお隠されており、日本人の良心はまだ浄化されていない。」
彼は、教科書問題、靖国神社公式参拝、藤尾発言、奥野発言、竹下発言、海外派兵問題と、自民党の政治家たちの言動を厳しく批判する。反省が足りない、良心が浄化されていないと、こうした捉えどころのない抽象論で攻撃する彼に、どうしろというのかと問いただしたくなる。
要するに彼の意見は、反日左翼の日本人たちの真似に過ぎず、日本の歴史、列強とアジアとの歴史考察もいい加減な内容だ。
すべては一部の政治家たちのことで、日本国民の大半はそうではないと彼は言うが、こうした日本人の区別は中国共産党がやった方法で、日本人全体を敵にしないという狙いもあったと聞く。
本を読んでいると、彼が接触しているのは朝日新聞の記者と、NHK職員と日教組の反日教師たちだ。自称日本愛国者の著作を最後まで読むことはしたが、読後の不快感がいつまでも残る。
彼をNHKの討論に参加させたり、セミナーの講師に招いたり、日本は自由な言論の国だからそれでいいとしても、マスコミや日教組にひと言苦言を呈したい。彼のような人間に向かう時は、一緒になって反日の合唱をするのでなく、無限地獄のような「反省要求」が何故いつまでも続くのかと尋ねるなど、日本の報道機関としての理性ある対応をしてもらいたいものだ。
著者に言わせれば、私も何の反省もない軍国主義者の一人になるのだろうが、うなづけない意見だ。朝日新聞やNHKは、こうした反日のアジア人に無定見に同調し、それ以上に、彼らの知らない偏見の歴史観や日本人論を吹き込んでいるのでないかと、そういう不信感が拭えない。
日教組の反日教師も仲間に加わっているとなると、氏は単なるシンガポールの新聞社の特派員でなく、反日左翼組織に飼い慣らされた、反日外国記者ということになる。
私が著者のすべてを否定しないのは、うなづかされる指摘もあるからだ。いわく日本人はアジア人を見下している。経済で近隣諸国を侵略している。経済的に豊かになっているが、日本人の心は貧しくなっている等々、反省しなくてはならないものがある。
しかし平和憲法を守って軍備を持つなとか、靖国に参拝するなとか、軍国主義に戻るなとか、彼になど言われる筋合いはどこにもない。自分の頭の蠅は追わず、他人の頭の上の蝿ばかり言うのは恥ずかしいことだと、私は彼に教えたい。
朝日新聞とNHK、日教組や左翼政治家たちは、彼をおだてて得意にならせ、問題をこじれさせている反日組織体だと、やはりこうした結論になる。