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女房は家そのもの

蛭子能収さん著『ヘタウマな愛』(新潮社)の中で印象的だったのは、次の箇所。

俺にとって、女房は家そのものだった。
戻るところがあるから、寄り道ができる。
灯りを頼りに、迷わず帰れる。
女房は、そんな存在だった。
」(p.109)

これは、日本のお父さんにかなり共通している心情ではないか(自分も含めて)。

ある意味、奥さんに母親を求めているのかもしれない。

「これでいいのか?」と思う反面、これが日本の文化なのかな、とも感じた。

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