「日本学術会議」の資料で、同会議の源流が3つあると教えられました。
1. 東京学士会院 ( 明治12年設立 )
2. 学術研究会議 ( 大正 9年設立 )
3. 日本学術振興会 ( 昭和 7年設立 )
この中で一番古い「東京学士会院」について、ネットで調べた情報を紹介します。
・日本にかつて存在した、政府機関である。
・改組後は「帝国学士院」を経て、現在の「日本学士院」となっている。
・文部卿の西郷従道の発案に基づき、設置された。
・その設置目的は、「研究者による議論や評論を通じ、学術の発展を図ることと、されていた。」
欧米列強に追いつくため、「富国強兵」と「殖産興業」を掲げていた明治のご先祖たちは、学問の発展を重要視し「東京学士会院」を設立しました。初代会長であった福澤諭吉は、官民調和を基本方針にしていましたが、内部は常に政府と意見が対立し本来の目的から外れました。
「学士会院」が、文部省や明治政府に寄りかかりながら、不毛の対立を繰り返すのを嫌い、福沢は明治13年に脱会届を提出しました。その後有志と共に、民間の学者団体である「交詢社」を、結成しています。
「交詢社」の名称は、「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来しています。諮詢 ( しじゅん ) とは、「問い尋ねる」「意見を聞く」という意味です。
明治時代の「東京学士会院」が、現在の「日本学術会議」のように、反日・左翼の学者で占められていたとは、考えられません。政府も学者も、国を愛する方策を互いに主張し、激論していたのだろうと思います。
それでも会長だった福沢は、政府に支援を受けながら、実りのない議論を繰り返す学者たちに愛想を尽かし脱会します。自分の意見を通そうというのなら、政府の金に頼らず、自分たちで組織を作れば良いと福沢は実行しました。
「日本学術会議」で政府を批判し、攻撃している反日・左翼学者が見習うべき手本が、福沢諭吉の姿だと私は考えます。
1. 政府に金を出させ、支援されているのなら、反対ばかり主張するのはおかしいでないか。
2. 自分の主張が通したければ、有志を集め、別の民間組織を作れば良い。
3. 政府に頼っているから、干渉をされる。学者は、誰からも、余計な干渉は受けないものだ。
これは福沢諭吉の言葉ではありません。『学問のすすめ』や『文明論の概略』、『福翁自伝』など氏の著書を思い出し、氏であればこう言うだろうと私が推測したものです。
「学問の自由への大きな侵害だ」とか、「今後の学問に、大きな歪みをもたらす」などと、福沢氏は一言も言っていません。政府の作った組織の中にいるから、政府の干渉を受けるのであり、自由な学問や研究が続けたければ、外に出てやれば良いと、氏は公言実行しています。
現在新聞やテレビで、政府を批判攻撃している学者たちを、私が軽蔑する理由がここにあります。
政府が作った学術組織は、世界にいくらでもありますが、その組織が、政府攻撃をするばかりでなく、国そのものを否定するとしたら、一体どこの国が、そんなバカな組織を存続させるというのでしょう。これは、学者の高邁な理屈でなく、庶民の常識です。
ではなぜ、反日・左翼の学者たちは、福沢のように組織を脱会しないのでしょう。「日本学術会議」にある特権とは、何なのでしょう。
いよいよこの点を説明する時が来ました。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に言います。以下の説明は、これまでに得た資料とデータから推測した、私の独断です。自分では確信しておりますが、無視されても構いません。