温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

牧之原市議会決議「浜岡原発永久停止」

2011-10-02 21:59:06 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災による惨状、特に原発事故により余儀なく家を離れ、慣れない、あるいは将来の姿を思い浮かべられない方々の事情を報道などで知ると、予想される東海地震、今の私の生活の環境と重ね合わさざるを得ない。

このブログは、日ごろのざっくばらんなとりとめのないことを思いつくまま気軽に書き綴り、自分の気晴らしをさせていただいているもの。

少なくとも堅っ苦しい、社会問題や政治に対するコメントなどは、信条としてこのブログにしたためたくはないのだが、さすがに今の私の境遇に対し、もしかして、自分の人生に1度あるかないかの曲がり角、エポックメーキングともいえる今の状況を、語らざるを得ない気持ちである。

心のおもむくままに語るので、無責任な、根拠のない内容である。

したがって、ご意見、ご批判などを寄せられても、それに応えるだけの論拠を持たないので、無責任さをご了承いただきたい。

このコメントを含め、3回に分け今の偽ざる気持ちを語りたい・・・。

このほど、牧之原市市議会と牧之原市長は、浜岡原発の永久停止を意志表明した。

この永久停止は、「確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り」という前提がある。

原発建設の過去からの経緯、電力事情などを踏まえ、有無を言わず停止とするものではないようだ。

そして、この確実な安全・安心は、多くの国民が今現在切に思っていることであるが、福島の原発事故の原因究明、対策、国の原発政策がなんにも示されずにいる中、原発を抱える地元住民が、地元自治体が現場から声を発し、国民の気持ちを代弁したともいえる。

だから、近隣市町ばかりか、全国規模にまで、さまざまな波紋を投げかけ、今のところ、反響は大半が賛同する意見などが寄せられているとのこと。

中には、千葉市の市民の方からは、まったく牧之原市とは縁がないが、永久停止の決断に共感し、ふるさと寄付金を牧之原市へ送金されたようだ。

さて、私の静岡県は、50数年ほど前東海地震の発生度が高まっているということで、それ以降警戒レベルを上げ、さまざまな地震対策をし、今までに至っている。

 

しかし、さすがに数十年という間、いつ来るかわからない地震を相手に、緊張感を保ち続けることはなかなか困難で、最近では、本当に来るだろうか、来るとしてもまだ先の話だなと思ってもいた。

 

その危機感が薄れていた矢先、3.11の震災を目の当たりにする。
やはり大地震はある!
仮想が現実となり、3月以降の私の考え、行動にわずかばかりの変化が出てきた。
くしくも、親父がその1か月後の4月22日に亡くなり、いわば人生観を変える転機が一気に訪れた。

 

3.11以来、私はことあるごとに、今ここで地震が来たら、津波が来たらと、ふーっと思いが浮かんでくるようになった。

 

今の鉄骨の家では、何とか揺れには耐えられるかもしれない。しかし、十数メートルの津波では、海抜が2、3メートルしかないので、一発でやられる。
家財の大事なもの、親父の形見などが失われてしまう・・・。

 

私の性格は、決して悲観的な考えを持つものではなく、むしろ楽観的なほうだが、さすがにいろいろ考えてしまう。
いや、考えなければならないのかもしれない。
特に以前とは違った考え方となったのは、はたして私はこの地に生涯居続けることができるのか・・・、ということである。
このような考えを持ったことは今まで一度もなかった。

 

しかし、この考えは、単なる地震だけの災害では、ここまでの考えには至らないかもしれない。
地震に伴った津波の惨害、そして、放射能の汚染でいやおうなくその地を離れている福島の皆さんの現実を見るにつけ、今の私の衣食住の環境を、福島の原発周辺地域と重ね合わせてしまう。

 

いままでは、この土地に住み、家族に囲まれ、盆栽に囲まれ、バンドや審判仲間に囲まれ、ワイワイやりながら、生涯を終えるという人生設計をおぼろげながら思い浮かべていた。
親父から私の代になり、ことさら今後を考えることが多くなった今、しかし、今後のことが、私の中で全く見えなくなっている。

 

自分なりになぜ今後が見通せないのかと整理すると、
「単なる地震」では、土地、家屋の損壊は受けるにしても、その場を去らなければならない状況までには至らない。
その時は大変だが、一度地震が起こりエネルギーを発散すれば、その後はまた数十年先。

 

その時にはもちろん私はいないし、したがって、次回の地震までの子孫のための家を残して死ねば、先祖としての一応の責任は果たすことができる。
慣れ親しんだ、温暖で風光明媚なこの土地から、そうたやすく去ることはできない。

 

次に想定する「津波」だが、これもこの地を離れるまでには至らない。
土地そのものは残っている。
地盤沈下で土地が水没するのならともかく、津波にさらわれても後の残骸処理などを行えば、またこの地に戻ることができる。
まあその前に津波にのまれ、死んでしまえば、そんな心配もいらないが・・・。

 

ところが、「原発に万一の事故」が起こった場合、余儀なくこの地から出ていかなければならない。
しかも、牧之原市内の数キロ先ではなく、数十キロ先への強制移転である。
しかも原発の被害が収束したとしても、汚染された土壌の地にはたして戻ってこられるのか。
いや、戻ってこられるとしても、長い期間待たされ、また戻った後長年の生活で、放射能による人体への影響がまったくゼロであるという保証があるわけではない。

 

つづく・・・。

コメント
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