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仏様の指

伝説の国語教師・大村はまさんが、奥田正造先生の読書会に参加していたときのこと。奥田先生は、ある話をしてくれたという。

「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうとしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」

「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」

生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」

この話を聞いた大村はまさんは、「仏様の指」のように支援することこそ教師の役割である、と気づく。

教師だけでなく、「クラブのコーチ」「子供の親」「企業の管理職」など、人を教え導く立場にある人すべてに同じことがいえるのではないだろうか。

教えられていることを本人に気づかせない人こそ、一流の指導者なのだろう。ただ、それって、めちゃくちゃ難しいことである。

出所:大村はま『教えるということ』ちくま学芸文庫,p.156.



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