写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

朝  食

2005年08月26日 | 食事・食べ物・飲み物
 サラリーマン現役の頃、横浜から海浜幕張まで100kmの遠距離通勤を2年足らずやったことがある。

 朝食抜きで6時半に家を出る。7時丁度発の満員の横須賀線に乗り東京駅で降りる。駅構内で、休憩をかねた朝食をいつも決まったコーヒーショップでとった。

 地下の通路の人を眺めながら、コーヒーを片手にサンドウィッチを急いで食べる。周りにも同じようなサラリーマンが、黙々と食べていた。

 時には、立ち食いそば屋に入った。入り口の食券販売機に350円そこらを入れる。たぬき・きつね・玉子・天そば、何であれ直ぐに出てきた。

 約10分間の朝食ブレイクで体力を回復させ、700m先にある地下40mの京葉線のプラットホームから、幕張の会社に向かった。

 ところが最近は「朝専用食品」というものが、自宅で朝食をとらない「ビジネスマン」向けに、都会のコンビニで売れていると新聞に出ていた。

 サンドイッチに果汁100%飲料、おにぎりにお茶とチョコレート、ヘルスケアーのビスケットにゼリー飲料など栄養バランスを考えたものらしい。

 これを買って会社にもってゆき、職場の机で朝食をとる者が、ビジネスマンの33%もいるという。
 
 コーヒーショップも立ち食いそば屋も、遠距離通勤をする私にとっては、「砂漠のような東京」の通勤途上のオアシスであった。

 会社で朝食をとるという最近のビジネスマンは、このオアシスで、ささやかな時間を過ごすことが出来ないほど忙しくなったのだろうか。

 ところで、ビジネスマンとサラリーマン、どう違うんだろう?ビジネスが目的の高給取りがビジネスマンで、サラリーが目的の安月給取りがサラリーマンか。

 「生涯、いちサラリーマン」で通した私の、素朴でひがんだ疑問である。
   (写真は、今朝の私の「朝食」)

ナイター観戦

2005年08月25日 | 生活・ニュース
 一年ぶりに阪神・広島戦を見に広島球場に行った。デパ地下で弁当・缶ビール・つまみ・お茶を買い込み、試合開始1時間半前に入場した。

 私は、両チームのファンなので、どちらが勝っても良いという、気楽な観戦であった。昨年は、レフト側の外野指定席であったが、阪神の攻撃の時には観客が総立ちして応援するため、座っていては全然試合を見ることが出来なかった。

 その反省を踏まえ、今年は、3塁側の内野自由席に座った。食事を済ませほろ酔い気分でいると、いよいよ試合開始である。

 目下首位の阪神対最下位の広島戦にもかかわらず、観客の入りは8割くらいであった。阪神が打ちまくり、7対1で勝った試合であっただけに、阪神側の応援は始終気勢があがりっぱなしであった。

 私の前方の通路には、法被を着た3人の中年の男が、レフトスタンド中段に陣取った応援団のリーダーの方を向きっぱなしで、笛・太鼓・手拍子で、スタンドの観客の応援をリードする。

 彼らは頭の向きからして、肝心の試合は全く見ていない。試合開始から終了するまでひたすらリーダーのほうだけを見ている。

 試合を全く見ないで3時間半、汗びっしょりで応援ばかりの彼らの目的は、観戦を楽しむのではなく、身体を動かし汗を流すことが目的だろうか。

 結構年配の男がこれほどまでに没頭できる応援というものは、結構奥が深いものなのかも知れない。

 そういえば観客も、お気に入りの選手のユニホームを着て、メガホンを打ち鳴らし、応援歌を歌い、大声を出して観戦している。

 今や野球観戦は、単に試合を観るだけでなく、観客が一体となって自分が主役のお祭りをやっているのではないかと思えた。

 それにしても、長時間、一時たりとも休みのない笛・太鼓・大合唱の阪神ファンは翌日、ちゃんと仕事は出来ているんだろうか。少しフアンになった。
  (写真は、試合に背を向けた「阪神応援団」)

処 暑

2005年08月24日 | 季節・自然・植物
 お盆も終わった。東京から帰省していた孫一家も賑わして帰っていった。いつもは静かな我が家も、久しぶりに大きな笑い声が響いた。

 静けさの戻った宵、窓の外には満天の星とはいかないが、南の空高く丸い月が見える。もう、8月も下旬になった。

 数年前より夏の間は、浴槽に湯は張らず、シャワーで済ませている。先日、シャワーのコックを回してお湯を浴びた。

「あれ、おかしいな」と思った。その前日までの湯温調節のダイアル位置では、少しぬるく感じた。高温側に気持ち回した。

 今夕、久しぶりに工房で作業をした汗を、シャワーで流そうとして、コックを回した。先日と同じようにやはり湯温が低く感じた。

 夏の高校野球をテレビで観戦していて、日中はあまり外に出なかったが、相変わらず夏の暑さは続いているように思っていた。

 しかし、季節は確実に秋に向かっていることを、風呂の湯温調節ダイアルの位置の変化で感じとった。

 そういえば、朝早くから聞こえていた蝉の大合唱も、このところ大分小さく聞こえるようになっている。

 振り返ると、昨日は処暑。半パン・Tシャツを片付け、秋の装いを準備する頃となった。「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども・・・」
 
 熱い夏はたまらんと思いつつも、過ぎ行く季節を名残惜しく感じるのは、何故だろう。子供の頃、夏休みが終わりに近づいた頃の感情にも似ている。

 しょうしょう遅れた、処暑物語となった。
   (写真は、秋を感じさせた「混合水栓」)

男の遠吠え

2005年08月15日 | 生活・ニュース
「ワンワン、ワン、ワンワン・・・」3年前の夏、朝4時過ぎ、少し離れた隣家のゴールデンレトリバーが大きな声で吠えた。

 翌日も、翌々日も、それ以来毎朝決まった時間に吠えるようになった。我が家の寝室の窓は締め切っているので、声は殆ど気にならない。

 時々、早朝のまどろみの中で小さく聞こえる程度であった。飼い主の話によると、朝の散歩を催促する声だという。

 飼い主が起きて来るまで吠え続ける。その都度起きて、眠い中、トイレと散歩をさせていると嘆く。そんな状況のときに、問題が起きた。

 その飼い主宅に、匿名で苦情のはがきや、吠えているときに無言の電話が、何回も来るようになったという。

 今朝も飼い主が、生垣越しの立ち話で、このことを話しかけてきた。「うちは、あまり気になりませんがねぇ・・・」と答えを返しておいた。

 しかし、その家の近くの住人にとって、夜明け前の鳴き声は、かなりの騒音に聞こえると思われる。

「何とかしてくれ」とはがきに書いてあるが、相手が犬とあればなかなか言うことを聞いてくれないと悩んでいる。

 我が家のハートリーも、時に、早朝階下で小さく鳴いて私を起こすことがある。しかし、そのすべては私の都合で、前夜寝る前のトイレ散歩をさぼった時であり、原因ははっきりしている。

 住宅街での生活騒音は程度もので、お互い様のところがあるが、どこまでが許容限界かというところが難しい。

 昼夜通して、比較的静かな地域なだけに、このトラブルの行く末が少し気になる。

 ある日突然・・・というようなことが起きないためには、飼い主が責任を持って犬を躾けるか、自分が犬の僕となるかしかあるまい。

 今から犬を飼おうとしている人は、自分の奥様同様、初めの躾けが如何に大切かということを、肝に銘じておかねばならない。

 と、取り返しのつかないことを、小さな声で遠吠えしている私である。説得力に欠ける話になった。
  (写真は、少し躾けそこなった?「ハートリー」)

草いきれ

2005年08月14日 | 季節・自然・植物
 春のバラの季節が終わって以来、庭・畑の手入れは全くやっていない。それでも、梅雨を迎えてアジサイは咲き、畑には、なす・きゅうり・トマト・ゴーヤなどの夏野菜が有り余るほど収穫できた。

 先日、朝食のサラダ用に野菜を取りに出て行った妻が、笑いながら部屋にもどってきた。

 通りかかった近くのおじさんが、「お宅のご主人は、具合が悪いんじゃないでしょうね」と、言われたという。

「どうしてですか」と、尋ねると、「いやいや、畑の草が随分伸びているもんで、具合でも悪いのかと思って・・・」と、心配顔で話したという。

 我が家では、庭・畑の仕事は妻の所管となっている。私は、指示された力仕事以外は、畑仕事はあまりやらない。

 夏の盛りを迎え、雑草が大変立派に成長していることは、見ただけで分かる。何を植えているのか分からないほど伸びていた。

 白熊のように暑さにめっぽう弱い私は、伸びた雑草のことを、敢えて妻とは話さないようにしていた。

 しかし、他人から見ても目に余るのだろう。遂に私が病気になったようなことを言われてしまった。

 それに、お盆も近い。「よし、草を抜こう」。3日間、毎朝早く起きて、涼しい内に草を抜いた。這いつくばって、さながら草との格闘だ。

「雑草の如く・・・」とはよく言ったものだ。何の手もかけていないのに、勝手にたくましく大きく成長している。

「子供たちも、こうであってくれたらな」と思いながら草を抜いた。収穫は、全部でポリ袋8袋にもなった。

 夏草の草いきれの中で汗だくになったが、風通しのいい見違えるような庭と畑に生まれ変わった。私の額にも、爽やかな風が通り抜けた。

   夏草に 栄養取られ  うらなりに

   近隣に 病かと言われ 草を抜く
 (写真は、草むらと化していた「菜園」)