「シン・ゴジラ」を、「10年に一度の傑作」「50年に一度の傑作」とまで言い切り、死ぬほど推している身として、1954年の初代「ゴジラ」について一度きちんと語っておかなければならないだろう。
1954年に公開されたいわゆる最初の「ゴジラ」。
白黒で、4:3画角の作品だ。
当然DVDも持っているし、何度も観ている。
「シン・ゴジラ」を観たあとにも、もちろんもう一度観返した。
だが、観るたびにこう思う。
正直な感想だ。
なんだこりゃ、と。
そう思ってしまうのだから仕方ない。
初代「ゴジラ」は、ゴジラ(という概念)を生み出したという点に於いて大いに評価すべき映画である。
終戦からわずか9年、原爆の記憶や東京大空襲の記憶など、当時の日本人の生々しい文脈上にゴジラという災厄を映像化した点も素晴らしいと思う。
当時、「ゴジラ」を映画館で観た日本人たちの驚愕ぶりは(ある程度)理解できる。
だが、いかんせん1本の映画としては欠点が多すぎる。
中途半端に描いた人間ドラマが、ぜんぜんピンと来ないのだ。
わけの分からない浅ーい人間ドラマ(三角関係)が、全くもって必要ない。
その部分が興ざめもいいところ。
ゴジラが東京に上陸し、町を破壊し、鉄塔に登って生中継しているテレビクルーを鉄塔ごとなぎ倒す場面とかはもう最高。
しかし、ヒロインとその恋人と芹沢博士(あの有名なオキシジェンデストロイヤーの発明者)の三角関係が、あまりに酷くて苦笑もの。
おそらく、初代「ゴジラ」を作ったクリエイターは、ただひたすら怪獣映画を作りたかったんだろうと思う。
根本的に興味が怪獣にしかないから、付け焼き刃のように描いた人間ドラマの部分が、酷い出来なのだ。
だったら、今回の「シン・ゴジラ」みたいに人間ドラマなんか描かなければ良かったのに。
安い男女の三角関係を始めとするよく分からない人間ドラマ。
そんな初代「ゴジラ」の弱点を、今回の「シン・ゴジラ」は見事に排除し、極上の怪獣映画に仕上げている。
やはり庵野秀明というクリエイターの凄さを感じずにはいられない。
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