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『武士道シックスティーン』(読書メモ)

誉田哲也『武士道シックスティーン』(文春文庫)

最近の流行作家の作品をたまに読むがイマイチのものが多い。そんな中で、ひさびさにヒットしたのが本書。誉田さんの作品を読むのがこれが初めてである。

本書には、自然体で剣道を楽しむ早苗と、武士が女子高生の皮をかぶっているような香織が出てくる。

インパクトがあったのは、武士・香織の方。

普段から「生きるか死ぬかの勝負の世界」に生きている香織は、昼休みはダンベルで筋トレしながら宮本武蔵の『五輪書』を読んでいる変わり者。中学の全国大会では2位になるが、決勝での負けをずっと悔いている。

「勝つ」ことのみを追求してきた香織だが、早苗と出会ってから何のために剣道をしているのかに悩むようになる。

香織は自問する。

「三年の春も、夏も秋も冬も、ずっとずっと勝ち続けて、大会実績を認められて推薦で大学にいって、その先も負けを許されず、勝って勝って勝ち続けて、大学を卒業したら警察に入って、そこでも特錬員になって大会に出て、全日本で優勝して、世界選手権を制して、それを何年も続けて―。それで、なんだ。だったらなんなんだ。死ぬまで勝ち続けるつもりか。そんなことができるとでも思っているのか」(p.303-304)

この独白は、現代の熱血ビジネスパーソンにも通ずるものがあるような気がする。何のために仕事をしているのか?ずっと勝つためなのか?

本書の答えは「好き」であること。好きだから剣道をする。それでいいじゃないか。香織はそのことに気づき、自分を取り戻す。

ちなみに、香織のお父さんも武士なのだが、彼の言葉も印象的だ。

「武士道・・・・・そう、言い換えてもいい。義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己・・・・集約すれば、世のためを思い、他人を敬い、精進を怠らない・・・・・そういう心得に行き当たる。最低、その三つを忘れなければ、人はどこでも、いつの時代でも生きていける。逆に、その一つでも欠いたら、そいつに生きる資格はない。社会に生きる人間とは、そうあるべきものだ。」(p.367)

すばらしい言葉だ。しかし、この通りだとすると、自分には生きる資格がないことに気づいた。

武士になるのは、なかなか難しいことである。

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