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『「学ぶ」ということの意味』(読書メモ)

佐伯胖『「学ぶ」ということの意味』岩波書店

認知科学の巨匠にして学習論の大家である佐伯先生の書。その深さに驚かされた。

先生は、「学習」ではなく、あえて「学び」という言葉を使い、次のように定義している。

学びがいのある世界を求めて少しずつ経験の世界をひろげていく自分探しの旅」(p. 48)

「学びがい」とは、「わからないけれども、ともかく、何かよいことになるだろう」という期待や希望であり(p. 7)、「自分探し」とは、今の自分ではなく「これから私がなっていく本当の自分」(p. 11)」である。

ちなみに、先生は「「本当の自分の姿などは、永久見つかるわけがない。どこまでいっても、「以前よりは本当に近い」仮の姿であろう」(p. 62)とおっしゃっている。

佐伯先生が本書で強調されるのは「参加としての学び」である。

一番響いたのは4部1章で紹介されているエピソードと「appreciationとしての学び」の概念だ。

先生の親戚で、難病のために親類から見放され30年間病院のベッドで過ごした女性がいらっしゃった。お見舞いに行くと、全身で喜びを表し、感動した本の内容や、他者から親切にしてもらったことへの感謝を話されたという。

この方のお葬式で、先生は「この人の人生とは、結局なんだったのだろう」(p. 134)という疑問が湧く。そのとき、先生の頭の中で「すべての人は、生まれたときから、最後の息を引き取る瞬間まで、文化的な営みに参加している」という考えが天のお告げのように響く(p. 134)。

この女性は、世間が評価するような技能を習得したわけでもなく、何かを創造したわけでもない。しかし、感謝を込めて「本を読み、音楽を聴き、他者を理解」していたのだ。文化とは、「つくる人」「使う人」「わかる人」によって構成されていて、親戚の女性はこの「わかる」という行為に携わっていたといえる(p. 135)。

佐伯先生は、この「わかる」という行為を「appreciation(理解=感謝=賞味)」と考え、重要な学びの形態であると位置づけている。

本書を読み、学びの概念が広がった。




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