今回は、山本武利名誉教授が公表したもう一人の著名人の検討作業です。平成30年2月に氏が発表した論文のタイトルに、名前がそのまま出ています。
『 GHQの検閲者 Kinoshita Junjiは、あの木下順二か。』
平成20年に米国NPO法人「インテリジェンス研究所」が公開した『CCD雇用の日本人名一覧』を元に、氏が書いた論文です。
今回は、山本武利名誉教授が公表したもう一人の著名人の検討作業です。平成30年2月に氏が発表した論文のタイトルに、名前がそのまま出ています。
『 GHQの検閲者 Kinoshita Junjiは、あの木下順二か。』
平成20年に米国NPO法人「インテリジェンス研究所」が公開した『CCD雇用の日本人名一覧』を元に、氏が書いた論文です。
末岡氏と山本名誉教授が、それぞれ一人ずつ公表した2人の著名な人物について検討したいと思います。
山本氏の紹介はそれだけで長い論文になっていますが、末岡氏は内容の重大さに比較すると、呆気ないほど短い文章です。
・また、CCDで検閲に従事した約5100人の日本人のリーダー格が、戦後の初代NHK会長に就任する社会統計学者、かつ社会主義者の高野岩三郎であった。
・言論と報道の自由の中心であるはずのNHKの会長が、占領軍による検閲という言論弾圧に加担していたのである。
高野氏の名前は学生時代から立派な学者と聞いていましたが、 どのような人物であるのかは知りませんでした。「ねこ庭」で取り上げたこともなく、NHKとの関係を考えたこともありませんでした。
とんでもない人物がNHKの会長になったと非難するような文章に驚き、ウィキペディアで略歴を調べ今度は本当に驚きました。
・反日左翼の「憲法問題研究会」の代表である大内氏は、大正・昭和初期において、一流のマルクス経済学者で、財政学が専門でした。ネットで調べた経歴がありますので紹介します。
・明治21年に兵庫県で生まれ、昭和55年に92才で逝去。
・大正2年に東京帝国大学経済学科を首席で卒業し、銀時計を受領。
・銀時計とは明治維新から第二次大戦まで、国立大学の成績優秀者に天皇臨席の卒業式で与えられた。
・至高の名誉とみなされ、授与された者は「 銀時計組 」 と呼ばれた。
・大蔵省の書記官を経て、大正8年に新設された東大経済学部に着任。
・在任中は労農派の論客として活躍し、大正9年森戸事件に連座し失職するが数年後に復職。
・東大退官後は、法政大学の総長としてますます社会主義活動に精を出し、今日まで続く反日左翼の法政大学の基礎を固めた。
・氏の悪名は知っていますが、著作を読むのは初めてでした。学究の徒で真摯な学者と信じていたのに、見事なまでに裏切られました。
著書名は『青年の山脈』( 昭和41年刊 徳間書店 ) で、書評のブログでした。本の内容は、幕末から明治維新にかけて活躍した勤皇の志士たちの話です。
・銀時計組だけあり、大切な事実から詰まらない話まで驚くほどの博識でした。しかし感心したのはそこまでで、後はもう読むに堪えない低俗さでした。
・何才の時に書いた本なのか知りませんが、幕末の争いを、全学連の活動と重ねているお粗末さに失望します。
・要するにこのボケ老人は、こともあろうに幕末の騒乱を、ソ連の革命騒ぎと同じレベルで見ているということです。
過激で汚い言葉を使っていますが、7年前は「恨まず、憎まず」という賀屋興宣氏の姿勢を学ぶ前でしたので、ご容赦ください。
・反日・左翼の全学連どもは国を否定し、国を憎み蔑み、社会主義ソ連を祖国と信じ、過激な暴力活動をしていました。
・こんな全学連の売国学生と、勤王の志士たちを同列にするなど、バカも休み休み言えと言いたくなります。氏の認識の低劣さに、怒りを通り越して苦笑します。
・文章は分かりやすく洒落が混じり、それこそ、バカにでも読める大衆小説のような語り口です。
東大総長になった氏を今ならこのように酷評しませんが、何しろ7年前の過去記事ですから、ご理解いただきたいと思います。
・根気よく最後まで読みましたが、「天下の悪書」というに相応しい愚劣さでした。上野の本牧亭では人気の講談師が、今でも昔の話を面白おかしく喋っています。
・氏は教授や学者でなく、講談師にでもなればよかったと思えてなりません。そうすればこれほど敗戦後の日本を汚さずに、笑いの毒気が上野あたりだけで済んだでしょうに。残念な話です。
・氏は戦後最悪の「獅子身中の虫」の親玉ですから、己の悪行を、何度でも世間にさらされる必要があります。
・東大や法政大学で、氏の教えをひたすら守っているバカな教授たちが、目を覚ましてくれたらと期待するのですが・・・きっと無理でしょう。愚痴はここまでとし、氏の過去を紹介します。
・GHQ占領時の「東京裁判」で、氏は連合国側に立ち証人として出席した。
・裁判は、日本の軍国主義教育の実態や教育者への弾圧、言論機関への抑圧、警察権力を駆使した圧制や脅迫などにより、侵略戦争がいかに準備されたかの立証に、主眼におかれていた。
・つまり氏は宮沢俊義氏同様、「 GHQに絡め取られた学者 」である。というより、 自ら積極的に協力した「売国の学者」でした。
・宮沢氏と違うのは、最初から最後までマルクス主義者で通し、変節しなかったところでしょうか。
・昭和30年にソ連・中国学術視察団の旅を経て、氏が語った言葉も紹介しておきたいと思います。
「私も社会主義を勉強すること実に40年であるが、社会主義がユートピアであるか、科学であるか、今まではっきり分からなかった。」
「しかしここへ来て、いろいろの見学をして、それが科学であることがしかと分かった。」
「ロシアの経済学は、二十世紀の後半において、進歩的な特色のある学問として、世界の経済学界で、相当高い地位を要求するようになるだろう。」
「こういう歴史の変革のうちに、経済学者としていよいよ光彩を加える名は、レーニンとスターリンでありましょう。」
「過去記事」は長いのでこの辺りで省略しますが、酷評した大内氏が高野岩三郎氏の弟子だったというのですから、「ねこ庭」の驚きが分かって貰えたのではないでしょうか。つまり高野氏は、「獅子身中の虫」の親玉である大内氏の、更に大親玉でした。
話を元に戻し、高野氏の経歴の続きをウィキペディアから紹介します。
・GHQによる厳しい検閲に協力したのが高野であり、このことが、高野の戦後初代NHK会長就任につながっている。
・NHKの会長に就任した高野は就任挨拶で、「権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる」とする放送のあり方を説き、民主的なNHKを目指した。
・だがこれは、GHQの占領政策が反共に転換したこと、任期半ばにして高野自身が死去したことで挫折してしまった。
・彼は日本統計学会初代会長、日本社会党の顧問でもあった。
しかしこの流れは末岡氏の指摘通り、現在も何も知らない国民を誘導する原点になっている気もします。
・言論と報道の自由の中心であるはずのNHKの会長が、占領軍による検閲という言論弾圧に加担していたのである。
検討作業をしていると、様々な事実を再発見します。次回は、山本氏が公表したもう一人の著名人の話です。