東山魁夷の心の故郷で「日展三山」が開催された。
「東山魁夷館」が開館して25周年を記念した企画展、「日展三山」。
「日展三山」のリーフレットから。
「日展三山」と呼ばれた、東山魁夷、杉山寧、高山辰雄の、
主作品を集めるという、大がかりなもの。
出かけたのは2015年9月1日の最終日、朝9時から。
「東山魁夷館」では、7年前の2008年にも、大きな企画展があった。
1908年生まれの東山魁夷の生誕100年を記念した、
「東山魁夷 生誕100年 展」。
「東山魁夷 生誕100年 展」のリーフレットから。
東山魁夷の主な作品、
「道」、「花明り」、「冬華」、「残照」、「白夜光」、
「濤声」、「緑響く」、「夕星」などを見ることができた。
東山魁夷館蔵のほかに、東京国立近代美術館蔵や、
個人蔵、それに、唐招提寺の障壁画を集めた大がかりなもの。
さて、2015年の「東山魁夷館25周年記念」は、東山魁夷のほかに、
「日展三山」の杉山寧、高山辰雄の作品を集めて、
1964年の日展を再現するものになっている。
日展の会場である、東京都美術館の2階、7号室が、
「日展三山」が展示された室だった。これは、
1958年から1967年まで、10年間続いた。
温厚な東山魁夷が日展というと、「戦場」と家族に漏らしたという。
年に一度の檜舞台は、杉山寧(1909年生)、高山辰雄(1912年生)とは、
闘志を燃やすライバルであったことがわかる。
「東山魁夷館25周年記念」では、1964年の日展が再現された。
中央に東山魁夷の「冬華」(とうか)、
右に杉山寧の「穹」(きゅう)、
左に高山辰雄の「穹」。
「冬華」、東山魁夷。
「東山魁夷」、現代日本の美術、集英社、1976年発行から。
この「東山魁夷」は、最初に買った美術書。
霧氷の幹と枝が、ボンヤリした霧の太陽に浮き立っていた。
「穹」、杉山寧。
「杉山寧」、現代日本の美術、集英社、1977年発行から。
この「杉山寧」は、「東山魁夷」の次に買った美術書。
実物を見ると圧倒される。
近寄ると、砂で盛り上がって、
いっそう迫力と立体感があった。
月の光が、スフィンクスの左の後方から当たっていて、
窪んでいた黒から、鋭い目玉が見えた。
「穹」、高山辰雄。
「日展三山」のリーフレットから。
穹は空を表し、杉山寧と、偶然に同じ題名になった。
立体的な表現の満月に、遺跡だろうか? 浮かぶ。
3つの作品に圧倒される。配置もいい。
中央に白の「冬華」、左右に青の「穹」。
「卒業制作」を展示する、というイキな企画もある。
「日展三山」の東京美術学校の卒業制作は、
東山魁夷が「焼嶽初冬」、杉山寧が「野」、高山辰雄が「砂丘」。
「焼嶽初冬」、東山魁夷。
「日展三山」のリーフレットから。
活火山の異様さが迫ってくる。
「野」、杉山寧。
「日展三山」のリーフレットから。
すすきの白い穂が、浮かび上がっていた。
「砂丘」、高山辰雄。
「日展三山」のリーフレットから。
風紋がどこまでも描かれている。
モデルは奥さんになる人といわれて、しげしげと見た。
2008年の「東山魁夷 生誕100年 展」も、
2015年の「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」も、
「東山魁夷館」が信州にあるからできる企画展である。
東山魁夷と信州との絆は深い。
東山魁夷は、横浜生まれの、神戸育ち、
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で学び、
信州に住んだことはないが、関わりは深い。
☆1926年7月、東京美術学校1年生の時、
テント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登っている。
信州の自然の厳しさに感動し、人々の心の温かさに触れた。
そして、「風景画家」への道を志すことになる。
☆1970年5月、東山魁夷、川端康成、井上靖の3巨頭が、安曇野(あずみの)を訪れる。
☆東山魁夷は作品500点を信州に寄贈され、1990年に「東山魁夷館」ができる。
☆東山魁夷は、「東山魁夷館」を望む善光寺の霊園に、眠っている。
これらについて、もう少し説明する。
☆テント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登る。1926年7月。
東山魁夷館には、つぎの説明がある。
「私が初めて信州を旅したのは、
東京美術学校、日本画科1年生のときだった」
「8日間のテント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登る」
「初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受け、
そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることができた」
御嶽山の写真がある。
2014年9月27日に噴火。中央のピークは剣ヶ峰、3,067メートル。
御嶽山は灰をかぶっている。地蔵峠から、2014年10月2日撮影。
「テント旅行以来、山国へよく旅をするようになり、
信濃路の自然を描くことが多くなりました。
そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました」
「緑響く」。1982年。
東山魁夷館所蔵。絵はがきから。
奥蓼科の御射鹿池(みしゃかいけ)がモデル。
緑に白馬を配した。緑の風景が、御射鹿池に映る。
さらには、つぎを参照してください。
「東山魁夷と信州の絆」、2012年4月15日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9e52195242e2cea284b414a400fd22d9
「東山魁夷の「花明り」」、2011年11月6日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5d2fb467f0b2f445c4612087812e077d/?cid=bc38c0be312b164542bb09d52fcce805&st=0
☆東山魁夷、川端康成、井上靖の3巨頭が、安曇野を訪れる。
左から井上靖、川端康成、東山魁夷。1970年5月12日。
3巨頭は、安曇野の長峰(ながみね)山から、北アルプスを望む。
川端康成は、
「残したい 静けさ 美しさ」
と言われた。
東山魁夷は、
「安曇野は、なんと美しかったことか」
と、驚嘆された。
東山魁夷の碑、「安曇野を想う」が長峰山にある。
つぎを参照してください。
「東山魁夷の安曇野への旅」、2012年2月26日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
「東山魁夷の「安曇野を想う」」、2012年12月4日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6b4d0e185dffac26dde0160f895e6f31
「川端康成、東山魁夷、井上靖の安曇野」、2011年11月27日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e0ec23bbd5be088a697624dd222d06bc
「東山魁夷の心の故郷を失った人」、2012年5月6日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/49d960a63fc3dec03c02b81f75574623/?img=d5c65289987a3068fc57b2cbd317a2a3
☆「私の作品を育ててくれた故郷とも言える信州」に、
東山魁夷は作品500点を信州に寄贈する。
「東山魁夷館」の設計は、東山魁夷の意向で、
友人の息子である谷口吉生が行い、1990年にに建設された。
東山魁夷館。
中庭、池が広がる。
東山魁夷の作品を960点所蔵する。
「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」を共同企画した、
香川県立東山魁夷せとうち美術館は、開館10周年記念。
東山魁夷館と同じ谷口吉生が、設計をしている。
☆東山魁夷は、善光寺の霊園に、眠っている。
善光寺大本願、花岡平(はなおかだいら)霊園。2012年4月撮影。
赤い信州りんごと、白い干し柿で、お墓が明るくなった。
石碑、「自然は心の鏡」は、右にある。
東山魁夷のお墓がある花岡平霊園から東山魁夷館、善光寺を望む。
①は「東山魁夷館」、②は「善光寺」、③は隣接する「信濃美術館」。
東山魁夷は、生前に墓地を決めていた。
作品を育ててくれた故郷、信州である。
多くの作品が収蔵されている①「東山魁夷館」を、
望めるこの場所が、気に入っていた。
東山魁夷の「夢見る場所」。
つぎを参照してください。
「東山魁夷の「自然は心の鏡」」、2012年4月22日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9ff6b846278e55a02e7ee7f05e429595
「東山魁夷館」からは、東山魁夷の「夢見る場所」を望むことができる。
「東山魁夷館」の中庭、池越しに見える山に眠っている。
「東山魁夷 生誕100年 展」と、
「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」で、
東山魁夷を、より知ることができた。
このような素晴らしい企画展ができるのも、
東山魁夷を感激させた信州の自然と、
素朴な人々の心の温かさのおかげ。
それと「東山魁夷館」の企画力。
「東山魁夷館」が開館して25周年を記念した企画展、「日展三山」。
「日展三山」のリーフレットから。
「日展三山」と呼ばれた、東山魁夷、杉山寧、高山辰雄の、
主作品を集めるという、大がかりなもの。
出かけたのは2015年9月1日の最終日、朝9時から。
「東山魁夷館」では、7年前の2008年にも、大きな企画展があった。
1908年生まれの東山魁夷の生誕100年を記念した、
「東山魁夷 生誕100年 展」。
「東山魁夷 生誕100年 展」のリーフレットから。
東山魁夷の主な作品、
「道」、「花明り」、「冬華」、「残照」、「白夜光」、
「濤声」、「緑響く」、「夕星」などを見ることができた。
東山魁夷館蔵のほかに、東京国立近代美術館蔵や、
個人蔵、それに、唐招提寺の障壁画を集めた大がかりなもの。
さて、2015年の「東山魁夷館25周年記念」は、東山魁夷のほかに、
「日展三山」の杉山寧、高山辰雄の作品を集めて、
1964年の日展を再現するものになっている。
日展の会場である、東京都美術館の2階、7号室が、
「日展三山」が展示された室だった。これは、
1958年から1967年まで、10年間続いた。
温厚な東山魁夷が日展というと、「戦場」と家族に漏らしたという。
年に一度の檜舞台は、杉山寧(1909年生)、高山辰雄(1912年生)とは、
闘志を燃やすライバルであったことがわかる。
「東山魁夷館25周年記念」では、1964年の日展が再現された。
中央に東山魁夷の「冬華」(とうか)、
右に杉山寧の「穹」(きゅう)、
左に高山辰雄の「穹」。
「冬華」、東山魁夷。
「東山魁夷」、現代日本の美術、集英社、1976年発行から。
この「東山魁夷」は、最初に買った美術書。
霧氷の幹と枝が、ボンヤリした霧の太陽に浮き立っていた。
「穹」、杉山寧。
「杉山寧」、現代日本の美術、集英社、1977年発行から。
この「杉山寧」は、「東山魁夷」の次に買った美術書。
実物を見ると圧倒される。
近寄ると、砂で盛り上がって、
いっそう迫力と立体感があった。
月の光が、スフィンクスの左の後方から当たっていて、
窪んでいた黒から、鋭い目玉が見えた。
「穹」、高山辰雄。
「日展三山」のリーフレットから。
穹は空を表し、杉山寧と、偶然に同じ題名になった。
立体的な表現の満月に、遺跡だろうか? 浮かぶ。
3つの作品に圧倒される。配置もいい。
中央に白の「冬華」、左右に青の「穹」。
「卒業制作」を展示する、というイキな企画もある。
「日展三山」の東京美術学校の卒業制作は、
東山魁夷が「焼嶽初冬」、杉山寧が「野」、高山辰雄が「砂丘」。
「焼嶽初冬」、東山魁夷。
「日展三山」のリーフレットから。
活火山の異様さが迫ってくる。
「野」、杉山寧。
「日展三山」のリーフレットから。
すすきの白い穂が、浮かび上がっていた。
「砂丘」、高山辰雄。
「日展三山」のリーフレットから。
風紋がどこまでも描かれている。
モデルは奥さんになる人といわれて、しげしげと見た。
2008年の「東山魁夷 生誕100年 展」も、
2015年の「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」も、
「東山魁夷館」が信州にあるからできる企画展である。
東山魁夷と信州との絆は深い。
東山魁夷は、横浜生まれの、神戸育ち、
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で学び、
信州に住んだことはないが、関わりは深い。
☆1926年7月、東京美術学校1年生の時、
テント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登っている。
信州の自然の厳しさに感動し、人々の心の温かさに触れた。
そして、「風景画家」への道を志すことになる。
☆1970年5月、東山魁夷、川端康成、井上靖の3巨頭が、安曇野(あずみの)を訪れる。
☆東山魁夷は作品500点を信州に寄贈され、1990年に「東山魁夷館」ができる。
☆東山魁夷は、「東山魁夷館」を望む善光寺の霊園に、眠っている。
これらについて、もう少し説明する。
☆テント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登る。1926年7月。
東山魁夷館には、つぎの説明がある。
「私が初めて信州を旅したのは、
東京美術学校、日本画科1年生のときだった」
「8日間のテント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登る」
「初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受け、
そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることができた」
御嶽山の写真がある。
2014年9月27日に噴火。中央のピークは剣ヶ峰、3,067メートル。
御嶽山は灰をかぶっている。地蔵峠から、2014年10月2日撮影。
「テント旅行以来、山国へよく旅をするようになり、
信濃路の自然を描くことが多くなりました。
そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました」
「緑響く」。1982年。
東山魁夷館所蔵。絵はがきから。
奥蓼科の御射鹿池(みしゃかいけ)がモデル。
緑に白馬を配した。緑の風景が、御射鹿池に映る。
さらには、つぎを参照してください。
「東山魁夷と信州の絆」、2012年4月15日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9e52195242e2cea284b414a400fd22d9
「東山魁夷の「花明り」」、2011年11月6日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5d2fb467f0b2f445c4612087812e077d/?cid=bc38c0be312b164542bb09d52fcce805&st=0
☆東山魁夷、川端康成、井上靖の3巨頭が、安曇野を訪れる。
左から井上靖、川端康成、東山魁夷。1970年5月12日。
3巨頭は、安曇野の長峰(ながみね)山から、北アルプスを望む。
川端康成は、
「残したい 静けさ 美しさ」
と言われた。
東山魁夷は、
「安曇野は、なんと美しかったことか」
と、驚嘆された。
東山魁夷の碑、「安曇野を想う」が長峰山にある。
つぎを参照してください。
「東山魁夷の安曇野への旅」、2012年2月26日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
「東山魁夷の「安曇野を想う」」、2012年12月4日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6b4d0e185dffac26dde0160f895e6f31
「川端康成、東山魁夷、井上靖の安曇野」、2011年11月27日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e0ec23bbd5be088a697624dd222d06bc
「東山魁夷の心の故郷を失った人」、2012年5月6日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/49d960a63fc3dec03c02b81f75574623/?img=d5c65289987a3068fc57b2cbd317a2a3
☆「私の作品を育ててくれた故郷とも言える信州」に、
東山魁夷は作品500点を信州に寄贈する。
「東山魁夷館」の設計は、東山魁夷の意向で、
友人の息子である谷口吉生が行い、1990年にに建設された。
東山魁夷館。
中庭、池が広がる。
東山魁夷の作品を960点所蔵する。
「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」を共同企画した、
香川県立東山魁夷せとうち美術館は、開館10周年記念。
東山魁夷館と同じ谷口吉生が、設計をしている。
☆東山魁夷は、善光寺の霊園に、眠っている。
善光寺大本願、花岡平(はなおかだいら)霊園。2012年4月撮影。
赤い信州りんごと、白い干し柿で、お墓が明るくなった。
石碑、「自然は心の鏡」は、右にある。
東山魁夷のお墓がある花岡平霊園から東山魁夷館、善光寺を望む。
①は「東山魁夷館」、②は「善光寺」、③は隣接する「信濃美術館」。
東山魁夷は、生前に墓地を決めていた。
作品を育ててくれた故郷、信州である。
多くの作品が収蔵されている①「東山魁夷館」を、
望めるこの場所が、気に入っていた。
東山魁夷の「夢見る場所」。
つぎを参照してください。
「東山魁夷の「自然は心の鏡」」、2012年4月22日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9ff6b846278e55a02e7ee7f05e429595
「東山魁夷館」からは、東山魁夷の「夢見る場所」を望むことができる。
「東山魁夷館」の中庭、池越しに見える山に眠っている。
「東山魁夷 生誕100年 展」と、
「東山魁夷館25周年記念」の「日展三山」で、
東山魁夷を、より知ることができた。
このような素晴らしい企画展ができるのも、
東山魁夷を感激させた信州の自然と、
素朴な人々の心の温かさのおかげ。
それと「東山魁夷館」の企画力。