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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

歴史的な選挙、目的の再確認 - 8 ( 占領下のドイツ )

2024-11-01 15:57:51 | 徒然の記

 連合国軍による日本の統治は7年間でしたが、ドイツの統治は4年間でした。

 日本の7年間は米国による単独統治だったが、ドイツの4年間は、アメリカ、フランス、イギリス、ソ連が国土を4分割した統治でした。

 自由主義国の米、英、仏と社会主義国ソ連に分かれ、2分割の統治と思っていましたが、そうでなく戦勝国がそれぞれドイツを分割統治していました。占領された期間が日本より短かったとしても、国を分断されたドイツの方が過酷な戦後だったのではないかと思います。

 日本の場合と同じように、4ヶ国の上部組織として「連合国管理理事会」がありましたが、日本での「極東委員会」が有名無実だったようにそれも形だけだったそうです。

  敗戦後のドイツが再び統一するまでの歴史は。次のようになっています。

  ・1945 ( 昭和20 )  ドイツ敗戦・・・米・英・仏・ソ連による分割統治

  ・1949  ( 昭和24 ) 年 ・・東西対立が深まり、米英仏とソ連との協調ができなくなり、 西ドイツと 東ドイツが分離して建国された

  ・1989  ( 平成元 )  ベルリンの壁崩壊

  ・1990  ( 平成2 )   ドイツ再統一

 ドイツは国を分断された後、44年後にベルリンの壁が崩壊して、やっと一つの国に戻れました。その間に、ナチスドイツの戦争犯罪を裁くニュールンベルク裁判がありました。

 東京裁判と比較できるように、並べて表示します。

     1945 ( 昭和20 ) 年11月20日 – 1946 ( 昭和21 ) 年10月1日  ニュールンベルク裁判

     1946  ( 昭和21 ) 年  4月29日 – 1948  ( 昭和23 ) 年11月12日  東京裁判

 「ねこ庭」はGHQによる統治を負の面から語っていますが、ドイツとの比較で検討すると違った風景が見えてきます。

 敗戦直後スターリンは、樺太だけでなく北海道の支配を狙い軍を整えていました。アメリカの強力な反対でスターリンの野心は実現しませんでしたが、アメリカの反対がなければ、日本も分断国家になっていた可能性があります。

 祖国の再統一に45年間を費やしたドイツと、79年が経過しても独立できず、左翼と保守の不毛な対立を続けている日本との比較を、息子たちのためでなく、自分自身のために検討したくなりました。

 占領下のドイツについて、ウィキペディアが次のように説明しています。

  ・アメリカ政府は戦時中、ドイツの軍備および工業を解体してドイツを農業国へと変えるという懲罰的な「モーゲンソー・プラン」を立案していた。

 やはりアメリカは日本対すると同様に、戦時中からドイツ「弱体化計画」を持っていたことが分かります。内容は違いますが、「モーゲンソー・プラン」は伊藤貫氏が説明していた「アメリカの対日政策」に該当します、

  ・同「プラン」はアメリカ政府内や連合国間で賛否両論をよんだが、占領後のアメリカ占領軍軍政の方針に影響を与えた。

  ・特に1945 ( 昭和20 ) 年5月10日にトルーマン大統領が署名した「JCS1067」(統合参謀本部命令1067号)は、アメリカ占領当局がドイツ国民に対する経済支援や再建支援を一切行わない、という内容の指令であった。

  ・またアメリカを含む連合国は占領当初、ドイツの工業生産の規模に上限をあてはめ、工業設備の解体に力を入れていた。

   1. どんなことがあっても、日本には再軍備をさせない

   2. たとえ中国、韓国、北朝鮮が核を持っても、日本にだけは核を持たせない。

      3.  日本を永遠に保護国、植民地にしておく

 連合国軍は日本には3つの方針で望みましたが、なぜかドイツにはそうしませんでした。つまり、次のようになっています。

   1.    ドイツ軍・・・1990 ( 平成2年 ) 年10月    ドイツ再統一と同時に再建  ( 分割統治時には、それぞれに軍隊が存在 )

   2.    NATOに加盟したドイツは、必然的に同盟国の保有する核兵器とその管理を共有する

   3.  米・英・仏・ソ連は、ドイツを保護国、植民地にしていない。

 日本とドイツへの対応の違いは、どこから生じているのか。誰も口にしませんが、歴史の現実を見れば答えが出ています。

  ・白人社会が持っている「有色人種」への差別意識 ( 優越意識  )

 強調しすぎると「人種差別問題」となり収集がつかなくなりますが、「恨みと憎しみ」の上に立たず客観的事実として捉えれば話は終わります。

 アジアの歴史は、白人国家による植民地収奪の歴史ですから、日本をアメリカが属国・植民地として扱っても、欧米諸国は何も言いません。

 彼らにはドイツを属国・植民地にする気はなく、ドイツを農業国に作り変えれば軍事大国になる心配が無くなると考え、「弱体化」政策に力を注ぎました。

 ドイツ国民に対する経済支援や再建支援を一切行わないという「指令」に、トルーマン大統領が署名した意味もこれで納得できます。

 しかし同じ白人国家ですから強いことを宣言しても、次のような事態が発生すると、考えを改めずにおれなくなります。ウィキぺディアの説明を紹介します。

  ・これらの政策により占領下のドイツに貧困が蔓延し、占領当局に対するデモが起こったほか、占領当局も、ドイツが工業生産を再開することがヨーロッパ再建の助けになることを、次第に認識するようになっていった。

 東洋の有色人国家なら貧困やデモを無視しますが、同胞意識のある欧米諸国はやはりドイツとの無用な騒動を忌避します。 

  ・1947年にJCS1067は撤廃され、アメリカ政府はヨーロッパおよびドイツ復興のための新たな政策を模索し始めた。

 スペースがなくなりましたので、続きは次回といたします。

コメント
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