goo

『チャイコフスキー・コンクール』(読書メモ)

中村紘子『チャイコフスキー・コンクール:ピアニストが聴く現代』新潮文庫

チャイコフスキーコンクールは、ショパンコンクール、エリザベートコンクールと並び、世界で最も権威のあるコンクールの一つである。このコンクールの舞台裏を、審査員として参加した中村紘子さんが語ったのが本書である。

まだロシアがソ連と呼ばれていた1980年代のモスクワ。コンクールの参加者、審査員、主催者をバッサバッサと切りまくる辛口コメントに満ちている本書であるが、最も印象に残ったのは、ピアニストの評価ポイントについて述べた次の箇所。

「基本的にはピアニストとして相当な能力をもっていること。そして、ステージに登場したときに、或る種の爽やかさとでもいうべき「感じのよさ」があること、即ち演奏を開始する前から既に満場の人の気持ちを惹きつける何かを備えていること。これはコンクールの場では大変重要視され、大きな才能の一つと認識される。さらに演奏そのものにおいては、「先生から手とり足とり学んだ優等生」タイプの演奏よりも、素直で初々しさがあってのびのびとしていて、ミスは目立ってもなにか自分自身のことばで語りかけている、いわば、その人自身の人間的魅力が伝わってくるようなものであること」(p.261-262)

コンクールに限らず、普段の仕事においても同じことがいえると思った。特に、人柄に加えて、「自分自身のことばで語りかけてくる」というところが大切になるように感じた。いろいろな方々と話をしていると、借りものの言葉を語る人と、自分自身の言葉で語りかけてくる人がいるが、その違いは大きい。

もう一つおもしろかったのは、知性と音楽的実力の関係。日本人は、作品を感動に満ちて演奏することができない理由として「音楽家の心がけ、精神修養、教養が欠けているから」と考える傾向にあるという。中村さんが、このことを世界的に有名な音楽評論家ハロルド・ショーンバーグに聞いたところ、次のような答えが返ってきた。

「ホロヴィッツに、ネコの脳ミソほどの知性を期待しているやつはいないよ。しかし、彼の演奏は素晴らしい」(p.234)

普通の人であれば、能力だけではなく人柄や知性が評価のポイントになるが、天才レベルになると、人柄なんてどうでもよくなるのだろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )