写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

葉ざくら見物

2018年04月18日 | 季節・自然・植物

 例年よりも1週間ばかり早く咲いた錦帯橋の桜も終わり、もう4月も下旬に近づいた。あれほど多くの人が詰めかけた花見の季節が終わった今日、上河原にスーパーの弁当を買って奥さんと葉ざくら見物に出かけてみた。

 錦城橋を走りながら「芝生の上で弁当を食べている人はいる?」と聞くと「誰一人いないわよ」と奥さんが答える。降りてみても、案の定、弁当を広げているような人は誰もいない。先日同好会の仲間と花見をした場所にゴザを広げ、暖かい日差しの下で弁当をつつく。

 時折、若いカップルや、愛犬と散歩するおじさん、幼子の手を引いた若いママが、チラチラッとわれら2人を見ながら通り過ぎていく。その内、遠くに、もう一組の老夫婦が川土手に座り、錦帯橋を眺めながら同じように弁当を食べ始めた。

 座っている回りの桜の木の花びらは全て落ち、若葉が芽吹き新緑の葉の色が混ざり、雌しべや雄しべや、がくが落ちた芝生の上は、遠目にはうっすらと赤みがかって見えるほどである。食べ終わり、お茶を飲んでいるとき、1時になった。

 土手際で気持ちよさそうに昼寝をしていた男が数人立ち上がり、軽トラックに置いていたヘルメットをかぶり、手に熊手をもって芝生の上を掻き始める。桜の後始末のようである。今月の29日には錦帯橋祭りという岩国の一大行事を控えている。

 桜は散り、一歩一歩春は通り過ぎ、気温はすでに初夏を思わせるほどである。6月になれば鵜飼いも始まる。巡る季節の中で……なんて書くと、松山千春を思い出すが、確実に季節は巡っている中、今年も3月初めのつぼ見に始まり、葉ざくらまで、短い花の命をしかと見届けた。
 『葉ざくらや人に知られぬ昼あそび』(永井荷風)


三角形の2辺の和

2018年04月17日 | 生活・ニュース

 我が家の周囲を巡っている下水管の所々には合計10個もの枡が設けてある。5、6年前に枡の点検をしたことはあるが、それ以来開けてみるようなことはないまま今日に至っていた。

 借家の下水管が詰まっていたこともあり、特に問題が起きているわけではないが、念のため枡を、この際点検をしてみることにした。家の設計図と見比べながらひとつずつ蓋を開けて溜まっている汚泥をすくい上げていく。

 いつの間にか周辺の土が盛り上がって、蓋が見えなくなっているものもあったが、何とか掘り出してすべての点検を終えた。土砂が流れ込んでいるものや、枡の隙間から木の細い根が入り込み、管の中で成長しているものも見つかり、点検した甲斐があった。

 仕事の最後に、枡の周辺の地中を走っている植木の太い根っこを切り除くために、枝切りノコで切断していると、急に一筋の水が噴き出し始めた。「ややっ、しまった。水道の塩ビパイプを切ってしまったぞ」と、すぐに気がつき、元栓を閉めに走った。

 私が、洗車用にガレージまで細い水道管を地中浅く引いていたものに気がつかず、傷つけてしまった。仕事の最後の最後でこの始末である。補修するパイプや中間継ぎ手は納屋にある。さてどうして直せばいいかを考えた。地中に浅いところで、しかも外径が13mmと細い塩ビパイプである。

 傷つけたところを5cmばかり切り取り、塩ビパイプを持ち上げて両端に接着剤を塗って中間継ぎ手に差し込み、元の一直線の状態に戻せば補修は完了である。この手法は太いパイプでは持ち上げることができないので適用できないが、細いからできるやり方である。中学生の時に習った「三角形の2辺の和は、他の1辺より長い」という定理が、この年になってやっと実生活で役に立った。


土砂廃棄

2018年04月14日 | 生活・ニュース

 借家の家の中の整備は終わり、今は屋外の整地をやっている。花壇が作ってあったところや、家の境界に植えていたカイヅカを引き抜いた跡などから、不用な土砂が結構出てきた。

 土砂を廃棄するには、市のリサイクルプラザという所に持って行くことになっている。白い土嚢袋を買ってきて、1袋に20㎏位を詰め込んだものを3~4袋ずつ車に積んで持って行った。

 今日、最後の4袋を持ち込んだ。家でハッチバックの車のトランクに1袋ずつ乗せるが、腰の高さまで持ち上げて乗せるのは大変な重労働であった。

 リサイクルプラザに着くと、まず受付で持ち込み者の住所・氏名と品名を書いた後、車ごと秤に乗って総重量を測る。その後、廃棄場所に行くと、いつもは3人の係員が待っていてくれ、トランクの中の土嚢を「おう、これは重いのう」と言いながら、降ろしてくれる。

 ところが今日は、係員は1人しかいなかった。トランクを開けると、体格のいいその係員は、土嚢を両手に1袋ずつ、いとも軽そうにひょいと持ち上げて運ぶではないか。たった1袋でも、私はよたよたしながら乗せたものをである。「すごい力持ちですね」と感心して言うと「こんなことしかできませんよ」と笑いながら答える。体格はいい男であったが、それにしても力持ちにはびっくりした。

 土砂を下した後、再び車の総重量を測り、持ち込んだ時との差が廃棄した土砂の重量となる寸法である。出口の受付で、土砂10kg当たり150円を支払う。今まで持ち込んだ量は20袋で、合計で400㎏余りもあった。これで借家の内外の整備作業はすべて完了。

 あとは「待ちぼうけ」さながら、借り手が来てくれるのを日がな一日待つのが仕事となった。 
 
 


世界は二人のために

2018年04月11日 | 生活・ニュース

 平日の午後1時からは、NHKのFMラジオ放送で「歌謡スクランブル」という番組で歌を聞いている。この1週間は「あの頃・青春物語」と題して1960年代に流行った歌謡曲を流している。思わず目をつむったまま、小さな声で一緒に歌っている。

 今日(11日)聞いているとき、佐良直美が1967年に発売した「世界は二人のために」という歌を聞いた。「空 道 海 丘」「愛 花 恋 夢」これら全てが「二人のため 世界はあるの」と歌っている。

 この歌を聞きながら、「そういえば、『二人のため 世界はあるの』と勘違いも甚だしい人が政界に一人いることを思い出した。言わずと知れた安倍首相である。

 この1年間、くすぶり続けていた「モリカケ」問題が、徐々に炎を出して燃え始めたように感じている。次から次へと証拠となるような書類が出てき始め、安倍首相も、もはや「知らぬ存ぜぬ」では済まされないようになってきている。

 百歩譲って、安倍首相が言うように、自らは何も具体的な指示はしていないとしても、これほどまでに周辺が忖度をするような体制にしていたことの責任は感じてほしい。なんといっても、国家公務員の人事は、最終的には、すべて内閣の権限と責任の元で行われる制度にしたことがであろう。

 トップを目指す官僚であれば、誰だって人事権者の顔色をうかがうのは人の常である。その弱みに付け入って、権力者が自分の思うことを強引にやり通そうとしたことが「モリカケ」問題であることは、誰が見ても明らかであろう。

 安倍首相はまさに「晋三と昭恵の 二人のために世界はある」と勘違いをしてはいないだろうか。与党の中からも辛らつな意見が出始めている。かくなる上は、一刻も早く出処進退を明らかにしてほしい。今こそ安倍首相が良く口にする「信なくば 立たず」の時である。 
 


高 枕

2018年04月10日 | 生活・ニュース

 昨日(9日)の深夜、2階に寝ているとき、ガタガタガタと大きな音を出して家が揺れたことで眼が覚めた。思わず半身を起こし時計を見ると1時半、どうしたものかと考えているうちに揺れは収まり、一安心してまた横になった。 

 ところが、 その後も時々ベッドを通じて小さな揺れを感じる。30分も経った頃、再び大きな揺れが来たので、起きてテレビをかけてみると地震速報をやっている。島根県西部を震源とするマグニチュード6.1の規模のものであることを知った。 

 震源が少し離れたところだったので安心はしたが、その夜は一晩中「枕を高くして寝る」ことができないまま夜が明けた。

 「枕を高くして寝る」とは、気にかかることがなく、安心してゆっくりと眠ることをいうが、私は、枕は低い方が安眠できる。高いと首が曲がりすぎて逆に眠りにくい方である。では何故「枕を高くして寝る」と安眠できるというのだろうか。

 「枕を高くして寝る」とは、中国の戦国時代、遊説家の張儀が魏王を説得するために言った言葉である。「楚と韓の両国から攻撃される心配が無ければ、大王は枕を高くして眠ることができ、国には憂患が無くなるでしょう」とあるのに基づく。

 戦国時代は、不意の敵の襲来に備えて地面に耳をつけたり、遠くの音が聞こえるように箙(えびら)という矢具を枕として寝たりしていた。戦いが終わると、敵の襲来もなく安心して枕を高くして寝ることができることからだという。 

 翌日には大きな余震もなく、地震は収まっているようであるが、久しぶりに震度3の揺れを、まさに草木も人も眠むる丑三つ時近くに体験したが、今は低い枕で安眠出来ている。