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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

新春・鎌倉五山ハイキング(2)

2015年02月21日 | ハイキング・散策
鎌倉五山第一位「建長寺」
臨済宗・建長寺派の大本山の建長寺は、北条時頼が建長五年(1253)に宗から来日していた
高僧・蘭渓道隆を招いて建立した我が国最初の禅寺です。

回春院
私たちが脇道を下って着いた大覚池の畔には、建長寺の塔頭・回春院がありました。


この一帯は朱垂木やぐらなど、多くのやぐらが点在する広大な谷戸を擁しています。


天園ハイキングコースから巻いて下ってきた建長寺

この日のルートは仏殿をお参りしてから、半蔵坊経由で登り
再びハイキングコースの「勝上献」の展望台に戻るようです。

方丈入口の「唐門」

重要文化財で仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人(お江さま?)崇源院霊屋から移築したもの。
関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現されました。
(ウキペディアより)

新しくてピカピカの「唐門」です。
時間があれば方丈の中に入り、夢想国師作の名庭園を見物する事もできます。

目にしたお花は大きなミツマタの蕾と大寒のさ中に咲く椿くらいでした。


ここで各自自由に仏殿に安置されている御本尊の地蔵菩薩坐像をお参りしました。
この地蔵菩薩は室町期のものと考えられ、像高は371.5㎝


創建当時の伽藍配置は、総門、三門、仏殿、法堂などの主な7つの建物が中軸上に並ぶ
中国の禅宗様式の伽藍配置になっており、49の塔頭(小寺院)を有する大陸的な荘厳なものだったとか

その後、14,15世紀に起こった数度の火災で、その多くが焼失してしまいましたが
江戸時代に入り、高名な沢庵和尚の進言で再建されたそうです。

半憎坊へ
建長寺裏山の中腹にまつられているのが半僧坊、およそ200段の石段を歩いて登ります。


天狗の像や寄付者の石碑が面白い・・・
明治時代に静岡の方広寺(奥山半僧坊)から建長寺の鎮守として勧請しました。

金200円って、当時では今のいくら位だったのでしょうね?


半僧坊からさらに石段を登っていくと、天園ハイキングコースの「勝上献展望台」にたどり着きます。

途中振り返って見た「建長寺」


オニギリを食べた展望台に、一時間半かけて戻ってきました。

この一週間前にはオフ会や学生時代の友人たちとの食事会で
ちょっとお洒落して5㎝のヒールのロングブーツを続けてはいて、左足の薬指にマメができ
それが痛みだしました


再び天園ハイキングコースを歩きだし、覚園寺方面に下ります。


覚園寺は寄らずに鎌倉宮前をかすめて、一路住宅街を歩いて最後の「浄妙寺」を目指します。


鎌倉宮の鳥居の横に早咲きの桜(河津桜?)が咲いていました

鎌倉五山第5位「浄妙寺」

午後3時過ぎにようやく浄妙寺に着きました。

途中神奈川県警の機動隊の腕章をつけた屈強な男性たちが、四辻ごとに立っていました。
「何事

どうやら鶴岡八幡宮で皇太子殿下が会議に出席なさり、この通りが帰路となるらしい・・・
機動隊の方々の物々しい警備は朝比奈インターまで続いているのでしょうね。
ご苦労様です。


こちらは2012年3月12日に行った時の浄妙寺です。
この時は梅が見事で、ユキワリイチゲも咲いていましたこちらです。

今回行った1月24日は、まだすべてが固い蕾でしたね。

その代りセツブンソウが辛うじて見られました。ロウバイはそろそろ盛りが過ぎたでしょうか?


私たちはご本尊の釈迦如来が祀られている本堂をお参りして、一休みし・・・
神奈川県警さんが立ち並ぶバス停からバスに乗り、鎌倉駅に出ました。

解散は午後4時近く・・・
休憩時間を入れて6時間以上の鎌倉歩き
流石にワンゲルの会、たくさんたくさん歩きました。

            


我が家の家庭菜園
去年は色々ありすぎて、畑まではとても手が回らずやめるつもりでいましたが
お隣の畑をやっているご近所仲間のノンちゃんのご主人が綺麗に草を刈り土を施してくれたので
やらないわけにはいかず・・・


ブロッコリーの苗を八本買ってきて植え付け


葉物と大根のタネを蒔きました。

1月には小さいながらもみな見事に茂り・・・
私も毎日食して、お蔭で風邪もひかなくなりました。

それが何と言うことでしょう
2月になったら鳥たちに、見事なまでに食べられました。

ブロッコリーの葉がスジを残すだけチンゲン菜も小松菜もやられました


ブロッコリーは脇芽も次々に出て、春先まで楽しめるのですが
葉っぱがなければそれも無理

菜園をやって20年以上になりますが、こんなことは初めてです。
それだけ鳥たちにとって、今年の冬は餌不足ということでしょうか

辛うじて食べられるのは大根だけとなりました
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新春・鎌倉五山ハイキング(1)

2015年02月16日 | ハイキング・散策
10日ぶりの更新です。
毎月第二週目は趣味の教室が続く上に、今月から合唱サークルにも入会し
忙しい日々を過ごしておりました。

合間に映画鑑賞やハイキングをこなし、流石に少々疲れ気味です


朝晩はまだまだ寒いものの、日中は春を思わせる暖かい日が続き
我が家の庭の梅が咲きだしました。


主人が育てた鉢植えの白梅も咲いています。

八重の紅梅の横に早咲きの「「冬至梅があったはず」
探しましたが見当たりません

主人のお仲間さん達が我が家の庭の木々をバッサリと刈ってくれた時に、
まだ細くて小さな枝の冬至梅も根元から刈ってしまったようです。

          

ウツ予防のために、雨や雪の日以外は出来るだけ歩くようにしています。

銀行やデパートがある駅前まで歩いて、あちこち寄って買い物して
往復すると丁度7000歩

趣味のサークルの会場となるコミニティーハウスと、そのすぐそばのスーパーで
買い物をして往復すると3100歩

夕方の防犯パトロールに参加すると6500歩・・・

ハイキングだと1回で15000歩~20000歩位でしょうか?
この三週間で4回ハイキングに行きました。

一番最新の15日(日)に行った三浦半島では、河津桜が2~3輪咲きだしていましたが
見頃はまだまだ先のようでした。

新年初歩き「鎌倉五山」ハイキング・1月24日(土)
年初めに入会させていただいたワンゲルの会の企画に参加しました。
集合は鎌倉駅西口9時半、参加者は18名でした。

鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。
第一位「建長寺」
第二位「円覚寺」
第三位「寿福寺」
第四位「浄智寺」
第五位「浄妙寺」

この様に格付けされています。

最初に向かったのは第三位の「寿福寺」です。

源頼朝の夫人北条政子が、臨済宗を日本に伝えた栄西を鎌倉にむかえて
1200(正治2)年に建立したと言われる名刹です。

本尊は釈迦牟尼仏、ただ本堂のある境内には入れません。


寿福寺背後の山腹、唐草やぐらと呼ばれるやぐらが源実朝の墓といわれ
鎌倉末期から南北朝にかけての姿を伝える五輪塔が立ち、その後ろに石棺があり

隣に並んで北条政子の墓と伝えるやぐらがあり、やはり五輪塔が安置されています。

その後住宅地から突然山道に入りあっという間に浄智寺裏に出ました。


この急登は前々日に降った雨の影響でズルズルに滑りました。

私にとっての鎌倉歩きは、もっぱらカメラ仲間との撮影か
友人との食事と散策が主なので、靴もウォーキングシューズが殆どで、

今までの鎌倉五山もすべてそれで歩いていますが
ワンゲルの会主催の今回は用心深くトレッキングシューズを履いてきましたよ。

鎌倉五山第四位「浄智寺」

北条宗政とその子師時によって、1281(弘安4)年頃創建されたといわれています。

本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の木造三世仏坐像で、
それぞれ過去・現在・未来を象徴しているそうです。

本堂でお参りしてからやぐらなどを見て裏手洞窟の布袋尊のお腹をなでなでしました。。



そして次に向かったのが北鎌倉駅前にある第二位「円覚寺」
ここは私の実家のお寺のご本山なので、私もしょっちゅう来ていますね。


現存する、室町初期の建築とみられる舎利殿は、 禅宗様を代表する建物。

ロウバイの黄色が色を添えていました
本尊は宝冠釈迦如来。

執権北条時宗が1282(弘安5)年、元寇の戦没者追悼のため宋僧の無学祖元を招き
開いた寺院で鎌倉時代を通じて北条氏に保護されたそうです。


歩く会ですから一番奥にある「黄梅院」まで行きました。
その入り口に掲げられていた書が、今の私の胸に沁み入りました・・・

ミツマタの蕾も大きくなって・・・黄梅院の庭のマンサクが咲きだしていました。


鎌倉五山の中でも、一番お花が楽しめる円覚寺
毎年新緑や紅葉の時期も撮影に来ていますが、素晴らしいと思います。

次に目指すは第一位の「建長寺」
バス通りを鎌倉駅方面に歩いて行けば25分くらいで着きますが・・・

流石に歩く会、明月院横から山越えです。昨年11月に歩いた鎌倉アルプスを再び登ります。


建長寺裏の展望台「勝上献」に到着しました。


この日は残念ながら富士山は見えませんでしたが・・・
ここで一休み、40分の昼食タイムとなりました

眼下に並ぶ鎌倉五山第一位の「建長寺」の伽藍が見えていて
このすぐ下が建長寺の裏門で、拝観料300円を徴収されます、


そのまま建長寺に下るのかと思いきや

建長寺とは反対側に進み、相模湾や鶴岡八幡宮の段カズラが望める展望台に登ってから
天園に向かう本通りを右にそれて、人の姿が殆どいない脇道に入りました。


流石にワンゲルの会、楽なコースは進みません
トレッキングシューズを履いてきて正解でした。


しばらく下ると、ポンと建長寺境内の「回春院」に出ました。





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「相模川」河畔ウォーキング(その2)

2015年01月10日 | ハイキング・散策
ピンクに続いて、黄色のシンピジュームが咲きだしました。


主人の管理がなくても咲いてくれたことに安堵しましたが・・・
今後、私一人でこれらの花々を守っていくことができるだろうかと不安になります。


新しい年が明けて早10日が過ぎました。

松の内はボンヤリと過ごしましたが、7日から私もようやく始動開始
新年会や孫の預かり、はたまたご近所仲間との日帰り温泉行
写真サークルにも参加しましたが・・・

この3連休は趣味の会もなく、友人たちとの約束もなくてちょっと淋しい
お正月や連休は「ファミリーの日」なんですよね

孫のハー君はサッカーの県大会の試合があり、息子夫婦もそれに駆りだされ忙しいようで
私は一人で、いよいよ主人の部屋のかたずけを始めました。

思い出の品々を見てはジィ~ンとしてしまい、中々はかどりません




ご紹介が途中までになっていた「相模川河畔ウォーク」(12月19日・金)
最終回を続けます。


JR相模線倉見駅をスタートして、「寒川神社」をお参りしてから
「寒川取水堰」で昼食を済ませ、堤防堤を南に下って行きました。

川ではシラサギが遊んでいましたよ。


ベンチのある所で一休み・・・
左に富士山、右に丹沢山系、贅沢な眺めです。

「湘南銀河大橋」

県道44号 伊勢原藤沢線にかかるこの橋は平成9年に開通した比較的新しい橋梁で
平塚市四之宮から寒川町田端を結んでおり、斜張橋となっています。

堤防下はサッカーグランドになっていました。


箱根連山が見えてきました。


ボートがたくさん並んでいました。海が近くなってきたようです。

午後になっても雲一つない青空に、富士山がクッキリと見えていました。


国道1号が相模川を渡るところに馬入橋があり、北側には馬入ふれあい公園、
南側には東海道本線の馬入川橋梁があります。

東海道線をくぐると潮の香りがしてきました。


彼岸花で有名な「小出川」が合流し、いよいよ河口も間近です。


国道134号の陸橋を渡ると、茅ヶ崎市と平塚市間の相模川に架かる湘南大橋が目の前でした。
主人と箱根や伊豆方面に行くたびに、車で通った道ですね。

箱根の山々もクッキリと見えています。

右の尖った山が「金時山」、なだらかな山稜は「明星・明神」
そしてギザギザの山が「神山」、ポッコリとお椀をさかさまにしたような山が「駒ヶ岳」
一番左が「二子山」でしょうか・・・

「柳島しおさい公園」と「湘南大橋」


私たちは陸橋を渡り、下水処理施設の上にできた柳島しおさい広場で一休み
午後2時近くなり、富士山も逆光気味に見えていました。


134号線に出て「湘南大橋」を渡ります。

全長698m。相模川に架かる橋の中で最も河口側に存在しています。


川と海が交わる先に「大島」が見えていました。
橋を渡ってすぐに左に下り、あの河口の傍まで行くようです。


東側には「江ノ島」と三浦半島が広がっていて
釣り人たちが数人いるだけの静かな風景でした。

ブログ仲間の山小屋さんの所属する会のお仲間たちと歩いた約11キロ、
4時間あまりののんびりウォークを楽しんで
最後はここからバスに乗り、皆さんと平塚駅に出ました。

駅ビルで殿方5人との打ち上げに参加歩いた後のお酒は美味しいですね。


外で飲みたくなっても中々女一人では入れない居酒屋さん
楽しいひと時でした。

山小屋さんはじめ皆さん、夫を亡くして4ヶ月が過ぎた私を慰め引き立ててくれて
ありがとうございました

今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。




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「相模川」河畔ウォーキング(その1)

2014年12月29日 | ハイキング・散策
今年もいよいよ残すところ2日となりました。
僅か半年間に父と夫を続けて亡くした今年は、
私にとって人生で最大の辛い年となりました

心痛で押しつぶされそうになり、3ヶ月間は眠れない&食べられない日々が続き、
これではイカンと反省、まずは外に出て身体を動かさなければと思った次第です。

そんな折、ブログ仲間の山小屋さんがお仲間と歩かれている「相模川ウォーキング」の
最終回に参加させていただきました。

「寒川神社」(12月19日・金)
集合は相模線「倉見駅」に9時45分
小さな駅舎の前に、山小屋さんを始め過去にも何度か一緒に歩いた
顔なじみの方々の姿がありました。


20~30分歩くと、相模の国の一之宮「寒川神社」の境内に入りました。
思っていた以上に立派

寒川神社は、約1500年余の歴史を有する由緒ある神社です。
地相、家相、方位、日柄などからくる悪事や災難を払い除く御祈願、八方除が有名です。


我が家は毎年元旦に、横浜市の鎮守様「伊勢山皇大神宮」に初詣に行っていましたが
今年のような不幸が重なると、これからは神奈川の鎮守様でもあるこの神社に来ようと思いました。


まだクリスマス前のこの時期は、人も少なく静かな境内でしたが・・・
新しく塗り替えられた御神輿が運ばれてきました。


霊峰富士を源とする清流相模川がおりなす自然の中に寒川神社は鎮座します。
公式ホームページはこちらです


狛犬さんも凛々しくて立派

結婚式もできる会館でトイレタイム
そしていよいよ富士山を眺めながらの相模川河畔歩きが始まります。


厚木基地の自衛隊の練習機でしょうか?
飛行機が旋回していました


富士山の右手には丹沢山系が続きます。
手前の高い山が「大山」ですが、我が家近辺から見る姿と少し違って見えました。


この日は富士山が、最後まで雲に隠れることなくスッキリと見えていました。


のどかな風景が広がっています。
肝心の相模川はどこ~

朝は寒かったのですが、歩いているとポカポカと温かくなりました。


まだ工事中の圏央道
今は東名の海老名まで開通していますが、最後は茅ヶ崎まで通じるようです。

主人と最後に行った軽井沢ドライブ旅行で走った圏央道・・・
その時のことを思いだしました。

相模川「寒川取水堰(せき)」
我が家の水道は相模川水系と聞いています。
そこでちょっと「相模川」についてのお勉強

”上流の山梨県では、桂川、河口近くの下流では、馬入川と呼ばれている。
古くは、鮎川と呼ばれた。

富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。
富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。

都留市を経て大月市で流路を東に変え、相模湖と津久井湖という2つのダム湖を経て、
厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き
平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ”(ウィキペディアより)



堰の横にベンチなどが置かれた公園があり
少し早い昼食となりました。

山小屋さんが何やら茶色の液体を注いでくれました。
ウィスキーかと思いきや「せんぶり」でした

「お腹に良いよ」と・・・


やっと相模川が見えてきました。

この日の歩きは11km、体力が弱っている私でも大丈夫と判断して参加
最後は茅ヶ崎と平塚の中間の海に注ぐ河口まで歩きました。

続きの画像は年明けになりそうですが、引き続き宜しくお願いいたします。


          


クリスマスが終わると巷はお正月モードに突入で、世間の皆様はお正月準備に大忙しの暮れですね。
喪中の我が家は「暮れもお正月もなし」としていましたが・・・

急きょ主人の下の姉が大晦日から泊りがけでやって来ることになり
慌てて大掃除に取り掛かっています。

昨日はリビングの照明がチカチカし出して、息子と山〇電気に行き
LEDの照明器具を買ってきました。

いつも主人と2人で行っていた大手家電量販店です。
同伴者が息子に替わって、昼食を一緒にした事が今年の変化の大きさですね。

その息子も今日から家族で長野にスキーに行きました。
サッカーチームのお仲間の別荘が信濃大町のスキー場近くにあるそうで
ここ3年、暮れからお正月の恒例行事となったようです。

私は一人ぼっちの淋しい年越しを避け、温泉&カメラを目的に
熱海のホテルを予約しましたが・・・

「年末年始の一人旅は特に淋しい思いをするわよ」と友人に言われ
義姉の好意を優先し宿はキャンセルして、我が家で未亡人同志二人
しみじみと語り合う年越しになりそうです。

主人亡きあとはたくさんの皆様に助けられ、(風邪はひいてしまいましたが)
何とか倒れずに日々過ごすことができました。

多くのブログ仲間さんたちにも励まされ
「一人ぼっちではない」としみじみ感じています。
ありがとうございました。

新しい年はもっと前向きに、楽しいことを考えて過ごさねばと思っています。
拙いブログですが、来年もどうぞ宜しくお願いいたします




  
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鎌倉アルプスを目指して(その2)

2014年11月29日 | ハイキング・散策
11月27日(木)・我が家から見た富士山

三連休明けの2日間は冬を思わせる冷たい雨が降りましたが
翌日の27日は見事に晴れ上がり
我が家の2Fのベランダから、4合目まで雪をかぶった白い富士山が望めました。

雨の日は孤独感に襲われ、朝から心の中で「淋しい!淋しい!」と呟いていますが、
25日は主人の仕事集団のお仲間代表のF氏がやってきて
今年中に申告しなければならない主人の「事業の税金の申告」の作業をしてくれました。

この時期が庭師にとって一番忙しいのを知っていますから心苦しい限りですが、
雨の日は仕事ができませんものね。甘えることに致しました。

26日は午後から孫たちがやってきて大賑わい・・・
お嫁ちゃんが「お腹の風邪」にやられたとかで元気がなかったのが心配でしたが

そしてお天気に恵まれた27日&28日はご近所仲間ののんちゃんが、
我が家の和室の前の藤棚を補強し剪定してくれました。

主人の仲間たちが我が家の庭を刈ってくれた時
藤棚にキジバトが巣を作っていたので、そのままになっていたのです。

彼女は毎年見事なフジの花を咲かせる名人、器用で頼りになる友人です

こうして皆様に助けられ、何とか日々を過ごしています。


「大丸山~天園~大平山~北鎌倉」(11月16日)
さて・・・
横浜の円海山から鎌倉アルプスまで歩いたハイキング後半のご紹介です。

横浜市の最高峰「大丸山」の頂上で早い昼食をとったのち鎌倉を目指しました。


「上郷森の家」への道を右に分けると小さな分岐
左手を登ると「関谷奥見晴らし台」です。

ベンチが置かれた広場の先にはラウンドマーク方面が見えていました。


大きな横浜霊園を右手に眺めながら緩やかな道をたどると市境広場。
天園へは狭い道を進むことになります。


如何にも鎌倉らしい切通しを思わせる景色となりました。
この狭い岩溝も古い歴史が刻まれているのでしょう。

やがて天園の茶店が現れましたが、あまりの大混雑に休憩は諦めて
さらに建長寺方面を目指します。

鎌倉も秋色に染まっていました。歩いてきた稜線が見えました。




右手にゴルフ場が見えてくると、鎌倉の最高地点の「大平山」(159m)です。
大勢の人々が休んでいました。


1年前の12月6日に、ブログ仲間の山小屋さんのグループと反対側から登ってきて
ここでおにぎりを食べましたこちらです。


ファミリーで楽しめる「鎌倉アルプス」
休日は大賑わいです。


朝の9時前から歩きだした私たち、お昼を廻ってそろそろ疲れてきました。


横浜のベイブリッジ方面が見えてくると、まもなく建長寺です。


展望台から建長寺を眺めて、私たちは北鎌倉を目指しました。


モミジが赤く染まりだしています


北鎌倉に向かうコースは人が少なくて静かな感じです。


階段を下ると鎌倉らしいやぐらが現れて・・・
その先はアジサイで有名な「明月院」でした。

2時を回って流石に疲れました。
いつものお店でクリームあんみつを食べてしばしお喋り

富士山は見えなかったけど、お天気に恵まれ、
気の合った仲間と歩いた楽しい1日でした。
翌日は三人共「腰が重い」というメールが流れましたが・・・

私は喪中葉書を出した途端にあちこちからお花やお手紙・お香典が届き

主人の古い友人たちも来て下さり、再び接待に追われる日々
右目が真っ赤に充血して、ウサギの目のようになりました

疲労とストレスと精神安定剤が原因の乾燥による「ドライアイ」だそうで
PCは良くないとか

ブログ仲間の皆様の所にもご無沙汰で、ブログの更新も遅れがちになりました


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鎌倉アルプスを目指して(その1)

2014年11月21日 | ハイキング・散策
主人が亡くなった10日後に、山仲間の2人が我が家に来てくれて
「少し落ち着いたら気分転換に是非ハイキングに行きましょう」と
励ましてくれました。

三ヵ月たった今でも、私はまだ全然落ち着いた状態ではありませんが・・・
取りあえず体調不良が改善されたら、無性に歩きたくなり
早速彼女たちに付き合ってもらいました。

最初は紅葉が見頃の箱根の山に登り、温泉を楽しもうという話も出ましたが、
体重が4kg以上も痩せた私はお腹に力が入らず、苦しい登りは自信がなくて

まずは足慣らしとして、我が家近くのハイキングコースを歩くことにしました

「港南台駅~円海山~大丸山」へ(11月16日)

この日は我が家から歩いて20分の、JR根岸線の「港南台駅」に9時に集合です。

KさんYさんと一緒に、我住宅地から続く環状3号線に出て左折し
消防出張所を右に曲がると市民の森の案内板がありました。


鎌倉に近い横浜南部の栄区・港南区・磯子区・金沢区にまたがる広大な森は
緑豊かな市民の森として整備され、たくさんのコースが楽しめます。

私たちは一番ロングの鎌倉アルプスの「天園」を目指すことにしました。


瀬上市民の森公園の緑の中の舗装道路は緩やかな丘陵地帯を眺めながら
円海山へと登っていきます。

この日は日曜日、多くのハイカーの姿が見られました。


まずは「いっしんどう広場」を目指します。

やがて大きなパラボラアンテナが見えてきて、右手には箱根の山々が霞んでいましたが
この日は雲が多くて富士山は確認できませんでした。

NTTの中継塔が建つ円海山山頂は鉄棚に囲われ立ち入ることはできません。
左手にはみなとみらい方面が見えていましたので、金網の合間からコンデジで撮影しました。

畑の向こうに見えるラウンドマークタワーベイブリッジとつばさ橋をズーミング


車止めを入って進むといよいよハイキングコースらしくなります。


いっしんどう広場にはベンチが置かれ、整備されていました。


私たちは横浜で一番高い「大丸山」経由で、鎌倉の天園を目指します。


気持ちの良い緑の中を歩きながら
童心に戻ってドングリを拾ったり、歌を歌ったり・・・


私とKさんは同じ年の生まれなので、子供の頃の思い出の歌は一致しますが
3歳若いYさんは「知らないわ」が多かった・・・

でも何故か、KさんとYさんが
黒潮騒ぐ海越えて 風にはためく三角帆
めざすは遠い夢の国 ルソン 安南 カンボジア

遠く オランダ イスパニア
面舵いっぱーい オー オッオッオッオッ オーッ!

声をそろえて最後まで歌い切りました。

「ラジオで覚えたけど、何と言う題名だったっけ?」


ハイキングコースの近くには住宅地が広がっていますので
気軽に犬の散歩をする人の姿も見られます。

私たちはひたすら「鎌倉天園」を目指します。


歌は「笛吹童子」「「紅クジャク」と続きました。


横浜の最高峰「大丸山」山頂に向かう階段が現れました。
左手の階段は135段、ここまでのコースで最大の登りです。

周囲の木々が色付きだしていました。久しぶりの登りに汗が出ました。




ようやく「大丸山」頂上に到着です。

時計を見ると10時45分・・・
港南台駅から途中地区センターでトイレタイムを入れて
1時間45分でした。


目の前に広がる入江は八景島
遠くかすむ山並みは房総の山々?


頂上には大勢の人々が休んでいました。
日曜日なのでファミリーの姿も目立ちます。

私たちもここで一休み、持ってきたおにぎりやパンを食べました。
お喋りも弾み・・・
久しぶりに味わった気持ちの良いひと時に、心身ともに満足しました





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今年最後の紅葉ハイク・鎌倉「獅子舞」

2013年12月15日 | ハイキング・散策

木枯らしが吹いて紅葉も終わり
街にはクリスマスイルミネーションが輝く季節となりました

気分を切り替えたいところですが、いまだに紅葉を引きずっている私・・・
今年最後の「鎌倉・獅子舞」の紅葉をご紹介いたします。


北鎌倉から天園ハイキングコースへ(12月6日)
ブログ仲間の山小屋さんに誘われて
「日本ワンダーフォーゲル会」の皆様たちと、鎌倉アルプスを歩いてきました。


北鎌倉駅前に10時集合、今回の参加者は21名だそうです。

「円覚寺・総門」前の美しい紅葉の写真を撮ったのは2週間前でした。
鮮やかだったモミジもちょっと淋しくなりましたね。

「明月院」前の銀杏がまだまだ綺麗♪紅葉の中、明月院横から登ります。


この日はわりに暖かい日和で、私もフリースの上着を脱ぎました。


住宅地が途切れると、いよいよ階段の急登が始まります。

「明月院」からおよそ40分、11時丁度に展望台に到着です。

鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)を形成する山の一つである
勝上けん(しょうじょうけん)山頂の展望台は、
建長寺登山口からのコースと合流します。


眼下に見えているのが「建長寺」
「天園ハイキングコース」の発着地点ですが、拝観料が取られます。
それが悔しい人は北鎌倉の明月院横の登山口利用をお勧めしますね。

4年前、私は獅子舞の紅葉を見てから建長寺に下りましたがこちらです。
建長寺の紅葉もそれなりに綺麗でした


鎌倉の街並みの向こう側には富士山が・・・
この日は気温が上がったのでガスっていました。

展望台から5分ほど歩くと、「かながわの景勝50選 鎌倉十王岩の展望」と
書かれた石碑があり、八幡宮前の若宮大路から続く鎌倉の海が見えましたが
逆光で光っていて、写真は撮れませんでした


反対側の横浜MM21のラウンドマークタワーが良く見えて
ズームを使って撮りました。
ベイブリッジとつばさ橋も、右手に続いています。


しばらく行くと右手に「覚園寺」、左手に「今泉台」へ下る十字路に出ます。

私達は覚園寺側に少し下り、「やぐら」を見ていくことにします。


この覚園寺裏のやぐら群は「百八やぐら」といわれ、
鎌倉一のやぐら群として知られるそうです。

やぐらとは横穴式のお墓の事身分の高い人が眠っているらしい


私たち以外、ここを歩いている人はいませんでした。


たくさんのやぐらを見ながら、狭い道を登っていくと
天園に向かうコースに合流しました。


12時少し過ぎに、このコースの最高峰・大平山頂上に到着です。
左手はゴルフ場で眺望はききません。


ここで1時間の昼食タイム。
おサルの山のような岩に腰掛けて、持ってきたおにぎりを食べます

広場の先には公衆トイレもあり、大勢の人々が休憩していました。


天園の手前で再び横浜MM21のラウンドマークタワーが見えるところがあります。

天園は別名「六国峠」とも言われ、武蔵、相模、上総、下総、伊豆、
駿河が望めたことからその名がついたそうですが
この日のこの時間は日差しの関係で海より、横浜方面の方が良く見えました。


足元には小さな小さな「ハキダメギク」が・・・
「こんなに可愛いのに、可哀想な名前だね」と
歩く植物図鑑のように詳しい山小屋さんが教えてくれました。

私はザックから一眼レフカメラを取り出して撮りました

「天園峠の茶屋」を左手に見て進むと、いよいよモミジで有名な
「獅子舞」への下りです。

「獅子舞」の紅葉
瑞泉寺への道を右に分け下って行くとモミジのトンネルが・・・


リーダーが「まだ1時半で少し早いけど・・・」と呟きました。
日の光の関係で、獅子舞は2時頃通るのがお勧めらしい。


上の展望台から見た時はくすんで見えていたモミジが、輝いていました
一同歓声を上げました


黄色い銀杏は終わっていましたが、赤いモミジが素晴らしい


4年前に来た時よりも、更に赤く染まっていました


人の多い真ん中の道は避けて、太陽に向かって眺められるように
右側の道を行きました。


私にとっては3度目の獅子舞のモミジですが、今回が一番です

4年前の獅子舞の紅葉はこちらですが
去年は早すぎて駄目でした。


「紅葉の撮影は逆光に限ると開眼した今年
最後に見事な山の紅葉に出会えて嬉しい限りです

赤いモミジのトンネルを15分足らずで通り抜け「鎌倉宮」方面に進むと
「永福寺復元工事現場」が見えてきて・・・

ふた手に別れ、健脚組みは更に永福寺跡の背後の里山を歩きました。
流石に「元ワンゲル部」は違いますね

遊歩道を登っていきます復元工事が見渡せました。


源頼朝が建立した「永福寺」(よふくじ)の説明板が
脇の公園に立っていました。


公園のベンチで一休みしてから、鎌倉宮経由で鶴岡八幡宮まで歩きました。

午後3時、鶴岡八幡宮で解散です。
1時間の昼食休みを入れて、丁度5時間の気持ちの良いハイキングでした。

勝手知ったるマイフィールドですが、明月院横からの登りや
「108やぐら」の見学、永福寺跡の里山遊歩道を歩いたのは初めてでした。

最後の反省会と称して小町通の居酒屋さんで飲んだも美味しかったです。
山小屋さん、お誘いいただきありがとうございました

気分も爽快に今年最後の山の紅葉を楽しんでから1週間目の12日夜
父は肺炎と心不全で再び緊急入院をしました。
(退院してから3週間後になります)

今回は酸素マスクと体中にデーター機器も取り付けられ
食事もなしで、ちょっと重篤な状態で心配です。

私はまたまたイザという時には、すぐに病院に駆けつけられる範囲での
行動しかできなくなりました


ますます慌しい年の瀬です


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濃密な休日1・「等々力渓谷」

2013年11月20日 | ハイキング・散策
晴天が続き、連日富士山が綺麗に見えています

17日の日曜日も、気持ちの良い小春日和に恵まれ
午前中、山仲間のYさんに誘われ世田谷にある「等々力渓谷」を歩いてきました。


東横線の自由ヶ丘から大井町線に乗り換え「等々力駅」で下車

駅南側徒歩2分の所にある赤いゴルフ橋の脇から、らせん状の階段を下ると
鬱蒼とした渓谷に出ます。


下流の矢川橋迄の僅か700Mの距離が、東京23区内唯一の渓谷「等々力渓谷」です。

Yさんと一緒に三浦半島の「武山」を歩いていた時
「17日の日曜日に、私が通っている大学の音楽堂で邦楽ミュージカルが催されるのよ」
「一緒に見に行かない?」と誘われました。

「1時半開場だから、午前中は同じ沿線にある等々力渓谷を歩こう」となり
「ついでに五島美術館にも寄りたい」と・・・

Yさんの提案で盛りだくさんのスケジュールが組まれました
すべては土地勘のある彼女にお任せです


等々力(とどろき)渓谷は、矢沢川が武蔵野台地を削って形成した渓谷です。
決して清流とは言えませんが・・・
宅地化が進んだ今でもなお、周辺には深い森林が残り、斜面の各所から湧水が湧き出ています。

詳しい地図と説明はこちらをご覧ください。


渓谷に沿ってしばらく歩き、玉沢橋をくぐるとすぐに、
等々力渓谷三号横穴の標識が見えてきます。

左手の斜面を上がると、古墳時代後期から奈良時代(7世紀後半~8世紀)のものと推定される
横穴式古墳がありますが、残念ながら工事中で中には入れませんでした。

更に遊歩道を進むと左手に稲荷堂と滝が現れるこの不動の滝も湧水です。


よく見ると、苔の間からも水が流れ出ていました。
東京礫層と呼ばれる地層から湧出しているそうですが・・・

矢沢川自体が、世田谷区桜丘五丁目付近の湧水に源を発し、
途中で複数の湧水を合わせて流下してきた川だそうです。


このすぐそばにお団子屋さんのようなお店もありましたが、私たちは先を急ぎました。

ブログ仲間のtonaさんが、国分寺にある野川の源流を紹介していますが
国分寺崖線(通称ハケ、立川から世田谷の等々力渓谷まで約25㎞続く河岸段丘)は
湧水が多いようですね。

「日本庭園」へ

等々力渓谷の終端近くの右岸に日本庭園があります(入場無料)

崖の地形や自然環境を巧みに活かした庭園で、豊かな緑が残されていました。

竹林を登っていくと、その先に色付いた木々が上に書院があり、周囲のモミジが綺麗でした。




書院ではセルフサービスでお茶をいただく事が出来ます。

縁台に座ってお茶を飲みながらイロハモミジの赤と黄のグラデーションに
見とれていたい心境ですが・・・

スケジュールが押していて、急いで写真を撮って先に進みます。

書院の隣は芝生広場、明るい武蔵野台地の風景の中でファミリーが楽しんでいました。
すぐ下に、木々に包まれた渓谷があるとはとても思えません。

ここには洋式もある綺麗なトイレがありました。

満願寺「等々力不動尊」
私たちは不動の滝まで戻り、急な階段を登って「等々力不動尊」に出ました。


不動堂本尊の大日如来像は、新義真言宗の宗祖興大師が山城国(現在の京都府)より、
この地に移したと伝えられています。

真言宗の開祖・弘法大師の才能にあやかって、学業成就、芸事上達のご利益があるそうですが・・・
ここはパワースポットとしても有名のようでした。

ここから幹線道路(目黒通り?)を歩いて等々力駅に戻り、次の目的地に向かいました。

私は今回一眼レフカメラを持って行きましたが、
コンデジで撮ればよかったと反省です

暗い渓谷内、歩きながらの三脚なしでの撮影はブレブレとなってしまいました
Yさん、何度も立ち止まらせてごめんね。


               

11月19日・父が退院
風は強いもののピカピカの快晴に恵まれたこの日、父は無事に退院しました
戻った先が自宅ではなくホームというのが少々切ないのですが・・・

施設の方々が、父の発熱以来日々細かく様子を見て処置し
知らせてくれて助かりました


肺炎&心不全、肺に水もたまっていたようです。
それらもようやく治り、施設側の許可も出て
父は退院できました

この地域の中核病院の周りの道路は「銀杏並木」が断然多いのですが
この所の冷え込みでいっきに黄金色に染まりました


弟一家は皆仕事に出ますので、ウィークデーの病院通いはすべて私がやりました。

なかなか下がらなかった熱の心配と、毎日出る洗濯物は
別洗いしなければならずけっこう大変

私自身の気分転換の必要性を感じ、17日の日曜は父のことを弟夫婦に任せました。

無事に退院を済ませ、施設の看護婦さんとケアマネさんと現場のスタッフさん
そして私の4人で、これからの父の事で打ち合わせをし

その後父の昼食の介助をしたら、90%食べてくれたので一安心

両親や周りのお年寄りを見るにつけ、人間食べることの大事さを思い知らされました。

帰路、青空を見上げたらクラクラきて・・・
の計画も一向に進まず、ぼぉ~としています



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「武山~三浦富士」・癒しのハイキング

2013年11月10日 | ハイキング・散策
ようやく青空が広がった11月6日、三浦半島の「武山~三浦富士」を歩いてきました。


父の発熱からドタバタと半月以上も緊張が続き、心身ともにガチガチとなった私
これをほぐすには自然の中を歩くしかないと・・・

山仲間のYさんが空いていたこの日、お天気も良かったので
2人で、三浦半島南端の野菜畑の背後に連なる里山を歩いてきました。

最初の予定では箱根の山に登り、下山後温泉に入って、心身をほぐすつもりでしたが・・・

父の咳・発熱ともに芳しくなく、病院からの万が一の呼び出しにそなえ
我が家近くの2時間20分のこのコースに決めました。

「一騎塚」バス停からスタート

JR横須賀線の横須賀駅から、三崎口駅方面行きのバス(京急横須賀中央駅も経由)で30分
「一騎塚」バス停から歩き出します。時計を見ると10時10分でした。

バスを降り、車道をわずかに戻るとこのような案内板が立っていて
今回は青印で示した道を行きます。

案内板に従い脇道に入り、一騎塚を左に見て進み、富士見小学校の前を通り
住宅街の中を上っていきます。

日当たりのいい道路脇には大きなカタバミが紅白で咲いていました


Yさんの指の大きさと比較して見てください

人家が途切れると道は急坂になり古い石仏(お不動様?)が出迎えてくれます。




どうやらこの道は武山不動尊に通じる参道らしくて
コンクリートの道が頂上まで続いていました。


途中ベンチがあり、風景が開けたところがありました、
ここから富士山が見えるらしいのですが、この日は湿度が高くてガスっていました

武山頂上の「持経寺」
バス停からおよそ40分で頂上です。
お寺の正式名称は、浄土宗龍塚山持経寺武山不動院


武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、
漁業関係者から厚く信仰されているそうです。

頂上にはツツジが群生(2000本)し、アゼリアハウスと名付けられた休憩所の屋上からは
360度の展望が開け、「洋上には大島が望める」とガイドブックには記載されていますが・・・

この日は残念ながら休憩所が工事中で立ち入りは出来ませんでした
完成は来年の1月28日の「初不動」の頃になるそうです。

木々の間から雲海に浮かぶ房総の山々が見えていただけに
撮影できず悔しいです


武山から砲台山~三浦富士へと向かいます。

標高200mたらずの山々を巡るのは登山とは言わず、簡単ハイキングですが
ここからようやく土の山道が始まって、心が弾みます


武山を後に東に向かうと分岐があり、左に折れます。

「砲台山」
落ち葉を踏み分け歩く道は気持ちが良い武山から20分で砲台山です。




太平洋戦争で築かれた砲台の基礎と、海上保安庁の受信設備がありますが
木々に囲まれていて展望はききません。

来た道を分岐まで戻りますが、古い構造物が・・・登山道にたくさん咲いていたお花


戦時中「東京湾の入り口で敵を阻止せん」とした横須賀では
太平洋戦争時の名残を見ることがありますね。


途中立派なベンチが設置された見晴台があり、
そこから金田湾が手に取るように見えました。

私たちもここで休憩し、持ってきたおむすびを食べました。
何人かの人々が汗をかきながら、私たちとは反対側の三浦富士方面から登ってきます。

京急「津久井浜駅」から、三浦富士~砲台山~武山~津久井浜観光農園~津久井浜と
駅から歩いて一回りするハイキングルートが一般的のようですね。

「三浦富士」

30分の休憩時間を入れて、砲台山から丁度1時間の12時半に「三浦富士」に到着です。


浅間神社の奥宮の石碑や大願成就の石碑が多く設置されており
名前の通り古くからの富士信仰の盛んなことが伺えます。


山を歩くと日本は「山岳宗教」の国と実感できますね。


手製の帽子や襟巻きをしたお地蔵様にも癒されました。


秋の木漏れ日が気持ちの良いふかふかの道を下っていきます。

警察犬訓練所の前に出ました。周りはオレンジ色のみかんがたくさん実っています




ススキの向こうに登って来た山々が見えていました。


三浦富士の麓に四季を通じて果実狩が出来る「津久井浜観光農園」があります。
私たちもみかんを買って帰りたいと思いましたが、受付が分からず買えませんでした

大根やブロッコリーが植えつけられた農道の中を歩くこと30分、
三浦富士の頂上から1時間ちょっとの午後1時半過ぎに、京急「津久井浜駅」に着きました。

駅前のカフェで、コーヒーフロートを飲んで、1時間ほどおしゃべり・・・

ジンワリ汗をかき、気心の知れた友人と語り合いながら歩いて
気晴らしが出来ました。

付き合ってくれたYさん、ありがとう。
ちょっと物足りない歩きでしたが、2人とも立山以来でしたね。



          

この日は主治医に父の様子を聞いて決断すべき事があったので
帰路、京急上大岡からバスで、父が入院している病院に行きました。

「10日に新潟県の十日町に一泊旅行する予定がありますが、行くかやめるか迷います」と・・・

「お父様は少しづつ良くなってきていますから、一泊くらいなら大丈夫かと思いますが」
「歳が歳だけに何があるかは分かりません」と、医師らしいお答えでした。

その夜新潟の友人からTELがあり
「あなたもお父さんを心配しながら参加しても心底楽しめないでしょう」
「天気予報によるとこの2日間はお天気が最悪なので中止にしよう」とのこと・・・

案の定、今日の日曜日は風も強くて関東も嵐のような悪天候です。

本来なら、いつものように当間高原のリゾートホテルで、中学時代の友人と
4人で弾けるはずだったのに・・・

大変残念な、ちょっとホットしたような思いの私です。






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「境川ウォーキング」その2・潮風を感じながら・・・

2013年09月26日 | ハイキング・散策
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるとおり
先週は30度を超える夏日もありましたが
今週に入ると上着が欲しくなるような涼しさが続いています。

23日のお彼岸の日は孫娘の幼稚園の運動会でしたが、秋風が吹く曇空で助かりました。

9月20日の「境川ウォーキング」は晴天に恵まれた暑い日でしたが、
藤沢郊外の黄金色の田んぼが広がる風景は、もうすっかり秋の気配が感じられました。

そんな中、秋の七草のお花も見られて・・・


ススキ以外にもクズの花があちこちで咲いていました。

秋の七草は「おすきなふくは」と覚えればいいらしい・・・
ミナエシ・スキ・キョウ・デシコ・ジバカマ・ズ・ギですね

つる性の繁殖力が強い「アレチウリ」秋の七草の「ハギ」も咲いていました




江ノ島まであと10kmです。

表示板の右奥に見える高い建物は、以前あった大船ドリームランドのホテルです。
私が住む住宅地からも西の方向に良く見え、
何度かあの最上階の回転式のレストランでお食事をした思い出があります

今では横浜薬科大学の図書館になっていると聞きました。


立派な道祖神が立っていました。住宅地に入ってきたようです。

この近くに藤沢駅行きのバス停があり、女性数名がバスと電車で江ノ島に向かうそうです。
80代の女性がここまで歩いてきただけでも驚きで、大いに刺激を受けました。

60代はまだまだ若いと、思うことにいたします。


境川も田園風景から街中の風景へと変化していきます。


サイクリングロードから離れて「遊行寺」の前に出ました。

一遍上人を宗祖とする時宗の総本山で正式には「藤澤山無量光院・清浄光寺」

時宗の法王が遊行上人と言われていたことから「遊行寺」と呼ばれているそうで
藤沢はこのお寺の門前町として栄え、やがては東海道の宿場町としても発展し
寺の山号の藤澤山がそのまま街の名になったそうです
(遊行寺のホームページより)

このお寺の横には国道一号線が通り、しょっちゅう車で走る所ですが
国宝や重要文化財も多く、機会があったらゆっくり見学したい遊行寺です。


こちらはすぐ近くの「藤沢橋」、車の渋滞情報ではよく聞く名前です。
母が2年近くも入院していた病院がこの先にあり、週に何度も通いましたね

ここでちょっと迷い、今度は境川の左岸の道に入りました。


すぐに見えてきたのが船玉神社
かつては、江の島からこの付近まで船が出入りし、
鎌倉時代には三代将軍源実朝の渡宋のための船を建造する用材を伐り出した所と伝えられています。

ところが船は完成したものの、進水に失敗し砂浜で朽ち果てたそうで
乗船成就海上守護のために勧請されたのが「船玉神社」と伝わっています。

この先で橋を渡り境川の右岸をまっすぐ進むと、
東海道線の線路に阻まれて行き止まりとなりました。

この辺りで私も腰や膝が重くなりだし、藤沢駅から電車で江ノ島に行く事も考えましたよ


いったん藤沢駅近くの国道467号線に出て、再び境川の岸辺の散策道路に入りました。
電車に乗る人は誰も居ませんでした。

この道を4km、およそ1時間で最後のゴール「江ノ島」です。
頑張る気になりました


だんだん潮の香りがしてきました。

ボートの係留は禁止されているようですが・・・
マリーナなどの係留代が高いので、オーストラリアのパースでは、
自宅の庭に船を置いている家が多かったのを思い出しました。

使う時は台車に積んで、乗用車の後ろに繋げて運んでいましたね。
狭い日本の家の庭では到底無理ですが・・・


こんな人も居ました


いよいよ残すところあと1km
親指の先が痛くなってきました

山は少しかがんで、できるだけ持ち上げた方の足の膝を曲げ小幅でゆっくり歩きますが、
平らな道歩きは違っていて難しい・・・
今回は背筋を伸ばし、足の親指に力を入れて歩いていたような感じです


あの橋の向こう側が江ノ島です。
途中からバスと電車に乗った方たちとも合流しました


竜宮城のような造りの小田急「江ノ島駅」の前に出ました。
見えていた弁天橋を渡ります。


弁天橋から眺めた風景がこちら


河口の江ノ島が目の前です。


16時近く、国道134号線の「片瀬橋」の下を流れる境川は、江ノ島大橋脇の
遊覧船乗り場の先で、相模湾へと注いでいきました。

私たちもここでフィニッシュです
皆で集合写真を撮りました

その後は居酒屋組みとお寿司屋組みに分かれて散会です。
すっかり喉が渇きました。
男性9名と女性3名で藤沢駅近くのお店で飲んだがとにかく美味しかったです。

この週は父の病院通いに付き添う日が続き、気持ち的に鬱積していました。
これだけ汗をかき、3万歩近くも歩いて目的地にゴールしたのですから
山と同じ様に達成感もあって気持ちもスッキリ

翌日は立山を縦走した時より疲れが出ましたが、頑張ってお墓参りに行きましたよ。


※境川の源流や上流の様子は山小屋さんがご紹介しています。
ご興味のある方はこちらこちらこちらでご覧ください。


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