四月四日付の千葉日報で、「バターン死の行進」と題するルポ記事を読みました。大東亜戦争中、フィリピンで日本軍の捕虜となった米兵が、捕虜収容所までを歩いて移動したため、多くの者が死亡したという事件です。
今年で75年となる節目にあたり、共同通信社の石橋拓郎記者が、出発地のマリベレスから10キロを歩いてみたという体験記事でした。道路脇に立つ「バターン死の行進」の石碑を眺めながら、氏は現地のフィリピン人記者と二人で歩きます。
「石碑をふと眺めると、この辺りでも多くの兵士が、水も食料もなく、命を落としたのだと実感させられる。」「気温が30度を超え、日光が肌を突き刺し、汗が噴き出す。」「同行したフィリピン人記者も、口数が少なくなった。」「フィリピンの気候に慣れていても、過酷なようだ。」
「沿道に住むディアナさんに、話を聞いた。」「当時は幼く、はっきりした記憶はないが、大人たちの話から、」「日本兵はろくでもないと、感じた。」「その思いは、今も変わっていないという。」
「二時間強で、目的の10キロ地点に着いた。」「10キロでも、頭が朦朧とする。」「力尽きた兵士たちが、最後に見たのはどんな風景だったのだろうと、」「想像を巡らせるばかりだった。」
地図や石碑や沿道の写真を加え、記事は新聞の半ページのスペースを占めていました。この記事だけを読みますと、日本軍が、捕虜となった米国兵士に、ひどい仕打ちをしたのだと思わされます。当時の状況をまったく書かない氏の記事に、私は違和感を覚えました。いつものように、ネットで「バターン死の行進」を検索し、知り得た情報に、番号を振ってみました。
1. 全長は120kmで、その半分は鉄道とトラックで運ばれ、残り42kmを3日間徒歩で移動した。
3. 「バターン半島死の行進」での司令官・本間雅晴中将は、マニラ裁判で死刑になっている。でもこの行進はトラックがなかったからで、日本兵だって歩いていた。決して捕虜を殺すために歩かせたわけではない。
4. フィリピンの失陥は、米国史上における米軍最大の敗北であり、バターン死の行進は、 降伏した米兵・フィリピン兵に対する最も残虐な戦争犯罪であった。
5. ニューレンベルグ裁判の太平洋戦争版である極東軍事裁判は、日本軍によるこの行進は、ナチス支配下に行われた、囚人や捕虜への健康や生命を顧みない、強制的な移動と同様とみなされた。
当時の行進に参加していた、今井武夫大佐の話を引用してみます。
「然るにわれわれと前後しながら、同じ道路を北方へ、バターンで降伏した数万の米軍捕虜が、」「単に着のみ着のままの軽装で、飯盒と水筒の炊事必需品だけをブラ下げて、」「数名の日本軍兵士に引率され、えんえんと行軍していた。」
「士気が崩れ、節制を失っていた捕虜群は、疲れれば直ちに路傍に横たわり、」「争って樹陰と水を求めて飯盒炊事を始める等、その自堕落振りは目に余るものがあった。」
「しかし背嚢を背に、小銃を肩にして、二十瓩(キログラム)の完全武装に近いわれわれから見れば、」「彼等の軽装と自儘な行動を、心中密かに羨む気持ちすらないとは言えなかった。」「戦後、米軍から、「バターン死の行進」と聞かされ、私も横浜軍事裁判所に連日召喚されて、この時の行軍の実状を調査されたが、」
「初めはテッキリ他方面の行軍と間違えているものと考え、まさかこの行軍を指すものとは、夢想だにしなかった。」
日本軍の何倍もいた捕虜に、十分な食料を与えるだけの備蓄が無かったという事実も、忘れてはなりません。捕虜だけが歩いたというのではなく、重装備の日本兵が一緒に歩いていたのに、記事では一言も触れられていません。
情報を得た結果として、今の私が重要視しますのは、上の4番目の項目です。フィリピンの失陥が、米国史上における米軍最大の敗北であるとすれば、当然それはマッカーサー自身の汚点であり、屈辱であるはずでしょう。ありもしない南京虐殺を捏造した東京裁判ですから、バターンでの捕虜移動を、残虐そのものの「死の行進」として記録に残せば、マッカーサーには好都合な話となります。
たとえ偏見と言われても、私は日本人ですから、共同通信の石橋記者のように、「日本軍邪悪説」をそのまま語る気にはなれません。むしろ氏に対して、「もう少し事実を調べた上で、記事を書くべきでないのか。」と、苦言を呈したくなります。戦後70年が経過した今でも、こんなGHQへの提灯記事を書く記者がいるなど、私にはその方が驚きです。
共同通信社も、そろそろまともな通信社らしく、事実を調べた記事を配信しなくてどうするのでしょう。日本の会社として、恥ずかしいのではありませんか。
[ 追 記 ] 日本軍の軽率さを批判する意見もありましたので、追記いたします。伊藤正徳氏の「帝国陸軍の最後」という著書に、こう書かれています。
「ただ、こういうことは言い得る―俘虜を好遇する意思が十分にあったならば、モ少し苦痛のない後送法は実行できたであろう。」「一日の行進距離を縮めること。マリベレスとサンフェルナンドの中間に食糧の貯蔵所をつくり、多少なりとも補給を考慮すること。」
「幹部にトラック輸送を工夫すること等々、とにかく尽くせるだけは尽くしてみることであった。」「それを、本間軍は逆に放擲したという憾みがあった。」
それでも石橋記者や共同通信社に対する、私の苦言は変わりません。今井大佐の話も、伊藤正徳氏の叙述も調べ、どちらも記事にするという姿勢が求められるのではありませんか。
社会を力づくで変えられるのは、政治家です。その政治家を選ぶのは、国民です。国を愛し、国を大切にする政治家を、選挙で当選させることが、私にできることですから、実行しなくてはなりません。
コメントを感謝いたします。
日本を大いに貶めた朝日新聞記者本多勝一「中国の旅」により日本人の自尊心は傷つけられました。
「バターン死の行進」も米側によるプロパガンダ-で日本及び日本兵がどれだけ貶められて来たか、
それを紹介する記者の思想如何で左右される危険性は常に指摘しておかなければなりません。
私は、朝日、毎日、東京新聞はもとよりこの共同通信社に不信感を持つものですので、
配信を受ける我が県の県紙も長い月日購読しておりません、拒絶続行中です。
「バターン死の行進」は、これでもかと映画や書籍で日本悪者記として刷り込まれてきました、
真実を見る目を養うことは勿論ですが個人情報保護法で真実を隠す動きにも注意が必要です。
先日、池上彰氏が、元朝日の記者との対談で、ネットの情報には捏造や嘘が多く、誰もが騙されると、語っておりました。
彼らの主張によりますと、朝日やNHKのような大組織だからこそ、世界中の現場で取材ができ、報道内容の検証も確実にされるという、マスコミ礼賛でした。
池上氏も朝日新聞同様に、優しい語り口で、巧みな捏造を人々に伝えます。ネットの情報の捏造や嘘は、必ずあるものとして読んでいますから、彼らの方こそが危険人物だと、笑ってしまいました。
彼らのような、心根の卑しい人間の話に耳を傾ける人々に、あなたの言葉を、送りたくなりました。
「プロパガンダ-を見抜け」