1. 近衛内閣 昭和12年6月から、14年1月まで
・外務大臣 広田 => 宇垣 => 有田 ・・反ナチス
・陸軍大臣 杉山 => 板垣 ・・親ナチス
2. 平沼内閣 昭和14年1月から、14年8月まで
・外務大臣 有田 ・・ 反ナチス
・陸軍大臣 板垣 ・・ 親ナチス
大畑氏が、内閣を明示せず説明していますため、前後関係が曖昧なので、当時の内閣を調べてみました。反ナチス、親ナチスの区分は、氏の文章を参考に私が付記しました。これを参考にして読みますと、相互の関係が分かります。
「宇垣は、陸軍武官が外交路線を通さずにやったことであるから、」「政府としては、一種の参考情報と解していると、強調した。」
「それから間もなく宇垣が辞職したが、三国同盟に積極的でなかったことなどから、」「陸軍が、辞職に追い込んだものと見られる。」
板垣陸相は一貫してドイツを支持し、海相の米内大臣は一貫して陸軍に反対しています。近衛内閣では、重要案件を五相会議にはかっていましたが、これは昭和時代前期、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議のことを言います。
「近衛首相は、このような会議の場合はもっぱら聞き役にまわり、」「率先して、会議をリードするようなことをせず、」「ある時は右の如く、あるときは左のごとくで、自分の意見を示さず、」「非常に曖昧な態度をとっていた。」
近衛首相の政治姿勢を示す、興味深い一文です。総理大臣が主催する会議ですから、何も意見を言わないのでは、何も決まらないということになります。35ページを読みますと、実感できます。
「米内海相は、板垣陸相との5時間半にわたる激論の中で、」「自分は職を堵しても、三国同盟を阻止する、」「と言い切っている。」
「三国同盟に対する紛糾が片づかないままに、政府は一方で、」「日中戦争の解決にも自信を失い、内外の山積する問題を抱えたまま、」「近衛首相は、ついに内閣を投げ出すことになる。」
こうして平沼騏一郎氏が、首相となります。氏は国粋主義的政治家であり、社会主義、共産主義やナチズムなど、外来の思想を危険視する人物でした。近衛首相と異なり、自分の意見を述べますから、陸軍とはうまく行きません。
「それにもかかわらず、〈小田原評定〉は、平沼内閣になってからも、」「同じ顔ぶれ、そして実質的には、」「ほぼ同じ内容で続けられた。」
その年の昭和14年の8月に、ノモンハンで日本軍がソ連と衝突して敗北し、相変わらず満蒙の地では、ソ連との緊張関係が続きます。三国同盟を結ぶということは、英米を敵に回すことになりますので、内閣は方針が定められません。陸軍と海軍の対立が明らかになると、同盟に賛同する右翼団体が騒ぎ出しました。
「米、英と戦争のできない海軍なら、やめてしまえ。」「海軍は人形か。」と、彼らは海軍省に押しかけ怒鳴ったと言います。
「政府内部の対立が混迷状態になると、国内の情勢も、次第に泥沼に落ち込むようになった。」「山本五十六長官、湯浅内大臣、平沼首相らの、暗殺計画も発覚した。」「陸軍の横車は、軍内部まで分裂させ、内乱を思わせるような状態であった。」
ここでもう一度、渡部昇一氏の言葉を思い出し、「東京裁判」の不合理性を確認します。
「しかるにキーナン以下の検察側は、」「28人の被告の、全面的共同謀議により、」「侵略戦争が計画され、準備され、」「実施されたという、法理論を打ち立てた。」
キーナン主席検察官とウエッブ裁判長が協力し、東條元首相以下の政治家と軍人が「全面的共同謀議」をし、大東亜戦争を遂行したと結論づけました。大畑氏の著書を読みますと、そのような事実はなく、まだ東條首相の名前も表れていません。大畑氏は、陸軍とナチスドイツが緊密な関係を持ち、大東亜戦争を遂行したと主張したい様子ですが、政府一体となった「全面的共同謀議」の事実はありません。
従って処刑された6人の方々は、米国による復讐裁判の犠牲となった「殉難者」となります。昭和23年12月23日に刑執行が執行されていますが、「判決理由」の曖昧さといい加減さを、今一度確認してください。
判 決 理 由
板垣征四郎 中国侵略・米国に対する平和の罪
木村兵太郎 英国に対する戦争開始の罪
土肥原賢二 中国侵略の罪
東條英機 真珠湾不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪
武藤章 一部捕虜虐待の罪
松井石根 捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)
広田弘毅 近衛内閣外相として、南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任
適用された法律は、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判と、極東国際軍事裁判 ( 東京裁判 ) のために制定した「事後法」です。国家でなく、個人の責任を追及し処罰することは、「法の不遡及の原則」に反しています。戦争当時になかった法律で、6人の方々は裁かれたということです。もう一つ付け加えますと、「南京事件」は捏造の事件でした。
こうなりますと、賀屋興宣氏の言葉の正しさが更に明確になります。私たちは、6人の方々の名誉回復を進めなくてなりません。
「ナチスとともに、17年間、超党派で、」「侵略計画を立てたと、言いたかったのだろうが、」「そんなことはない。」「軍部は、突っ走るといい、政治家は、困ると言い、」「北だ、南だと、国内はガタガタで、」「おかげで、ろくに計画もできないまま、」「戦争になってしまった。」「それを共同謀議など、お恥ずかしい話だ。」