ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ナショナリズム - 4 ( 祖国愛を生じさせた、黒船来航 )

2018-09-18 20:02:13 | 徒然の記

 「第1章 日本におけるネーションの追求」・・ここで氏は、日本とナショナリズムの関連について説明しています。

 「序章において述べたことがらは、本質的には、」「近代日本のナショナリズムの理念についても、当てはまるはずである。」

 大切な部分なので、そのまま氏の叙述を転記します。

 「日本の場合にも、あの人間にとって普遍的な郷土愛の伝統は、悠久に生き続けている。」「しかしナショナリズムは、懐かしい山河や帰属する集団への、本能に似た愛情でなく、」「より抽象的な実体、即ち新しい政治的共同体への忠誠と、愛着の感情である。」

 「いわばこの二つの感情、意識の間には、」「あたかも経済学上の離陸 (テイクオフ)に、似たもの、」「宗教的な啓示に似た、断絶が必要であったと言えるのかもしれない。」

 「日本人もまた、ある古い愛着の世界を離脱することによって、」「ナショナリズムという謎にみちた、新しい幻想にとらわれることになったのである。」

 氏は説明しますが、私の認識は違います。自分の中では、郷土愛と祖国愛は矛盾なく重なり、神の啓示に似た断絶の必要を感じません。おそらく私のブログを訪問される方々も、私と同じ認識ではないのでしょうか。

 氏がこのように説明し、他の方が納得されるのなら、それでも構わないと思いますが、氏と私の認識の差がどこから生じるのか、興味を覚えます。学者でない私は、直感でしか語れないのですが、もしかすると大正生まれの氏と、戦後教育で育った自分との違いではないかと、そういう気がしてきました。

 昭和18年12月生まれの私は小学校以来、マッカーサー統治下の日本で、最初から民主主義の教育でした。自由、平等、人権、博愛という観念が、当然のものとして教えられ、「自分という人間は、歴史に二人と存在しない、かけがえのない人格だ。」と、疑いもせず、信じてきました。

 自分の中には、郷土愛も祖国愛も無意識のうちに、一体としてあったと、そういう気がしてなりません。

 簡単に言いますと、氏のように戦前の教育を受けた人間と、私みたいに戦後教育で育った世代は、同じ日本人でありながら、すでに違った存在なのかもしれません。極論かもしれませんが、戦後育ちの日本人は、最初から権利意識に目覚めた、覚醒した個人だったのではないでしょうか。

 単なる直感ですから、自分の思いはここまでとし、氏の著書に戻ります。

 「普通、日本人の前に、ネーションという未知の思想が、浮かび上がってきたのは、」「19世紀の半ばごろ、いわゆる西欧の衝撃が、」「きっかけであったとされている。」

 「具体的には1853年、ペルリ艦隊の来航がそれである。」「そこで引き起こされた、軍事的、政治的ショックが、」「あたかも仙境にあるもののようにまどろんでいた、日本人の心に、」「初めて、日本国民、日本国家の意識を、呼びおこしたということである。」

  「この見解は、概括的に見る限り、」「ほとんど疑問の余地はないであろう。」「世界史的に言っても、19世紀後半における、先進資本主義国のアジア進出が、」「地域的な偏差を伴いながら、究極的には、」「各地域におけるナショナリズムの機因となったことは、一般的に認められた事実である。」

 黒船が、日本人に愛国心を生じさせたという証拠として、氏は、維新後20年に出た竹越与三郎の著書と、徳富蘇峰の意見を上げています。現代文でないため、読みづらいのですが、参考になります。

 「竹越与三郎」   ( 明治から戦前昭和にかけての歴史学者・思想史家、衆議院議員、枢密顧問官、貴族院勅選議員 )

 「いく百年間英雄の割拠、二百年間の封建制度は、日本を分割して、」「いく百の小国たらしめ、相猜疑し、相敵視せしめたれば、」「日本人の脳中、藩の思想は鉄石のごとくに硬けれども、」「日本国民としての思想は、微塵ほども存せず。」「概して言えば、愛国心なるものは、ほとんど芥子粒ともいうべく、」「形容すべからざる、微少のものにてありき。」

 「しかれども、米艦一朝浦賀に入るや、」「驚嘆恐懼のあまり、夷狄に対する敵愾の情のためには、」「列藩間の猜疑心、敵視の念は、かき消すがごとくに滅し、」「三百諸藩は兄弟なり、」「幾千万の人民は、一国民なりを発見し、」「日本国家なる思想、ここに油然として湧き出でたり。」

  これが竹越与三郎の、実感するところです。次は、徳富蘇峰の叙述です。

 「徳富蘇峰」   ( 明治から戦後昭和にかけての日本のジャーナリスト・思想家、歴史家、 評論家。『國民新聞』を主宰)

  「実もって今般の件、皇国開闢以来の汚辱、これにすぎす、」「いやしくも有志の士、切歯扼腕せざる者は、」「これあるまじく、存じ候。」

 「右は尊皇攘夷の有志中、最も純真と熱心をもって世に知られる、」「わが宮部鼎蔵氏が、米艦浦賀に闖入したるの報を聞き、」「ある人に寄せたる、書中の一節なり。」「これをもって、この事件は、いかなる感覚を、」「諸藩の有志家の脳裏に発揮したるかを、知るに足らん。」

 「見よ、かの皇国の二字を。」「この二文字こそ、もってわれらが脳裏に、日本国なる思想の、」「初めて浮かみ出たるを、証するものにあらざるや。」「すでに日本国なる思想の、わが藩の有志家に生ず、」「またなんぞ封建社会の顛倒を、これ怪しまんや。」「吾人はここに言う封建社会は、この時に顛倒したりと。」

 橋川氏の説明の通り、ペリーの浦賀入港を契機として、武士階級が初めて日本国を意識し、日本国民としての一体感に目覚めたのが分かります。

  1791年   米国商船ワシントン号来航

  1792年   ロシア使節来航

  1797年   イギリス船来航

 前回のブログで述べた、これらの外国船は、日本に通商を求めて来ましたが、全て幕府が拒絶し、追い払っています。しかしペリーは、軍隊を率いて来航し、開国しなければ武力を行使すると威嚇しました。威風堂々とした軍艦の巨大さと、傲慢とも言えるペリーの要求に幕府は屈しました。

 日本史では、ペリーと平穏な話し合いがあったように習いましたが、事実は武力による開国要求でした。だからこそ武士たちが、危機感を抱き、国を思い、一つになって戦おうとした事実が理解できます。単純な私は、愛国心の誕生をここに見て納得しますが、氏は違います。ルソーを高く評価する氏は、幕末の武士たちを簡単には肯定しません。

 「しかし、にもかかわらず、それが果たして、」「真のネーションの意識と呼びうるものであったかどうかは、」「吟味を必要とするはずである。」「黒船は確かに、日本の全支配層に対する、巨大なショックであった。」「皇国、神州などという、超藩的意識が生じたことは確かであり、」「全国規模での国防体制作りが、白熱した議論をまき起こしたことも、」「事実である。」

 「しかしこの、皇国、神州等々のシンボルが、」「単に超藩的な統合を、目指したというだけなら、」「それはただ封建支配の、全国的な再編成を目指す、」「新しい政策論に過ぎないのかも、しれない。」「それだけでは、まだ本来のネーションの登場する余地は、」「認められないはずである。」

 ではどうすれば、氏の言うネーションは日本に登場するのか。

 ブログのスペースが、無くなりましたので、今回は終わりといたします。中途半端な区切りですが、氏の主張は長く、しかも興味深い事実が語られますので、ここが丁度良い区切りです。

 息子たちも後に続き、真摯な学者の意見に耳を傾けて欲しいと、願います。

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さまざまな思い。 (あやか)
2018-09-19 11:56:47
私は、橋川文三先生は非常に啓発的で立派な政治学者だと思います。
ただし、「郷土愛」と「祖国愛」を対立的にとらえ、後者を近代の人為的な思想だという御見解には賛成できません。
日本においては、大昔から「郷土愛」と「祖国愛」は一体でした。と、言うよりも「郷土愛」の延長が「祖国愛」なんですね。
 これは、昔の『文部省唱歌』の郷土愛に満ちた香り高い名文をみてもわかるでしょう。
いにしえの大和の戦士ヤマトタケルの『大和は國のまほろば、、、』の御歌を拝読しても【郷土愛イコール愛国心】が、日本の国柄であったことが、わかりましょう。
 橋川文三さんが編集された書物に掲載されている『権藤成卿』は農本主義者であり、【社稷(しゃしょく)】という概念をよく使っています。これは、『農村共同体』という意味であり、それが国家の経綸であるべきだという思想です。
 大東亜戦争後に結成された自由民主党や右派社会党も、日本の「郷土の復興」を党是としておりました。
すくなくとも、昭和30年代~40年代初頭までは、そういう健全な思想が残っていたと思います。

ところが、ですね、、、、
平成時代になってから、そこのところが少しおかしくなって来たんですね、、、、、。。
政府が、『郵政民営化で地域の特定郵便局を圧迫したり』、さらには、あまつさえ、『カジノ推進政策』『外国人労働者の導入』『水道民営化』『種子法廃止』『サマータイム』など、日本人の郷土愛を損なうような政策をうちだしています。
 私は、『消去法の選択』では、自民党を擁護せざるを得ませんが、何か、『違和感』と『不快感』を感じます。

(議論は、脱線したかも知れません、、、、)

☆橋川文三さんの、物の見方については、まだ、私の読みは浅いかもしれません。
猫庭さまの、御考察に期待しております。
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さまざまな思い。 (onecat01)
2018-09-19 14:18:44
あやかさん。

 橋川氏の中には、固い信念ともいうべき、基本があります。自由と平等を信じ、人権を主張する、目覚めた個人を、ルソーに習い、氏は「ネーション」と呼んでいます。

 覚醒したネーションが参加する共同体が、「祖国」であり、この祖国への愛こそが「愛国心」であると、どうやらこの基本は、氏の中で揺るぎない信念となっているようです。

 ですから、幕末の封建社会で、武士階級がいかに皇国のために一つになろうと、氏はそれを「ネーション」とは、認めません。

 私や貴方のように、郷土愛の延長として祖国愛があるという思考には、決してなりません。話は飛躍いたしますが、これは、天皇に対する受け止め方の違いから、生まれるものだと思っております。

 古代から続く天皇に対し、私が抱いております敬意の念は、決して西洋式の「人間平等」とは、相容れません。理屈を超えて郷土愛や祖国愛がありますように、天皇への尊崇の念は、私たちの中にあります。

 尊い方は尊いままで良いのであり、人間平等や人権という思考とは、別次元のものです。天皇が日本だけにしか、おられないのですから、日本人の思想は、天皇の存在を度外視して成り立つはずがありません。

 ここに日本の特殊性があります。これにつきましては、また述べる機会があると思いますので、ここで止めます。

 「政府が、『郵政民営化で地域の特定郵便局を圧迫したり』、さらには、あまつさえ、『カジノ推進政策』『外国人労働者の導入』『水道民営化』『種子法廃止』『サマータイム』など、日本人の郷土愛を損なうような政策をうちだしています。
 私は、『消去法の選択』では、自民党を擁護せざるを得ませんが、何か、『違和感』と『不快感』を感じます。」

 このご意見につきましては、全く同感であります。しかし

「自由民主党や右派社会党も、日本の「郷土の復興」を党是としておりました。すくなくとも、昭和30年代~40年代初頭までは、そういう健全な思想が残っていた。」

 というご意見とは、違う思いをしております。日本人の多くが、祖国への愛を失ったのは、東京裁判以降ですから、この頃から、自民党も左翼政党も、健全な思想を失ったのではないかと、思っております。

 幕末にペリーが来て、日本人の愛国心を覚醒させましたが、敗戦後にマッカーサーが来て、日本人の愛国心を打ち砕きました。歴史の皮肉といえば、皮肉ではないでしょうか。いずれも米国であり、ペーリーとマッカーサーを並べ、こういう史観を語った者を、私以外に知りません。

 私はこれを「ねこ庭の史観」と、密かに呼んでおります。

 いずれにいたしましても、「さまざまな思い」です。ご意見をありがとうございます。
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