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創造のエネルギーとしてのコンプレックス

作家の新田次郎氏は、長年、気象庁に勤めており、その官舎に住んでいた。そこは、課長以上のための官舎であったため、住人の多くが東大理学部出身者で、理学博士号を持っていたらしい。

無線通信講習所(電気通信大学の前身)出身の新田氏は、東大出に負けてたまるかと猛烈に勉強し、専門書を書き、論文を発表したが、なかなか課長になれなかったという。息子の正彦氏は次のように語っている。

「父の東大コンプレックスと理学博士コンプレックスはかなり根深いものだったのだろう。私が東大に入学した時、父が「お前みたいなバカでも東大に入れることがわかって、コンプレックスがいっぺんになくなったよ」と言って高笑いしたのを覚えている。私が理学博士号を取った時は、「お前みたいなバカでも理学博士をとれるんだ。完全にコンプレックスがなくなったよ」と言った。作家として一人立ちして十年がたち、著作が片っ端からベストセラーになっていた頃だった。」(p.276)

新田氏にとって、小説こそ、自分をアピールする手段だったのだろう。そういえば、松本清張氏も、朝日新聞社の地方採用として冷や飯を食っているときに小説を書き始めたはずである。

コンプレックスも創造のエネルギーになる、といえる。

出所:新田次郎『小説に書けなかった自伝』新潮社

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