まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER-第161(補遺)号-

2006年12月01日 |  マツタケの林地栽培 





第70回(12月1日)活動報告

 写真が、初参加の服部さんから送られてきました.NIKONの写真集でごらんください.

  本日の気象は、体感的には「少し寒いな」と思ったが、これでも平年よりは暖かいそうである.参加者は初参加の服部さん(京都市)、常連の岡阪、中城、小吹、周田、三原、鎌田、大島、中川、中広、三品、寺尾、大井、今西、加藤、池内恒、安永、阿閉夫妻、中村(伸)、橋本夫妻、橋本(敏)、川崎、宮崎、ツトムチャン、榎本、有山、大月、猫田、石原、と筆者で32人.
 本日は、澤田山と玉城山でマツタケ発生整備作業が実施された.恒さんが台湾の餅を食べさせてくれた.まつたけ十字軍岩手(準)の小沢さんからと届いた塩引鮭を使ったかす汁を戴く.美味!

澤田山Ⅰ活動レポート(宮崎 昭)
村上、服部(期待の新人、何と言っても若い!)、三品、中川、宮崎の5名で、午後1時~3時半まで、最奥候補地の整備を行いました。
前々回は南斜面を整備したのですが、マツタケで車を買ったというマツタケハンター村上さんの見立てによると、「南側は老木・古木が多く期待薄。西北斜面の方が若松が多く緩やかな窪地で水分も集まりやすく期待できる」とのことで西北斜面の森を暗くしている木々や枯れ松の整理を行いました。短時間でしたが約20m四方がほぼ「傘をさして歩ける」状態にはなりました。その様子は服部さんが撮影してくれた「before-after」でご覧ください。
この地はマツタケを期待できそうなのですが、腐植の堆積が5~10cmと厚くこのままではダメです。今後は地掻きが必要です。この地は平面に近い緩傾斜地で地掻きは比較的やり易いと思われます(それでも大変な作業であることには違いありませんが)。次回はレーキや山菜取りナイフを持って行きましょう。
現地までは山道を上って20~30分近くかかります。初めての方も道に迷わないように専用の道標を数ヶ所に取り付けました。「丸に十の字」は島津ですが「マツタケに十の字」と方向を示す矢印が描いてあります。

 11月26日に行なわれた「京まつたけ復活・里山再生市民運動の報告が主催者の京大マツタケ研究会の大月さんから届いたので、掲載します.
 京大北部祭典の企画として昨年の「マツタケ再生に向けて」に続き、今年は「みやこまつたけ・里山再生市民運動」を11月26日に開催した。参加者は約70名。京都府を始め、泉南市樽井の林さんほか大阪府、兵庫県、滋賀県、奈良県と参加者は広範囲にわたっている。「まつたけ十字軍運動」のブログの影響だろう。また、今年は若い参加者が目に付いた。 京大マツタケ研究会は吉村文彦さんが岩手から京都に帰ってくるのを機会に立ち上げた。吉村さんが意図する「マツタケ復活」と「里山再生」の運動の支援である。今年、京都学園大学マツタケ研究会も出来た。京都学園大学がある亀岡は丹波マツタケの本場である。彼等の活躍を期待したい。
 吉村さんの「みやこまつたけの復活と里山再生」は、まつたけ十字軍運動が岩倉で始まって一年半が経過したが、その中間報告である。いままでに約300名の人が関わり、毎週の作業に30名前後の人が確実に集まってくる。ヤマの作業をする人、ハタケ仕事に精を出す人、賄いを担当する人と自然に分担ができる。面白い光景だ。京都は街と山が近い。市民と里山との関係も深い。「マツタケの復活」と「里山の再生」を抱き合わせで考える吉村さんの主張は説得力があり、多くの新聞報道はまた未知な人間をつなぐ。ブログ(http://blog.goo.ne.jp/npoiroem)で毎回の作業の進行を報告する吉村さんの丁寧さも、また見逃せない。
 上田耕司さんは錦市場の〈かね松老舗〉の店主で、「マツタケ透かせば人模様」はマツタケを介して出会う人々の話をしてもらった。マツタケは高価である。ほとんどが贈答用として買われる。買手は、昔は和装業界、バブルの頃は土木・建設業、そして最近は新興宗教団体が多いそうだ。みやこまつたけとは京都盆地の周辺部産の〈白くて小さく雅さをたたえている〉ものの呼称で、〈黒くて固い無骨ものの田舎マツタケ〉の丹波産と区別された。いまのマツタケは国産か外国産かで考える。さびしいかぎりだ。
 中村伸之さんの「里山産業創造の現場から」は、関西学研都市構想からはずれたUR都市機構所有の木津町鹿背山(約150ヘクタール)の環境保全と土地の有効利用を考える「鹿背山倶楽部」の活動報告である。
 まつたけ十字軍運動が拠点としている岩倉のヤマが0.3ヘクタールだから、鹿背山はとにかく広い。その分、無限の可能性を秘めているともいえる。質疑応答の中で山科の陶芸家近藤さんが、新人向けの「登り窯」を作る場所を探しているがなかなか難しい。里山再生運動との連携の中で「登り窯」を考えるが無理だろうか、と云う質問があった。若い作陶家が「窯」が持てないために仕事を断念する、という状況がある。作陶家にとって「窯」は必要条件だ。鹿背山には明治時代に陶工が集まり「鹿背山焼」と呼ばれた時期がある。鹿背山の運動の一環として「登り窯」を中心にした陶芸村を考えてもいいような気がする。
 パネル・ディスカッション「マツタケの魅力」の司会はマツタケ十字軍運動の石原敏行さんにお願いした。吉村文彦さんと上田耕司さんに生産者の今西好文さんが参加した。今西さんのヤマには10月下旬に寄せていただいた。久しぶりに屹立するマツタケを見て感動した。親から引き継いだマツタケ山の手入れを模索していた時に吉村文彦さんと出会い的確な助言を受けた、と今西さんはいう。今年も新しいシロが出来たそうだ。
 今年はスタッフとして「京大植物園を考える会」の影山さんと中島さん、農図の中路さん、あーす書房の玉岩さんにお世話になった。お世話になった。深酒がたたり、翌日は二日酔いだった。

中居さんから、餅つき道具類一式をご寄贈戴いた.これで懸案の忘年餅つき大会ができる
ぞー!! 
寄付等の振込先: 氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
                銀行名: 京都銀行 山科中央支店
                口座No.: 普通預金 3698173 



主 催 団 体
吉村 文彦(マツタケ生態学者)
まつたけ十字軍運動 本部(http://blog.goo.ne.jp/npoiroem/)    
〒607-8421 京都市山科区御陵岡ノ西町38-27、 075-581-8932, 090-6227-4305
大月 健(代表)
京都大学マツタケ研究会(京都大学農学部図書室気付、大月 健 090-4280-3334)
共 催 団 体
NPO国際環境微生物応用研究機構、香川理化学研究所、NPO市民環境研究所

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