みどりの野原

野原の便り

5月4日 マラッカ ②-3 町歩き・回教寺院など・夜市・・ プラナカン ババ ニョニャ

2013年05月04日 | Weblog
リバークルーズから町に戻る。

マラッカ中心街は歴史的町並みが評価されて2008年世界文化遺産に登録された。
建築年数が店の名前のように書かれている建物もある。

ランチはチェックしておいた中庭が涼しげで雰囲気のよさそうな1673(ビストロ・・店の名不明)で。
中庭は大きい扇風機のサービス付き。
「ゆっくり どうぞ」いかついお兄さんが日本語で言った。

 
修理中の回教寺院「カンポン クリン モスク」 入ってもよいとのこと。 
たいていの所は言えば中に入れてくれるし、カメラもOK 旅を通してどことも鷹揚だった。
床には建築材料が積まれ、天井までハシゴが掛かっていた。天井がきれいだった。

 
トラ地蔵のある仏教寺院 青雲亭(チェンフーテン)にも行った。  
     閻魔さまの下のトラ地蔵(黄色い服)は夫婦喧嘩の仲裁役とか。
お供えを置いてお参りしている人がいた。

回教(イスラム教)モスク・仏教寺院・ヒンドゥ寺院がすぐ近所にある。このごちゃ混ぜ文化がマラッカの特徴のように思う。


土産物屋を覗いてみた。・・商品の上に伸びきったネコ そばを通っても目も開けなかった。


ババ・ニョニャヘリテージ博物館に入る。 写真は玄関
内部の造作・ボードや棚・婚礼衣装・タイル・・すばらしかったが、ここは内部の撮影は禁止で残念だった。 

「プラナカン」「ババ ニョニャ とは」  
数百年前に移り住んだ中国人男性が地元マレー人女性と結婚。 
その子孫を「プラナカン(海峡華人)」、そのうち男性を「ババ」・女性を「ニョニャ」という。
商工業で成功したものも多く、華麗な邸宅に住み、贅の限りを尽くした生活をしていたらしい。
マレー語を話し、食文化や衣服はマレースタイルを取り入れる一方、イスラム教徒にはならず、中国古来の風習を守る。
マレーと中国の文化が融合したライフスタイルに西洋文化も取り入れた独特の文化を持つ。
15~19世紀にプラナカン文化が栄えた。

 
娘はそんな文化の入り混ざった建築・特にタイルに興味森々。今回の旅になったわけだ。
隣の1511カフェで一服。マンゴジュースは濃くておいしかった。

街角に「ドリアン専門店」と書いた店があった。
ドリアン大好きの私だが、季節が違うのかほとんど見かけなかったので入ってみた。

 
ドリアン入りのお菓子がいろいろ売っていた。「ドリアンだいふく」を2つ買ってみた。
娘はドリアンが好きではない。結局私の口へ。あんこがドリアンだった。
本当は生ドリアンが良かったがこれもおいしかった。 

いったんホテルに戻り、夕食を食べに出る。

 
 
雰囲気のいいタイルのきれいな「レストラン プラナカン」で、先日誕生日を迎えた娘の誕生祝い。
「好きなものを食べや」   
  右)かき氷 豆入りとトコロテン入り 小さい器 緑色のヒジキのような形のゼリーが入っていた。黒蜜入り。
 
 
            タイルがすばらしい。
(12年前もここで食事したのだった。中華料理の店というぐらいしか記憶がなかった)

今日も夜市へ。
さっきもかき氷を食べたのにまた食べたくなった。
 
         マンゴーかき氷      ジャックフルーツかき氷(生ではなく缶詰?)
今度はどんぶり鉢ほどの大きさ。食べれるかな・・結局完食

 
切り紙細工がきれいだった。  
  ポテトを機械でぐるぐる切っておいて串にさし広げると・・あら不思議・・ぐるぐるねじれたポテト
ポテトフライはよく売れていた。1本お買い上げ。

 
電飾で飾り立てた夜のトライショー ど派手。(後ろから)

 
     夜のマラッカ川            ライトアップした街並み

今日(2日目の夜)は少し早目に就寝
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