OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

東北の思い出 1965年 その1

2011年04月03日 | 昔の旅行
東日本大震災により被災された方にお見舞い申し上げます。そして黙祷…….。時間はかかるかもしれませんが、一日も早く平常の生活にお戻りになれるようお祈りいたします。

私が大学に入学し、はじめて遠いところに化石採集に行ったのが東北地方だった。その思い出を記す。
それは1965年。夏休みが始まるとすぐに出かけた。名古屋から急行「よど」、上野から常磐線経由の夜行急行「おいらせ」を乗り継いで小牛田へ、さらに瀬峰から(廃止された)仙北鉄道で米谷まで行き、北上川を渡って東和へ。その南にあった石切り場(ペルム紀化石産地)で同行の2人と合流。それまでは初の一人の旅行でかなり緊張したのを覚えている。東和で宿泊したが、北上川の鉄橋では星の数の多さに驚いた。
翌日、本吉街道を通って志津川町へ。水界峠は濃霧で最徐行のバスに揺られた。志津川町は、今回の大震災で被害の大きい南三陸町の中心である。ここに二泊して周囲の化石を見学・採集する。当時気仙沼線は本吉までしか来ていなかった。バスで細浦に行く。細浦の東南にある小さな切り通しでモノチスを採集。


細浦の切り通し


モノチス化石

ここからさらに東南に行き、韮の浜でジュラ紀のトリゴニア砂岩層を見る。露頭は硬すぎて手が出ないが、転石を拾う。


海岸のトリゴニア砂岩層


砂岩層の転石。酢酸で少し溶かすと面白い模様が浮き出る。トリゴニアの断面である。


ヤイシ

翌日は、バスで荒砥浜に行き、徒歩で権現という小集落の海岸につく。ジュラ紀のアンモナイト(私のアンモナイト初採集)を少し見つけた。夏だというのに寒い雨で、近くの農家に呼び込まれ、こたつで暖をとらせていただく。天候をうらみながら志津川に帰る。
翌日は津谷までバス、気仙沼線に乗って陸前階上駅へ。名勝岩井崎の潮吹穴を見る。めずらしい石灰岩の海食台で、打ち寄せる波が岩に空いた空洞をぬけて最後に10メートル近くも吹き上がる。石灰岩には化石が多いが、国立公園内で、採集はできない。気仙沼泊。

この頃の化石採集は現在といろいろな違いがある。車で旅行しないで「均一周遊券」を使って回ることや、採集標本の輸送に国鉄の手荷物・小荷物を使うので駅まで運ばねばならない。また荷づくりもめんどうで段ボールはなかなか手に入らず、ガムテープやビニール紐のような便利なものもなく、時には荒縄も用いた。
自動販売機などはないので、飲み水はもちろん持参。その容器もペットボトルはないので、アルミ製の登山水筒やボリタンクの小さいのを持つ。コンビニはないので弁当の準備も必要。
最も異なるのは情報のないことで、現在のようなガイドブックがなく、口コミでの情報を集めるしかなかった。だから現地でも出会った人に化石産地や標本のあるところを尋ねたものだ。
(次回に続く)