goo blog サービス終了のお知らせ 

花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

相模川を歩こう、「山中湖を目指して」(最終章2)

2015年10月04日 | ハイキング・散策
騒がれた「爆弾低気圧」も、
我が家周辺はたくさんの落ち葉を散らしただけで去って行きました。

そしてこの週末は気持ちの良い秋日和が続いています

先月行った「山中湖」周辺はすでに色付き始めていましたから
高原はそろそろ紅葉が見頃になっているのでは?と思います。

9月19日、三つ峠駅から「相模川」の源流の山中湖を目指しました。
そのフィニッシュ版をご紹介いたします。



前回ご紹介した「増上寺」を後に、途中街道筋の神社の境内で昼食タイム・・・
その後もひたすら歩いて、長い登りを頑張って進むとやがて観光客の姿が多く見られる「忍野八海」に出ました。

天然記念物である「忍野八海」は、富士山の伏流水に水源を発する湧水池です。
最初にお釜池を観ましたが、単なる大きな水たまりのようで写真は撮りませんでした


桂川の流れの方が綺麗ですね

多くの観光客が日本語ではなかったので、私たちは足早に通り抜けました。

ここには杓子岳&鹿留山を登った後に山仲間と来ているし
ドライブで夫とも来ているのですが・・・
あの時に見た池はどこだったのかしら?


忍野八海を後にして、観光バスが行きかう道路をひたすら歩きます。

周囲は畑が広がっていました。
この赤い蕎麦の花は観賞用でしょうか?

やがて林の中に黄色の建物が目立つようになりました。

ロボット工場こんな所に最先端の工場が




標識に「FANUC通り」と書かれた道路が500mも続いていました。
「富士通の関連会社だね」と、私の前を歩く殿方が教えてくれました。


道端には「木の子」が・・・
長雨の後にやっと晴れ間がのぞいた、シルバーウィークの最初の日でした。


緑の丘の上に「ホテル・マウント富士」が見えてきました
あの向こう側は目指す「山中湖」です

モミジの紅葉が始まっていました。こちらは「ハゼ」の葉でしょうか?


ずっと軽い登りを歩いてきました。
ここは富士五湖の高原地帯、我々が住む首都圏より早い紅葉が見られます。

あれから2週間、今頃はもっと紅葉が進んでいることでしょうね


道端に「ナンテンハギ」が咲いていて、その横に葉っぱの形が違う同じ紫のお花が見られました。

この日一緒に歩いたブログ仲間の山野草に詳しい山小屋氏の説明で
「これは南天の葉によく似たナンテンハギ」

そしてもう一つは「クサフジ」との説明を受けました。
クサ藤の写真はボケたのでボツです

富士山の噴火による溶岩石でしょうか・・・イチイの赤い実がたくさん見られました


北海道では「オンコ」と呼ばれたイチイの木の実
甘くて美味しかったです

更に歩いて行くと、こんな看板が現れました


「花の都公園」も、「紅富士の湯」も、夫と何度か行きました。
この辺りはいつも車で通りましたね

そんなこんなを思い出しながら、ワンゲルの会の仲間たちとひたすら歩いて行きました。

桂川(相模川)がようやく見えてきました間もなく源流の「山中湖」です


ちょっと胸が高鳴ります


山中湖の湖畔にたどり着いたすぐの所に、あっけなく現れました
9時20分に三つ峠駅を歩きだしておよそ7時間、距離は20㎞
万歩計は八王子の友人宅から3万歩弱でした、

ここが山中湖から相模川に流れ出す始まりです


夫を亡くして4か月目の去年の12月に、標高ゼロメートルの「相模川」の河口に立って以来
9ヵ月目でようやくその源流(980m)にたどり着きました


春の相模湖から、なだらかながらもずっと登りのコースを4回に分けて歩いてきましたね。
源流から河口まで流路は109kmに及ぶようです。


富士山の北東でいちばん近いところに位置する「山中湖」。
湖面の面積も6.57平方キロメートルあり、富士五湖で最大・・・
湖面の標高は980.5メートルと最も高く、日本全国でも3位の高所にあります。

この日は富士山が見えなくて残念でしたが、無事に踏破できて感激しました。

これも道案内をしてくださったリーダーさんのお蔭
一緒に歩いて下さったワンゲルの会のお仲間たちのお蔭
感謝申し上げます。

ここで解散でしたが、東京駅行きのバスに乗る人が4~5人・・・
後は皆さんと一緒に「河口湖行き」のバスに乗りこみました。

実は私、前日に泊まった友人宅にスイカを忘れたのか
朝から見当たらず、乗り物の支払いにバタバタしました。


湘南地区に住んでいる方3人は、前もって「河口湖発藤沢行き」の直行バスに予約を入れていたらしい・・・
中央高速から圏央道を通り藤沢駅まで2000円と、電車より安いようです。

「当日券があればバスに乗ればいいし、なかったら富士急の電車で帰えれば」と勧められましたが
バスの出発までまだ1時間あり、席がない場合ここから電車で横浜まで一人で帰るのも淋しい・・・

結局山小屋さんに勧められ、湘南地域以外の皆さんと一緒に富士急に乗って
途中の八王子で懇親会に参加して、横浜線経由で帰りました。

5000~6000円分入っていたスイカはついに見つからずで、アチャーですが
前日墓参りで夫の姉妹たちと語り合い、その夜は友人宅に泊まって楽しい夜を過ごし、
そしてお天気に恵まれた中、相模川の源流まで歩いて・・・
最後に男性4人、女性3人で美味しいビールで乾杯

シルバーウィークの始まりに、楽しい2日間が過ごせて良かったです。


コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう、「山中湖」を目指して(最終章1)&お墓参り

2015年09月25日 | ハイキング・散策
シルバーウィークなる5連休も終わりました。
敬老の日があるからシルバーウィークと名付けたのか?
それとも春のゴールデンウィークに対してこの様な呼び名が付いたのか?

いずれにしても毎日が日曜日の我々には関係なく、むしろどこに行っても混雑していて
ご近所仲間と我が家近くでランチするだけでも30分並びましたわ

「三つ峠から山中湖へ」(9月19日)
恒例の「相模川歩き」も今回で最終章です。
総仕上げとして、何が何でも参加せねばと思っていました。

天候が不安定で大雨続きだった先週も、連休初日のこの日から晴れだして
空も味方してくれましたね


前回解散した「三つ峠駅」に9時15分集合
この日の参加者は男性6名・女性9名の15人でした。

お天気には恵まれましたが、まだ山々には雲が・・・
実りの秋を迎えた田園風景が眩しかったです


相模川が見えてきました。
去年の暮れに湘南大橋を渡り、平塚と茅ヶ崎の間の相模湾に注ぐ河口に立ちこちらです。

後半は4月の相模湖からスタートし、山梨県に入ってからは「桂川」という名前に変わり
多くの峡谷美を見せてくれましたが・・・
いよいよ源流の「山中湖」が近付いてきました。


三つ峠駅から歩きだしてまもなく「右方・富士山道」と書かれた
古い標識が建っていました。


昔から「霊峰富士山」を目指す人は多かったようで、
江戸時代はこの辺りも宿場町として栄えたようです。

私たちは富士山道とは違う左側の道を進みました。


町の鎮守様でしょうか?、それとも富士山と関係の深い「浅間神社」?


私たちも皆でお参りしましたよ。


富士の湧水が澄んだ流れを見せてくれて、ここでも鮮烈な美しさの水生植物が見られました。

あちこちにコスモスが咲き誇り金木犀の良い香りが漂っていました。




私たちはひたすら「山中湖」を目指して歩きます。
途中、往時を偲ぶ石碑が建っていて、標識には「三本松地蔵堂跡」と書かれていました。

平安初期に富士山が爆発し、衆生供養の場所であったこの場所一帯も溶岩に覆われてしまったようです。
元禄期に一乗寺の住職が、この辺りを開墾し地蔵堂を建てたとか・・・

近年「富士山噴火の可能性」もささやかれる中、遠い昔のお話として通り過ぎるわけにもいきませんでした

「笹子橋」と書かれた橋を渡ります桂川ではなく「相模川」と記されていました。




橋の上から眺めた「相模川」です。

由緒ありそうなお寺の境内に入りますモミジが色づき始めていました




「増上寺」と書かれていましたが、「あの都心にある芝の増上寺
でも「宗派が違うよ」と、どなたかが呟いていました。

中々立派なお寺で、お休み処の東屋があり綺麗なトイレもありましたのでここで休憩です。


フォークを持つ手、楽器を持つ手・・・
これだけたくさんの手があれば、一度にいろいろなことが出来ますね。

一休みしてから11時10分に出発しました。(次回に続く)


          

5連休中はお天気にも恵まれ、絶好の行楽日和となりましたね。

秋のお彼岸の季節でもあり、混む前の18日(金)に夫の姉たちに誘われ
高尾の夫の実家のお墓参りに行きました。


霊園の入り口には秋の七草の「オミナエシ」が咲いていました。

兄嫁と夫の姉二人が手なれた手つきで草取りをし、ツゲの木を刈り
私も一緒にお墓のお掃除をしました。

義姉たちとはその後高尾駅前でお蕎麦を食べ、店を移してケーキ&コーヒーで
午後4時までお喋りです

夫の実家の5人兄弟・・・
私を含めて、昨年一度に3人が未亡人になりました


下の義姉だけが12年前に連れ合いを亡くし、持病を持ちながらも
前々日には雨の中「安全保障関連法案反対」の国会周辺のデモに参加したそうです。

今年のお正月、一人ぼっちで迎える私のために大晦日から泊りがけで我が家に来てくれた
心優しい義姉ですが、内に秘めたる信念は誰もかないません

実は私、この日2時間以上かけてやって来た高尾ですが、
翌日は「相模川歩き」で、高尾駅発7時46分の電車に乗ることになっていました。

横浜郊外の我が家を早朝の5時半には出なければなりません。

時間と体力節減を考え、私はこの近辺の民宿に泊まろうといろいろあたりましたが、
連休前の金曜日はどこも満室

結局近くの八王子に住む中学時代の親友(2週間前にMM21で夕食を共にした友人)に
頼みこんで泊めていただきました。

45年前、新潟でOLをしていた彼女が東京に出てきた際、
この下の義姉の連れ合いが勤める会社を紹介し就職、2年後社内結婚をしました。

友人のご主人のことも良く知っている間柄・・・

今は幸せに暮らしているので、私たち夫婦が就職の橋渡しをして良かったと思っています。
で・・・
ずうずうしく「お泊り」をお願いした次第です。

tomoちゃんご夫妻、突然の押しかけにも嫌な顔せず受け入れてくれてありがとう


連休最後の日は私の両親が眠る、実家のお墓参りに行きました。

我が家から車で15分と近いので、息子一家も連れて行きたかったのですが、
家族でディズニーランドに行くとかで(しかもホテル泊り)、私一人で行きました

「お彼岸の意味」を教えなければ、若い人たちは知りませんものね。
来月に完成する父親のお墓には、毎年お彼岸にお花を添えてくれると信じていますよ。




コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう、「山中湖」をめざして(6)

2015年08月10日 | ハイキング・散策
関東南部は8日間続いた35度以上の猛暑日も、「立秋」を迎えて一段落でしょうか・・・
爽やかな風が感じられました

屋根と外壁工事の25日間はとにかく暑くて息苦しくて
私のストレスもマックスに達しました。


まだまだ暑さは続くでしょうが、家を囲っていた足場と幕が外されただけでも気分が清々しましたよ


白いモッコウバラが見事だったお隣との垣根、ツンツンと枝が延びるのが難でご主人に相談を受け
夫の後輩が青紫の「ルリ祭り」を植えました。

暑さの中、涼しげに咲いています

7月14日に足場が組まれて、取り外されたのが8月6日
3週間以上囲われの身でした(予定の10日遅れ
とにかく真夏の工事は絶対に避けるべきですね。


我が家は急いでいたわけではありませんが、業者も毎月目標があるようで
急いで契約させられましたわ

足場と高圧洗浄の業者は、気持ちが良いほど段取り良く働き
それぞれ一日で仕上げましたが・・・

肝心の壁塗りの職人が、梅雨末期の長雨で前の工事が延びて人手不足だったのか?
何の連絡もなく、着たり来なかったりで酷過ぎました

8時半過ぎに来たかと思うと、12時に食事に行き3時過ぎまで戻らず・・・
(最後の二日間は違う会社から助っ人が2名来ましたが、その彼らは実に良く働いたのです)

それで時々顔を出す、32歳の社長と言う若いお兄ちゃんに言いましたよ。

「この暑さの中の外仕事は、リタイヤ後庭師になった夫を見ていて良く知っているから」
「十分に休息をとるのは構わないけど、ちゃんと言ってくれないと顧客は分からない」、

「息子の会社を始め、大手のミ〇ワホームやト〇タホームさんの孫請けの仕事で手いっぱいかも知れないけど」
「上の顔色ばかり見ていないで、お客様の顔を見る事も大事

「夫は8時からの仕事のためには7時45分には行って準備をし」
「どしゃ降りの日でも施主様には電話で行けない旨連絡していたわ」
「特に一人住まいのお婆様を大切にしたら、次々と紹介を受けて顧客が増えたのよ」

「今でも、仕事が丁寧で目配り・気配り・心配りがあったと惜しむお手紙が来て・・・」
「あなたもまだ若いから、これからのためにもお客様との連絡を密にする事を勧めるわ」と言いましたよ。

最後は彼も真剣な顔で聴き入ってくれました。

そんな夫が突然亡くなった季節が到来で、私も少々心が揺れる日々ですが・・・
心配してくれる友人たちの情けで、それなりに夏を楽しんでいます。

まずは6月にワンゲルの会で行った「相模川歩き」の後半をUPしなければなりませんね。

            

6月14日・相模川歩き「大月から三つ峠へ」(後半編)
大月駅から2時間半かけて歩いて来た都留市は
水の街と言っても過言ではありません。

この時は梅雨時でもあったし、富士の雪解け水も流れているのでは?
と思わせるくらいに、街中の用水路を流れる水には迫力がありました。


水車まであって・・・


小学校の脇の用水路では小さな水力発電所までありました。


住宅地の中にも水路が流れています。


そして都留市は、歴史ある城下町でもありました。

小学校の校庭に建っていた碑公衆電話もお城です。


人工37500人の都留市はウィキペディアによると
「大月市と富士吉田市との中間に位置すし、ほとんどが御坂山地や丹沢山地などに属する山間部であり
市の南西から北東へ桂川が流れる。

この桂川に沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に市街地が形成されている。
また、この川に沿うようにして中央自動車道(河口湖線)、国道139号、富士急行大月線が通じている」


「田原神社」で一休み・・・


富士五湖や御殿場からの帰路、高速道路が混むと夫はここ都留市から
道志に向かい、山越えをして丹沢の宮ケ瀬経由で厚木に出て、横浜の我が家に帰りました

そんな事を思い出させてくれた「道路標識」です。


都留市を流れる「桂川」(相模川)は、水量が豊富な滝も見せてくれました。


「三つ峠」が見えてきました。

15年くらい前のGWに、山仲間のKさんと三つ峠の駅から登りだし、頂上の小屋に泊まって、
「清八山~本社ヶ丸~鶴ヶ鳥屋山~笹子駅」と縦走したことがありました。

まだまだ若くて元気な頃の懐かしい思い出です。


激しい流れの「桂川」(相模川)


珍しいお花が咲いていました。
山小屋さんに聞いたら、最近増えている外来種で「ビロードモウズイカ」と教えてくれました。
植物博士並みにご存じで、いつもお世話になっています


古い道路が整備されると、道祖神や仏塔などがこうして一カ所に集められるのでしょうね。


水量豊富な「桂川」(相模川)は富士山の湧水も含まれているのでしょうか?


この日唯一顔をみせてくれた「富士山」です。

途中お花が綺麗な小さな公園で一休みしていると、地元のおば様たちが
「どこを歩いて来たの?」と声をかけられました。

「大月駅から都留市を通って三つ峠駅までの予定」とリーダーが答えると
ビックリされました。
「酔狂な」と思われたに違いありません。

午後3時過ぎに「三つ峠駅」に到着しました。
6時間以上歩いたことになります。歩数計を見ると35500歩でした。


50分以上の電車待ちがありましたが、どなたかが買ってくれたビールが美味しかったです。
駅舎の前で全員揃っての記念写真を撮りました。

きかんしゃトーマス号に乗って大月で乗り換え、高尾で「懇親会」をしました。
この日は二夫婦も加わり、女性は私を入れて3人・・・

70代でご夫婦そろってお元気に歩けるなんて、本当に羨ましい限りです。
歩いた後で皆で飲むビールやサワーはとても美味しいですね


※デジイチのホワイトバランスの印の所に見慣れない数字が・・・
そういえばこの6月7月に写した画像が妙に赤っぽい

先日参加した花火の撮影勉強会で、講師に直してもらいました
良かった良かった

今回はお見苦しい画像の羅列で失礼いたしました



コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう、「山中湖」をめざして(5)

2015年07月30日 | ハイキング・散策

梅雨明け10日とはよく言ったもので・・・
連日晴天の猛暑が続いて、蝉しぐれの中にいます。

家の工事の方はまだ終わりませんが、
息子は系列会社の担当者に「お袋がダウンしてしまう」と脅かし

私は請け負った先の責任者に「とにかく窓を早く開けられるようにして欲しい」と訴え
孫請けの現場の責任者には「来られない日はちゃんと連絡を下さい」と
電話したのが少し効いたのか?

一部窓が開けられるようになり、工事も少しづつ進んでいますが・・・
月末引き渡しが8月にズレ込むことは必至のようです

昨夜、会社帰りにやってきた息子に「工事費が高い上に遅れるとは何事」と意見すると
「いい加減な工事をするとウチの会社からの受注がなくなるから、手抜きはないと思うよ」
という返事でした。ホントかしら


          

私の夏風邪もようやく落ち着きましたが・・・
冷房の効いた中を出たり入ったりするだけで、なんだか頭がクラクラして
身体がだるくて疲れますね。


流石にこの時期はどこに行くにも車を使い
歩くのは防犯パトロールの1時間のみが多くなりました。

サイコーに歩いたのが、先月のワンゲルの会での35.000歩でした。

相模川歩き・「大月から三つ峠へ」(6月14日)
梅雨時のこの日は朝から小雨が降っていましたが
8時45分集合の大月駅に着いたら雨は止んでいました。ラッキー


駅舎の後ろには「岩殿山」が見えています。
前回5月9日に梁川から歩いて「猿橋」を見て、この駅で解散しましたこちらです。

リーダーの話では「今回は前回よりもずっと長く歩きますので、4万歩は覚悟願います」との事
過去の縦走登山などでは万歩計着けていなかったけど、平地でそんなに歩いた経験なし
膝は持つかしらと気になりました。


大月駅から10分歩くと大月橋で、桂川(相模川)が見えてきます。


この岸辺の家々が何とも凄い所に建っていて目を見張りました。
この日一緒に歩いた山小屋さんが詳しい画像をUPしています。

「桂川大橋」から見た渓谷美の桂川街を抜けると水も綺麗になりますね。


相模川は山梨県に入ると「桂川」と呼ばれるようになります。


歩く先々の山里には必ず神社やお堂がありますね。


この6月中旬はどこも田植えは終わっているようでした。

又この辺はリニアモーターカーの実験施設がある所で・・・
名古屋までの本コースにも入っているようです。

苔の緑の綺麗な季節でした。道路整備で道祖神たちは壁面に祭り上げられた


村を通り抜け峠を越え、桂川に沿って隣町の「都留市」を目指します。


「かわもばし」からは釣り人の姿が目立ちました。
アユ釣りが楽しめるのでしょうか・・・


「八王子神社」で一休みしました。
そろそろ「都留市」に入ったようですね。


「羽根子大橋」から桂川を眺めます。


今回の桂川は渓谷ばかりで、すぐ横の川堤を歩くことはできませんでした。


11時半を過ぎて、そろそろお腹も空きました。
この立派な村杜で昼食です。ところで村杜って?


古い「石仏」が並んでいました。
道路を整備する都度、これらの石仏が集められるのでしょうか・・・?


水の流れの音が聞こえる中、涼しい風が吹き渡ります。


緑豊かな中で食べる「おむすび」が美味しい


一休みしてから再び歩きだし、12時半に富士急の「都留駅」に到着しました。


コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう、「山中湖」を目指して(4)

2015年06月06日 | ハイキング・散策
昨日今日とハッキリしないお天気です。
いよいよ鬱陶しい「梅雨」の到来間近ですね。

さて・・・
相模川の源流・「山中湖」を目指しての「梁川駅~大月駅」歩き、後半のご紹介です。

「猿橋」見物(5月9日)
昼食を済ませ、歩きだしておよそ1時間、途中鯉のぼりが泳ぐ「妙楽寺」の境内を見物して
午後1時前にこの日のメインの見物地「猿橋」に到着しました。


「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつで、
広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい構造が描かれています。

猿橋から下流方向の眺め
上に見える赤い橋は国道20号の新猿橋
上流方向の眺め
上には県道505号線に架かる新猿橋


橋の手前の階段を下って降りたこのポイントで、全員そろって記念写真を撮りました



長さ30.9m、幅3.3m、高さ31mのその姿は、橋脚を全く使わない特殊なもので
鋭くそびえたつ両岸から張り出した四層のはね木によって支えられています。


屋根付きはね木を重ねた上に橋桁が載せられています。

私たちはそのまま遊歩道を歩いて行きました。


猿橋の架かる狭い峡谷に向かう手前で、桂川(相模川)はほぼ直角に曲がって流れています。


川沿いには緑豊かな中に遊歩道が整備されていました。


6000年前の富士山爆発で流れた溶岩がここまで来たようです。

最近は「富士山の噴火もあり?」という不安も募り
単に過去の遺産として見るだけでなく、いろいろ考えさせられましたね。

柱状節理の岩盤が見えています。川の流れの音を聞きながら緑の中を歩きます




山城のある「岩殿山」が見えてきました。


トイレや東屋などが整備されている「猿橋公園」で一休みしました。

新緑が綺麗で大きな藤棚があり、桜やアジサイの季節も楽しめそうです。
ここには郷土資料館もありました。


桂川(相模川)に沿って更に歩いて行くと「桐の花」が咲いていました。


金網の向こうは水路が複雑に別れていました。
相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点でしょうか?


明治大正期、桂川には多くの発電所が建造され、
京浜地区の工業発展に大きな役割を果たしたそうです。


この橋を渡り「岩殿山」のふもとを歩いて「大月駅」を目指します。

標高634mの「岩殿山」には春と晩秋の2回登っていますこちらこちらです。

頂上の南側直下は鏡岩と呼ばれる礫岩が露出した約150メートルの高さの崖で
急角度で桂川まで落ち込んでいました。

集落には「猿橋まで一里」と書かれた一里塚や歴史が感じられる道祖神などが見られます。




大月市の中心部、駅近くの「高月橋」から見た桂川(相模川)


午後3時前にようやくウッディな造りの「大月駅」に着きました。
ここで解散です。

休憩を入れて丁度5時間、今回は26000歩の行程でした。

スタート時に降っていた雨もすぐに止んで、暑くなく寒くなく新緑の中を気持ち良く歩けました。


「大月餃子」と書かれた看板のお店て、この日も親睦会に参加
ビールの他に地元の日本酒を、ガラスのおちょこに2~3杯飲んだら足がふらつきました。

たくさん歩いた後は酔いも早いです
特にワイン感覚で飲める日本酒はご用心ですね。


              

孫娘と映画「シンデレラ」観賞

5月30日の土曜日、孫娘の菜奈ちゃんを預かったので
2人でディズニーの映画「シンデレラ」を観に行きました。

継母にいじめられるシンデレラを見て、最初は「怖い!」と言っていた菜奈ちゃん
魔法でブルーのドレス姿に変身するシンデレラを見て、思わず「綺麗」とウットリ

ご存じ王道のプリンセスストーリー
昔から知っているお話なのに 私はこの映画であぁ~、そういうことだったのか~と
理解した場面が多々ありました。

映像はもちろん美しく、クライマックスのダンスのシーンも素敵
王子さまも人間的に描かれていて・・・
大人が観ても楽しい作品だと思いました。

菜奈ちゃんとは日本語吹き替え版を観ましたが、大人なら原語版を勧めます。




コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう。「山中湖」を目指して(3)

2015年06月02日 | ハイキング・散策
観測史上稀なる暑さが続いた5月が終わり、6月がスタートしました。

南の「口永良部島」の火山爆発で全島民が屋久島に避難・・・
首都圏では箱根山が心配です。

そして埼玉や小笠原が震源の地震が続いていて、日本列島は大丈夫なのでしょうか?

さて、季節の進みが早くてご紹介しきれない情報も多々ありますが
まずは順序が遡りますが、5月に行った「相模川の源流・山中湖を目指して」をUP致します。

5月9日(土)・「相模川を歩こう」(梁川駅~大月駅)
前回の4月18日に歩いた時(こちらです)、電車がすぐに来て
ドタバタと解散した中央線「梁川駅」に、9時45分に集合です。

お天気がイマイチでしたが、カッパを着るほどの雨ではなかったので、折り畳み傘を手にして出発
参加者は男性5名、女性6名の合計11名でした。


国道20号線をしばらく大月方面に歩き、「梁川橋」の手前で脇道に入ります。
左手の電線の向こうに「倉岳山&高畑山」が見えていました。

甲府方面に向かう中央線が走っています。古いトンネルに単線のレールが敷かれていました。




ノイバラが無造作に咲いています。

スタートしてからおよそ40分で、桂川(相模川)が目の前に現れました。

「下畑橋」を渡ります。山梨県を流れる「桂川」(相模川)


ここでザックからデジイチを取り出して、反対側の上流方面を撮りました


芽吹きだした新緑と山桜のピンクが綺麗だった4月の風景と異なり、
緑がいっそう濃くなっていました。


山の集落はツツジが見頃でした。
雨はすぐに止んだので、良かった!良かった!


沿岸部の我が家ではGW前に終わってしまった「クレマチス」がまだまだ咲いていました。


集落を通り抜けると「高畑山&倉岳山」の登山道入り口が現れます。


私も山仲間と3人で15年~25年前にかけて、中央線沿線の山々はほとんど登りましたが・・・
この二つの山はどこから入ったけ?と、思い出せませんでした

今度それらの昔歩いた山々をブログにUPして、写真類も断捨離しなくてはと思います。
親の趣味の「山の写真」が遺されても、息子夫婦が迷惑するだけですものね。

桂川(相模川)や中央線の向こうに見える山々は・・・?

「扇山」と・・・百蔵山のようです。


あの二つの山には、この日目指した「猿橋」から行ったような気がしますが
記憶はあいまいです

下った時に「君恋温泉」に入った思い出はありますね


「ハルジオン」でしょうか?、それとも「ヒメジオン」?
(山小屋さんに教えていただきハルジオンとの事でした)

山里はまだ春のお花がたくさん見られましたね。

この先で休憩タイムを取りましたが、毛虫がうじゃうじゃいて座ることはできませんでした


新しい道路を歩いてきましたが、振り返ると「倉岳山(左)&高畑山(右)が見えていました。


11時半頃「春日大明神」と書かれた古い神社に到着・・・

この横にある公民館前の広場で車座になって昼食タイムとなりました


次々と手作りの竹の子の煮物やお漬物が回ってきます

私のザックに毛虫が2匹着いていて思わず「ギャ~オ~」

春は木の葉も花芽も、そして虫も育つ時期なので仕方がありませんね~
(アウトドァー好き人間はそれらも覚悟して楽しまなくては)


ここにはトイレも完備されていて・・・
40分ほど休憩してから、この日のメインの見学地「猿橋」を目指して歩きだします。

丸い石の素朴な道祖神が見送ってくれました。。



             

速報!、鎌倉のアジサイ情報 
写真仲間が先週の27日に鎌倉のアジサイを見に行き、ブログにアップしていたので
大船フラワーセンターとイタチ川歩きはやめにして(暑くて歩く気力なし

昨日6月1日にカメラ仲間のSさんと、鎌倉の光則寺のヤマアジサイを見に行きました。

今年は1週間以上早く咲きだしたそうで・・・ヤマアジサイはそろそろ終わりでした。


ガクアジサイよりも小さくて、楚々とした魅力のヤマアジサイ

毎年この時期に愛好家が育てた鉢が、光則寺の境内に並びますが
今年は5月に夏日が続いたせいか、さっさと咲いてしまって残念でした。


土牢に続く階段横の「姫アジサイ」が綺麗に色付き始めていましたので
私とSさんはアジサイ寺で有名なお隣の「長谷寺」に行ってみました。

こちらは「ガクアジサイ」が見頃で、有名なアジサイの小径はまだ3~4分咲
1日(月)はカンカン照りの夏日でしたから、梅雨に入ってから行かれる方が風情がありそうです。
ただし混みますが・・・

詳しいご紹介はいずれ又とさせていただきます。




コメント (28)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう。「山中湖」を目指して・・・(2)

2015年04月27日 | ハイキング・散策

我が家の和室の前にあるフジが満開になりました。
こんなにたくさんのお花を付けたのは初めてです。


昨年の11月に、ご近所の友人ののんちゃんが剪定し
大雪にも耐えられるようにと、フジ棚を補強してくれました。

サラリーマンをリタイヤして夫は庭師になりましたが
彼が管理していた時よりも見事に咲きました

4月18日・「相模川を歩こう」(藤野~梁川)
さて、前回ご紹介した「相模川を歩こう」の後半です。


中央線の「藤野駅」から歩きだしておよそ2時間
「桂川橋」が見えてきました。

山梨県に入り、相模川は通称「桂川」と呼ばれているようです。


橋の上から上流方面を望みます。


橋を渡り河畔に降りました。

桂川橋下流左岸桂川河川敷(桂川新田地区近隣公園) はベンチなどが整備されています。
ここで昼食タイムとなりました

風が気持ち良く、芽吹きだした新緑が眩しい

ツル状のカロライナジャスミン、有毒だそうです。西洋タンポポもたくさん咲いていました。


山小屋さん、お花の名前を教えていただきありがとうございます

河川堤の斜面にはフジが・・・ウツギの花も咲きだしていました。




川にはアユの稚魚を放流しているそうです。
釣りのメッカに建っていた「魚塚」・・・


やがて桂川(相模川)から離れて自動車道に出ました。

お寺の境内に入ります。
山梨県上野原市にある「臨済宗・生法寺」


新緑の中にピンクの山桜がまじり、まさに「山が笑って」いました。

国道20号線に出てひたすら歩き、途中スーパーでトイレタイム
買って食べたアイスクリームが美味しかった


四方津駅を渡ると再び桂川(相模川)が見えてきました。
山里の集落には花モモが咲いて、春爛漫の風景の中を進みます。


朽ちた土蔵を思わずパチリ

たくさんのスミレが見られます。こちらは「一輪草」




「河合橋」から見た桂川下流方面


こちらは上流方向
すぐ隣に歩行者専用の古い吊り橋がかかっていましたが、今は通行禁止です。

河合橋は渡らずに更に上流の「金畑橋」を目指します。


金畑橋から見た桂川下流


川幅がこんなに狭くなり、流れも急になりました。


橋を渡り国道20号線に出て、ひたすら中央線の「梁川駅」を目指しました。
道すがらに撮った桂川です。

16時頃に「梁川駅」に到着、
藤野から上野原~四方津~梁川と3駅分、およそ16km、3万歩を歩きました。

電車がすぐ来て飛び乗り終点の高尾で下車
急に春めいた土曜日、どの駅もハイカーの姿が多く目立ちました。


この日も高尾での「懇親会」に参加しました。

殿方の山の話を聴きながら他愛ないダジャレに付き合い、
飲むビールが美味しいですね

2時間半かけて帰宅した後はお風呂に入ってバタンキューでした
今の私には無心で歩く事が一番癒されますね。


オフ会で「ワラビ採り」
先週はブログ仲間のラッシーママさんに誘われて、伊豆「細野高原」
ワラビ採りに行ってきました。

約3kgのワラビを収穫


熱湯に重曹を入れて、ワラビを一晩浸してアク抜きしました。
これで収穫の半分です。

この土日はその作業と、息子の所とご近所6軒に「ワラビ」を配って歩いて日が暮れました。
詳しいお話は次回とさせていただきます。

コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模川を歩こう。「山中湖」を目指して・・・(1)

2015年04月22日 | ハイキング・散策
今日(22日)から、天気予報は連日ピカピカマーク
午前中洗濯物を干してから、庭の草取り・・・

外回りは夫の領域でしたが、今年からは私がしなくてはなりません
ひと汗かきました。

4月18日・「相模川を歩こう」(藤野~簗川)
ワンゲルの会で去年の初秋から始まった相模川歩き、

最初に第二部の津久井湖から相模湾に注ぐ河口までのコースを5回にわたってこなした後
(私は5回目の寒川神社から相模湾までのコースに参加しましたこちらこちらです)

この春から第一部が始まり、中央線の藤野駅から源流の山中湖を目指します。


藤野駅前に9時45分集合です。
(中央線の駅までは我が家から2時間半かかりますので、この時間の集合は助かりますね)

歩きだすとすぐに「相模川」が見えてきました。
相模湖の続きのような広さです。


「弁天橋」を渡ります。

今回の参加者は男性8名、女性5名の計13名、
私は早咲き桜の「松田山」以来でしたが、もう皆さまとはすっかり顔馴染みになりました。


この日は春の日差しが眩しい日で、気温もグングン上がったようです。
春の代表的な野の花のスミレもあちこちに見られました。

黄色いお花のクサノウは毒草らしい・・・アケビの花を初めて見ました。




雨続きの4月でしたが、流石に中旬ともなると木々の芽吹きが始まり
若緑が輝いています

前を歩くのはブログ仲間の山小屋さん。

一ヶ月ぶりの再会ですが、その間彼はネパールに行き
帰国して2日後に箱根の山登り、そして札幌&長野と遠出をし

信じられないくらいタフでフットワークの良いお方です

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)
弁天橋からおよそ40分、古い神社の階段を登りました。
創建年は不詳。応神天皇の御幸所であったという古社。「名倉の権現さま」とも呼ばれていたそうです。

頼朝が祈願所として御墨印七十五石余を寄進武田信玄が小田原を攻めた際に社殿を焼失。

現在の社殿は1724年(享保9年)に再建されたもの。
江戸時代には、武甲相三州から善男善女が参詣し、幼児の癇虫除けの祈祷を受けたという。

境内には春蘭が咲きイカリソウも見られました。


古い神社を後にして、およそ10分でハイキングコースの入り口に出ます。

「石楯山・見晴らし台」へ

私たちは相模川が望める見晴らし台(石楯山)まで登って戻るだけ・・・


山桜のピンクとヤマツツジの朱色が新緑の中に混じり、とても綺麗でした。


見事な「ジュウニヒトエ」の群生があちこちに見られました

小さなチゴユリと・・・可愛いフデリンドウも咲いていました。




「石楯山」頂上の見晴らし台からの眺望です。

一休みしてから、眼下に見える相模川に架かる「桂川橋」を目指して下ります


登山道の周りには「ヤマツツジ」がたくさん見られました。
あと一週間もすれば見事な朱色のトンネルの中での歩きが楽しめそうです。


「石楯山」を下り、15分歩くと「相模川」が目の前に現れました。

カワウが潜っては顔を出していましたが、変幻自在に動き回り
画像が撮れませんでした。
えさが豊富なのでしょう・・・


案の定、釣りのメッカのようでした。

芝桜も満開で、これが増えれば観光客も呼べるのでは?


いよいよ神奈川県から山梨県に入ります。
相模川もここからは通称「桂川」となるようです。



       

今日も晴れのお天気は長続きせず、3時過ぎから曇りだしついに雨が落ちてきて
防犯パトロールも中止のようです。

毎週孫たちがやってきていた水曜日ですが・・・
この春からはママの仕事のシフトも変わり、お兄ちゃんのテニススクールの曜日も変わったとかで
「ばぁ~ばの手を借りなくてよくなりました」とのこと

私が週に一回頑張って、孫の面倒見と手料理をふるまった時間から解放されました。
(先週は菜奈ちゃんが風邪をひき学校を休んだので、私が息子宅に行ってきましたが)

ホッとしたような、ガックリきたような・・・
それで私も風邪をひいたのかも知れません。

結局、私は孫を見ていたつもりですが、お嫁ちゃんにしてみれば
夫を亡くしてオロオロしていた私の面倒を見てくれていたのだと思います
ありがとうね

私もまだ感情は不安定ながらも大分元気になりました。
これからは息子も一緒の休日にお食事会でも致しましょうね・・・









コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「湘南アルプスハイキング」・その2

2015年03月06日 | ハイキング・散策
「湘南平・展望台」からの360度の眺望
高来神社~高麗山~浅間山~湘南平と歩いてきた私たちは
富士山に面した西側正面の展望台に登りました。


ご覧の通り、富士山が目の前に

手前の山並みのポッコリした山は「矢倉岳」でしょうか・・・
3年前の3月中旬に同じくYさんと登り、帰路松田町の「河津桜」を観ましたね。


富士山の左側には箱根の山々が連なります。

この日は大寒のさ中の2月1日(日曜日)
雲一つない青空が広がっていましたが、温度が上がって少し富士山は霞んでいたでしょうか?


富士山の右側には丹沢連山が並びます。
円錐形の大山はすぐに判りますね。

カメラをそのまま時計回りに移動すると、遥か東京方面も望めましたが
小さなコンデジではハッキリとは写りません。

およそ2時間の簡単ハイキングでしたから、大きなデジイチを持ってくれば良かったと思いました。


東側にはこの湘南平の象徴のような、大きなテレビ塔が建っています。
そのすぐ奥には、この日歩いてきた稜線と浅間山が・・・

そして遠くに薄っすらと、横浜みなとみらいの「ラウンドマークタワー」が見えました。


更に時計周りに目をやると相模湾です。
江ノ島方面と三浦半島が広がっていました。

昨年末にはあの相模川河口まで歩きましたねこちらです。
あの時も富士山が綺麗に見えていました。


眼下には「大磯港」
「何年か前に、主人とあそこで活き魚料理を食べたわ」と、私が呟くと
「今日のお昼はここで食べないで、大磯港までいきましょうよ」とYさんが言いました。


11時半を過ぎて逆光気味の相模湾ですが、遠く「大島」も望めます。


小田原方面と箱根の山々・・・
私たちは360度の大展望に大満足でした。


もう一人の仲間のKさんが参加できなかったのは残念でしたが、湘南平は思った以上に良い所でした。
駐車場もあるので夜景も楽しめるようです。

広場の周りは桜の木がいっぱいで、春のお花見も素晴らしいでしょうね。


この2月1日は梅が2~3輪、ほろりと咲いているだけでした


私たちは「大磯港」を目指して下ります。


真冬でも安心して歩ける「陽だまりハイク」のコースとしてはお勧めです。

下りきると、大磯の古い別荘地に出ました。

大磯港までは人に聞いて結構歩き、着いた時は12時半過ぎ・・・
漁港料理のお店は大勢の人々が並んでいて、30分以上待ちました。


メニューも殆ど売り切れで、「お任せコース」(1500円)のみ
それでもカレイの煮つけが美味しくて、食べがいがありました。

主人だったら果たして30分も待ったかどうか?その時の様子はこちらです。

そんなこんなを思い出しながら、古くからの友人のYさんには素直に
今の私の不安な心情を吐露し・・・

一人で味気なく食べるお食事とは違い、美味しく楽しくいただきました


              

夜は12時過ぎに寝て、朝は5時半から6時頃に目覚めます。
寒いので、7時近くまではベッドの中にいて・・・

NHKBSの「グレートトラバース・日本百名山一筆書き踏破」
朝ドラの「マッサン」を見ながら、一人で朝ごはんです。

同じく「グレートトラバース」を熱心に見ているKさん
(今回ケァマネの仕事で参加できなかった山仲間)から時々電話やメールが入ります。

「私は40代で夫を亡くして、一緒に旅をした思い出は殆どないけど」
”あなたはご主人とあちこち旅し、山々も一緒に歩いた思い出がたくさんあるから羨ましい”と・・・


TVでは先週から「北アルプス編」に入りました。
殆どの北アルプスは山仲間と登りましたが、主人と唯一登ったのが「立山」と「燕~常念」です。

先々週の「南アルプス編」の時も、Kさんからメールが来て
主人と歩いた「鳳凰三山」や「仙丈岳」「荒川三山~赤石岳」を思い出しながらTVに見入りました。


「思い出がありすぎて、その風景を見ると切ないのですと返信しましたよ。


主人と最後に登った百名山は九州の「久住山」こちらでUPしています。
東日本大震災のあったすぐ後の2011年の4月でした。

あれから4年、今年も忘れられない3月11日がやってきますね。








コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「湘南アルプスハイキング」・その1

2015年03月03日 | ハイキング・散策
気が付けば早弥生三月、梅が見頃となりました
ただ猫の目のように変わるお天気と気温に身体が着いていかず
自律神経系が乱れていますが・・・

せっせと人に会い、歩いて気分転換を計っています。


2月26日に雨の鎌倉で催された「歴史漫歩」に参加してきましたが
場所によっては紅梅白梅が満開でした。

丁度一年前の同じ日に、北鎌倉でオフ会を催し「円覚寺」や「東慶寺」に
行きましたが、今年の梅の状況は雪が多かった去年と同じくらい?


この2月末には蕾も多く見られ、梅で有名な東慶寺は6~7分咲くらいの状況でしたでしょうか・・・
まだまだ初々しい梅が見られました。

            

取りあえず速報で鎌倉の梅の開花情報をお知らせし
まずは一ヶ月前に山仲間のYさんと行った「湘南アルプス」ハイキングの模様をUP致します。

高来神社から湘南平へ(2月1日)
当日はお天気に恵まれ、絶好の陽だまりハイキング日和でしたが
もう一人の山仲間のKさんが急きょ仕事が入り、同行出来なかったのが残念でした。


Yさんと二人でJR東海道線「平塚駅北口」から大磯方面行きのバスに乗り、およそ10分
右手の車窓にポコポコと連なった山並みが見えてきました。

「あれがきっと湘南アルプスね」と、Yさんと話しながら「花水バス停」で下車
国道一号線を進行方向の西に進みます。

昔から通じていた「東海道」、沿線には古い家が目立ちました。


高来神社入り口で信号を渡り参道を行くと、右側が「慶覚院」
正面が「高来(たかく)神社」です。


このコースは「関東ふれあいの道」の一部を歩くことになるようですね。


神奈川県中郡大磯町高麗、高麗山の麓に高来神社があります。

登山道は神社の裏側より始まります。
私が写真を撮っている間、Yさんはストレッチをしていました。


「高来(たかく)神社」は江戸時代まで「高麗寺」に属し、神仏分離により、
明治元年「高麗神社」となりましたが、明治30年に現在の名称に変わったとか・・・

ただ今でも地元の人々は「高麗の権現様」と呼んでいるそうです。


登山道は「高麗山県民の森」の中を進み、すぐに「男坂」「女坂」と別れますが
途中で合流します。

Yさんは本年初歩きですから、私たちは「女坂」を行きました。


およそ20分、最後の階段を登ると「高麗山」です。

頂上は常緑広葉樹に囲まれ、眺望は殆どありませんが
ここは高麗寺の上宮・高麗権現社があった場所だそうです。

時計を見ると10時半、私たちは一休みして軽くパンを食べました。


奈良時代のころ朝鮮半島の高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く
その中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。

若光は一族をつれて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、
この地に高度な文化をもたらしました。

高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになったようですね。


「高麗山」を出発し5分で「八俵山」
尾根道に出ると富士山が見えてきました。


ここから先は気持ちの良い「陽だまりハイク」が楽しめます。
大寒のさ中とは思えない暖かさでした。


11時過ぎに、一等三角点のある「浅間山」に到着です。
木々の間から「富士山」と「丹沢の山々」が見えていました。


富士山を登る時に発する掛け声の「六根清浄」という意味と
浅間神社の由来が分かりましたね。

反対方向からやって来たハイカーが「湘南平からの眺めが素晴らしかったわよ」と・・・
ここでは休まずに先に進みました。


上り下りを繰り返し、右手のアスレチックの斜面を登ると
湘南平のテレビ塔の横を通り、広い湘南平の東側に出ました。


整備された頂上は千畳敷と言われる広さで、中央部は広場となっています。
平塚駅からここまでのバスも通じていて、レストランを併設した展望台が建っていました。

そこに登ると、まさに360度の大展望が広がっており
Yさんと2人で思わず「わぉ~」と歓声を上げましたわ



「手巻き寿司パーティー」(3月1日)
今日は3月3日、お雛様の日です。
今年は私のお雛様も出しませんでしたが・・・

新潟に住む高校時代のクラスメートからたくさんの「甘エビ」が送られてきたので
一足早い一昨日の日曜日、我が家で手巻き寿司パーティーをしました。


毎年、息子の所で菜奈ちゃんの誕生祝と桃の節句を祝って両家で集まりましたが
今年はオカータンも忙しくて時間がとれず・・・

実家のお母様のお加減も悪いそうで(我が家も主人が居ませんしね)
菜奈ちゃんへのプレゼントは後ほどということで、我が家で誕生祝の乾杯をしました。

去年までの10年間、皆元気で集まり孫たちの誕生祝や、全員で行っていた旅行が
如何に貴重な時間だったのかと、改めて思い知りました。

今回我が家でこの様な機会を催す気になれた「甘エビ」・・・
送ってくれた新潟の旧友に御礼申し上げます。

冷たい雨の日曜日でしたが、お陰様で楽しいひと時が過ごせましたよ。
ありがとうございました



コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする