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『荀子』(読書メモ)

湯浅邦弘『荀子』角川ソフィア文庫

性悪説を提唱したとされている荀子の解説書。

しかし、著者の湯浅先生によれば、「荀子=性悪説」は正しくないという。

「確かに、人間はそのままでは様々な欲望や情念にとらわれて、悪い方向に行ってしまうこともあるでしょう。しかし、学問や礼儀や音楽で感化し、きちんと矯正すれば、善なる存在になるというのです」(p. 50)

特に「礼」によって国を治める「礼治」を提唱した荀子。

では、礼の本質とは何か?荀子は次のように説明する。

「礼は人の心に従うのを根本とする。だから、たとえ礼の経典に記載がなくても、人の心に寄り添うものは、みな礼である」(p. 74)

「礼=規定」というイメージがあったが、相手の立場に立って行動することが「礼にかなう」ことである。

礼を重んじる日本文化を大切にすべきだと思った。


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出来るだけ

ヴァイオリニスト黒沼ユリ子さんは、著書の最後に、手書きで次のような文を書いている。

自分にしか出来ないことを、出来るところで出来るうちに、出来るだけ悩まずに出来るだけ苦しまずに、出来るだけ愉しみながら、出来るだけ心をこめて、一生懸命に成すこと!

出来るだけ」という表現が自然体でいいな、と思った。

出所:黒沼ユリ子『黒沼ユリ子:ヴぁいおりんで世界から学ぶ』平凡社

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しっかり習い、別の視点から見る

狂言師の野村万作氏は、子供の頃、父親から狂言の型を仕込まれたが退屈で熱が入らなかったという。

大学生になると、能よりも下に見られていた狂言を捨て、華やかな歌舞伎研究会へ入る。

ところが、歌舞伎漬けになって、改めて狂言を見ると、その創造性に気づく

「やはり狂言をやっていきます」と父に宣言し、2007年には人間国宝に。

万作氏が狂言の本質に気づけたのは、幼い頃に「型」を徹底的に習ったことと、歌舞伎という違う世界を体験したためであろう。

しっかり習い、別の視点から見る」と、物事の本質が理解できるのかもしれない。

出所:日本経済新聞(2019年11月3日)
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強すぎるレジリエンスの問題

ストレスのかかる困難な状況に負けず、心理的に回復する能力を「レジリエンス」と呼ぶ。

一見大切な能力に思えるが、プレミュジックとラスクによると、レジリエンスが高すぎても問題があるらしい。

なぜか?

それは、レジリエンスが強すぎると
・達成不可能な目標に固執し
・過度の自信や楽観主義のせいで、ムダなエネルギーを使い
・部下や他者からも拒絶されてしまう

からだ。

要は、レジリエンスが普通レベルだと、良い意味での「あきらめ」が働き、軌道修正することができるが、レジリエンスが高すぎると軌道修正が難しくなる、ということだろう。

精神が強靭すぎても問題が起こるという点が面白い。

出所:ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー2019年11月号, p.92-94.

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行き詰りと発見

先日読んだ『人間の建設』(新潮文庫)より。

小林秀雄と岡潔がトルストイとドストエフスキーの話しをしているときに、突然話がかわる箇所がある。

岡:専門家でないと、どうしても興味本位になっていけないですね。殊に数学が壁に突き当たって、どうにも行き詰ると好きな小説を読むのです

小林:行き詰るというようなことは…

岡:数学は必ず発見の前に一度行き詰るのです。行き詰るから発見するのです

ちなみに、これは岡さんだけのことではなく、他の数学者の場合も同じらしい。

岡:西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。行き詰って、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。それが不思議だとポアンカレは言っています。

ということは、物事が行き詰ったときは、何かがブレークスルーする予兆だともいえる。このように「行き詰り」をポジティブにとらえると気持ちが少し楽になるかもしれない。

出所:小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮社、p.90-91.
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呼吸している作品

影絵作家の藤城清治さんは95歳。

先日、秋田に出張した際、市内の美術館で開かれていた藤城清治展に入ってみたところ、係の人から「アンケートにご協力ください。藤城先生は必ず一枚一枚に目を通されますから」と言われ驚いた。

また、主催者「あいさつ」に書いてあった「ぼくの作品は生きているというか、呼吸していなければならないと思って描いている」という言葉が印象に残っている。

95歳にしてなお、フィードバックをもらいながら、「呼吸している作品」を生み出そうとする姿勢に感銘を受けた。






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フランク・ロイド・ライト

ANAの機内誌(「翼の王国」2019年8月号)に建築家フランク・ロイド・ライトが設計した「カウフマン邸(落水荘)」の記事が載っていた。

この記事を見て、サイモン&ガーファンクルの「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌(So Long, Frank Lloyd Wright)」を思い出した。有名な建築家であることは知っていたが、どんな人か調べてみると、まさに波乱万丈の人生を送った人であることが判明(Wikipedia)。

米国でプレーリースタイルという新しい住宅様式を提唱し有名になったライト。すでに結婚し6人の子供がいたのにもかかわらず、施主の妻と不倫関係になり、ヨーロッパへ駆け落ちする。

帰国したものの仕事は激減し、しかも内縁の妻と子供が殺されるという事件が起こる。その後、20年以上の低迷期の後、前述したカウフマン邸(落水荘)で再び脚光を浴びるライト(このとき70代)。

まず「よく復活したもんだ」と思った。

と同時に、平穏に生活することの有難さを感じた。
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教養と独創性

ルネサンス期を代表する画家にして科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチは、意外にも独学の人であったらしい。

なぜか?

それは、公証人の父と農家の娘の間に生まれた婚外子であったため、ラテン学校に通えなかったからである。

レオナルドのノートには次のような言葉が。

「私が教育を受けていないために、一部の口さがない人々が『教養のない男』と批判するのはよくわかっている。(中略)しかし、私の専門分野に必要なのは他者の言葉ではなく経験であることを、彼らはわかっていないのだ」

ダビンチの評伝を書いたウォルター・アイザックソンは「数百年にわたって幅を利かせていた中世期の教義やスコラ哲学を学ばずに済んだ」と述べている。

つまり、レオナルドは、当時の教養教育を受けなかったがゆえに、独創性の高い芸術や研究を残すことができたのだ。

今の世の中にも、こうした天才がいるはずだが、どこかで潰されているのだろう。

出所:日本経済新聞2019年8月18日号



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失敗経験がキャリアを決める

解剖学者の養老孟司さんは、医学部のインターン時代に医療事故を経験し、診療が怖くなったという。そこで、選んだのが解剖の仕事。

死んだ患者さんならこれ以上死ぬ心配はない」「とても安心なんです。自分のやったことの責任が取れるから」

失敗経験がその人のキャリアを決めることもあるのだな、と思った。

出所:日本経済新聞2019年8月11日
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世間とのお付き合い

解剖学者の養老孟司さんは小学4年生の頃から虫を取り続け、標本は10万匹にもなる。

しかし、虫は趣味ではないという。

まあ人生ですね、これが」「虫のために仕事をする。虫以外のことは世間とのお付き合いです

どこか達観した姿勢がいい。

仕事というものは「世間とのお付き合い」くらいに考えたほうがよいのかもしれない。

出所:日本経済新聞2019年8月11日
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