前に「東北の思い出 1965」・「同 1967」を連載したがその続き。
当時は現在ほどの鉄道マニアではなかった。それでも記録の随所にマニアの萌芽が見られるのでその部分だけを取り出してみた。
仙北鉄道(乗車時には宮城バス)登米線 1965・1967: 最初に夜行で小牛田に着いて、朝の登米線に乗車したが、夜行明けで眠かったのか記録はあるが記憶がない。1967年にも乗車したはずだがやはり記憶がない。第一、今の私なら米谷まで乗るなら、ついでに終点の登米まで行ってくるのが当然。登米線は1968年に廃線(1964年から社名が宮城バス)となったので、この部分はもう乗るチャンスはない。米谷でスイッチバックとなって登米に向かう不思議な線形になっていたことはかすかに記憶している。
岩手開発鉄道 1965: 1992年に旅客運送を停止して現在は貨物のみになっている。貨物は日頃市付近の石灰石である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/7d/d04c395cb3a7cb3376101d689a050b4a.jpg)
岩手開発鉄道
当時も長い鉱石運搬列車が走っていた。混合列車もあったような気がする。なお、1967年にも長安寺などに行っているが往復ともバスを利用したと記録されている。
仙山線 1967: 国鉄電化の歴史の中で特別の存在で、テストのため日本で初の交流電化を行った線である(最初は全線ではない)。仙台と山形という県庁所在地を直接結ぶが、途中に長い仙山トンネルがあるので、電化が急がれた面もある。このトンネルは「面白山トンネル」として知られるが、トンネル入口の標記は「せんざんずいどう」となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/50/d6d024771c065c3ca608835f482cd57c.jpg)
仙山隧道入口
仙山線の交流試作機関車。現在利府に静態保存されているという。
国鉄乗り潰し: 2回の東北旅行の時には、全線乗り潰しは意識していなかった。初めての遠征であり、乗り潰した線も大船渡線と久慈線ぐらい(他に気仙沼線があるが、後に延長された)だった。東北地方は住んでいたところから離れていたので乗り潰しを志してからも乗車が遅れた。例えば1985年中ごろの数字で、県別(県境があるので正確な数字ではない)のリストを見ると、ワースト5県に、未乗車距離では岩手(1位:約300km)・秋田・山形・福島が並んでいる(もう1県は兵庫)。未乗車率でも岩手(3位)・秋田(4位)が40%ぐらいであった。これをクリアするために1986年に休みを使って東北に行き9線ほど乗った。その結果1986年には未乗車距離でも率でも東北の県はワースト10から姿を消した。その後も機会あるごとに努力したが、残った線があり、JRの最後の線は2008年乗車の大湊線になってしまった。
国鉄の乗車距離は、1965年の旅行が2029.9km、1967年が1022.8kmと記録されている。乗車距離の積算は1977年途中までで止めてしまった。その時の積算が13万km弱だったので、そのまま記録し続けていれば、現在月までの距離に近づいているだろう。
均一周遊券
現在の「フリーきっぷ」などに近いが、発駅が数多く設定されていた。この「東北周遊券」の場合、磐越西線・磐越東線・信越本線の新津―新潟間・只見線より北の本州内の国鉄(バスも)が乗り降り自由な範囲(急行列車まで。)。使った切符は名古屋出発で、東北との往復には5つのルートが設定されていた。
1 常磐線(水郡線を含む。)・東海道本線
2 東北本線・東海道本線
3 信越本線・上越線・高崎線・東海道本線
4 信越本線・篠ノ井線・中央本線
5 信越本線・北陸本線・東海道本線
1965年の旅行で帰途米原周りという行程をとったのは、上記の5のルートをとったため。現在の交通体系とは大分異なる。
周遊券は表紙のほか、二枚の券片があって、「A券片」「B券片」と記入されている。Aは東北に入って最初の下車駅で回収され、B券片を持って旅行する。写真は1967年に使ったB券片で、下車印が多く捺してある。左から陸前??(たぶん階上:気仙沼線)・尻内(八戸線)・三厩(津軽線)・塩釜(東北本線)・気仙沼(大船渡線)・青森(東北本線)・不明。最後のものは大府(東海道本線)かもしれない。この券を手元に残すために、名古屋市内に入る直前駅で途中下車し、別に切符を買って帰る事があったから。他に使用開始日とか、学割印、手荷物印(裏面)が捺してある。途中で2度鉄道小荷物を名古屋に送った。もちろん中身は化石。久慈と気仙沼で重量はそれぞれ20kgと18kg。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/82/6e8c0e13c10464afc28899a31fc420aa.jpg)
手荷物の送付票
その他に鉄道小荷物で米谷から(宮城バス:15kg)・陸前高田から(25kg)送っているので、結構な量を採集したことが分かる。現在のように便利な宅配便はなかったので、運送にも手間がかかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e2/c5b1e2992b20e03afb70d01fc9415330.jpg)
東北周遊券B券片
当時は現在ほどの鉄道マニアではなかった。それでも記録の随所にマニアの萌芽が見られるのでその部分だけを取り出してみた。
仙北鉄道(乗車時には宮城バス)登米線 1965・1967: 最初に夜行で小牛田に着いて、朝の登米線に乗車したが、夜行明けで眠かったのか記録はあるが記憶がない。1967年にも乗車したはずだがやはり記憶がない。第一、今の私なら米谷まで乗るなら、ついでに終点の登米まで行ってくるのが当然。登米線は1968年に廃線(1964年から社名が宮城バス)となったので、この部分はもう乗るチャンスはない。米谷でスイッチバックとなって登米に向かう不思議な線形になっていたことはかすかに記憶している。
岩手開発鉄道 1965: 1992年に旅客運送を停止して現在は貨物のみになっている。貨物は日頃市付近の石灰石である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/7d/d04c395cb3a7cb3376101d689a050b4a.jpg)
岩手開発鉄道
当時も長い鉱石運搬列車が走っていた。混合列車もあったような気がする。なお、1967年にも長安寺などに行っているが往復ともバスを利用したと記録されている。
仙山線 1967: 国鉄電化の歴史の中で特別の存在で、テストのため日本で初の交流電化を行った線である(最初は全線ではない)。仙台と山形という県庁所在地を直接結ぶが、途中に長い仙山トンネルがあるので、電化が急がれた面もある。このトンネルは「面白山トンネル」として知られるが、トンネル入口の標記は「せんざんずいどう」となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/50/d6d024771c065c3ca608835f482cd57c.jpg)
仙山隧道入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8b/7307f6964d89541769e55a7e635d7fba.jpg)
仙山線の交流試作機関車。現在利府に静態保存されているという。
国鉄乗り潰し: 2回の東北旅行の時には、全線乗り潰しは意識していなかった。初めての遠征であり、乗り潰した線も大船渡線と久慈線ぐらい(他に気仙沼線があるが、後に延長された)だった。東北地方は住んでいたところから離れていたので乗り潰しを志してからも乗車が遅れた。例えば1985年中ごろの数字で、県別(県境があるので正確な数字ではない)のリストを見ると、ワースト5県に、未乗車距離では岩手(1位:約300km)・秋田・山形・福島が並んでいる(もう1県は兵庫)。未乗車率でも岩手(3位)・秋田(4位)が40%ぐらいであった。これをクリアするために1986年に休みを使って東北に行き9線ほど乗った。その結果1986年には未乗車距離でも率でも東北の県はワースト10から姿を消した。その後も機会あるごとに努力したが、残った線があり、JRの最後の線は2008年乗車の大湊線になってしまった。
国鉄の乗車距離は、1965年の旅行が2029.9km、1967年が1022.8kmと記録されている。乗車距離の積算は1977年途中までで止めてしまった。その時の積算が13万km弱だったので、そのまま記録し続けていれば、現在月までの距離に近づいているだろう。
均一周遊券
現在の「フリーきっぷ」などに近いが、発駅が数多く設定されていた。この「東北周遊券」の場合、磐越西線・磐越東線・信越本線の新津―新潟間・只見線より北の本州内の国鉄(バスも)が乗り降り自由な範囲(急行列車まで。)。使った切符は名古屋出発で、東北との往復には5つのルートが設定されていた。
1 常磐線(水郡線を含む。)・東海道本線
2 東北本線・東海道本線
3 信越本線・上越線・高崎線・東海道本線
4 信越本線・篠ノ井線・中央本線
5 信越本線・北陸本線・東海道本線
1965年の旅行で帰途米原周りという行程をとったのは、上記の5のルートをとったため。現在の交通体系とは大分異なる。
周遊券は表紙のほか、二枚の券片があって、「A券片」「B券片」と記入されている。Aは東北に入って最初の下車駅で回収され、B券片を持って旅行する。写真は1967年に使ったB券片で、下車印が多く捺してある。左から陸前??(たぶん階上:気仙沼線)・尻内(八戸線)・三厩(津軽線)・塩釜(東北本線)・気仙沼(大船渡線)・青森(東北本線)・不明。最後のものは大府(東海道本線)かもしれない。この券を手元に残すために、名古屋市内に入る直前駅で途中下車し、別に切符を買って帰る事があったから。他に使用開始日とか、学割印、手荷物印(裏面)が捺してある。途中で2度鉄道小荷物を名古屋に送った。もちろん中身は化石。久慈と気仙沼で重量はそれぞれ20kgと18kg。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/82/6e8c0e13c10464afc28899a31fc420aa.jpg)
手荷物の送付票
その他に鉄道小荷物で米谷から(宮城バス:15kg)・陸前高田から(25kg)送っているので、結構な量を採集したことが分かる。現在のように便利な宅配便はなかったので、運送にも手間がかかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/e2/c5b1e2992b20e03afb70d01fc9415330.jpg)
東北周遊券B券片