ファミリー公園から出発。エンジュの並木 メタセコイアの並木 サクラ並木・・秋色だ。
今日歩く川西町・三宅町は奈良盆地の中央部。
聖徳太子が愛馬黒駒に乗って従者・調子麻呂を従えて斑鳩の宮から飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)へ通われたという。
太子道(筋交道)の道標の残る道を歩いた。
堤防に出る。アキニレ・ナンキンハゼ・オギ・・セイコノヨシが中国の西湖に因む名とは知らなかった。
川の合流点を過ぎて、油かけ地蔵
そばに油のペットボトルが置いてあった。地蔵は油でギトギト。
できものを治してもらうために願を かける日に、油をかける習わし(燃灯供養)があるそうだ。
オギ カラスが川で何度も水浴びしていた。
堤防にシャクチリソバが群生 薬用植物として導入されたものが各地で繁殖している。
川西町役場 公民館・文化会館など立派な建物が並ぶ。 町木ケヤキの紅葉
式内 糸井神社
主神は豊鋤入姫命 右)境内のカキ マメガキ? リュウキュウマメガキ? ヤマガキか?
拝殿には天保年代の太鼓踊り(雨乞いの願を掛ける)などの絵馬がいくつも奉納されている。
奈良県文化財に指定されているものもある。
面塚 観世流発祥の地とされる。寺川の氾濫で移転されているらしい。
ここで昼食となった。食べながらふと向こうを見ると、植樹された木に「シラカバ」の名が見えた。
えっ?こんなところにシラカバ? 近づいてみた。
シラカバには「新潟県十日町市川西地区」とあった。 こちらは「山形県川西町 クロマツ」
「平成19年度全国川西会議記念植樹」そういうことだったのか。 シラカバ元気に育つかな?育ってほしいな。
午後からはボランティアさんの案内で歩く。
白山神社 黒駒に乗る太子像 戦時中金属供出で失ったが、h24年再建されたもの。強化プラスチック製らしい。
右)太子の腰掛石 村人がもてなし、風の強い日には屏風を立てたところから「屏風」の地名となったとの伝承。
杵築神社(屏風)近辺に杵築神社が3社もある。(ここ屏風と、伴堂、但馬)
この辺りは川に囲まれた低湿地帯で疫病などから守る願いがあったのか。
右)ボランティアさんによる忍性菩薩の紙芝居
屏風生まれで武士の子だった忍性は母の願い通り僧となり、貧民やハンセン氏病など社会的弱者の救済に一生をささげた。
ここにもおかげ踊り・なもで踊りなど貴重な絵馬が奉納されている。
木抱かれ地蔵 ヨノミ(エノキ)に抱かれていたという地蔵さま。胸まで木に覆われている昔の姿が掲示されていた。
木から解かれてほっとされたか?さみしがられているか?
厳島神社(三宅町伴堂) 株立ちのアラカシがご神木になっていた。
杵築神社(伴堂 ともんどう)
なもで踊り絵馬など、ここにも古い絵馬があった。
丹波佐吉狛犬 伸びあがったような形 (写真写りが悪い。もっとゆっくり撮ればよかった)
古代衣装髪にアサザの髪飾りのボランティアさんによる万葉集の歌のお話など。
h26年の太子道イベントの時にはここで天平の舞などを見せていただいた。
万葉集にうたわれるアサザ(万葉名アザサ)希少なものだが、あちこちに植栽されていた。
川西町から三宅町 ボランティアさんも充実しておもてなしの心を感じた。
解散後、石見駅に到着。
今日歩く川西町・三宅町は奈良盆地の中央部。
聖徳太子が愛馬黒駒に乗って従者・調子麻呂を従えて斑鳩の宮から飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)へ通われたという。
太子道(筋交道)の道標の残る道を歩いた。
堤防に出る。アキニレ・ナンキンハゼ・オギ・・セイコノヨシが中国の西湖に因む名とは知らなかった。
川の合流点を過ぎて、油かけ地蔵
そばに油のペットボトルが置いてあった。地蔵は油でギトギト。
できものを治してもらうために願を かける日に、油をかける習わし(燃灯供養)があるそうだ。
オギ カラスが川で何度も水浴びしていた。
堤防にシャクチリソバが群生 薬用植物として導入されたものが各地で繁殖している。
川西町役場 公民館・文化会館など立派な建物が並ぶ。 町木ケヤキの紅葉
式内 糸井神社
主神は豊鋤入姫命 右)境内のカキ マメガキ? リュウキュウマメガキ? ヤマガキか?
拝殿には天保年代の太鼓踊り(雨乞いの願を掛ける)などの絵馬がいくつも奉納されている。
奈良県文化財に指定されているものもある。
面塚 観世流発祥の地とされる。寺川の氾濫で移転されているらしい。
ここで昼食となった。食べながらふと向こうを見ると、植樹された木に「シラカバ」の名が見えた。
えっ?こんなところにシラカバ? 近づいてみた。
シラカバには「新潟県十日町市川西地区」とあった。 こちらは「山形県川西町 クロマツ」
「平成19年度全国川西会議記念植樹」そういうことだったのか。 シラカバ元気に育つかな?育ってほしいな。
午後からはボランティアさんの案内で歩く。
白山神社 黒駒に乗る太子像 戦時中金属供出で失ったが、h24年再建されたもの。強化プラスチック製らしい。
右)太子の腰掛石 村人がもてなし、風の強い日には屏風を立てたところから「屏風」の地名となったとの伝承。
杵築神社(屏風)近辺に杵築神社が3社もある。(ここ屏風と、伴堂、但馬)
この辺りは川に囲まれた低湿地帯で疫病などから守る願いがあったのか。
右)ボランティアさんによる忍性菩薩の紙芝居
屏風生まれで武士の子だった忍性は母の願い通り僧となり、貧民やハンセン氏病など社会的弱者の救済に一生をささげた。
ここにもおかげ踊り・なもで踊りなど貴重な絵馬が奉納されている。
木抱かれ地蔵 ヨノミ(エノキ)に抱かれていたという地蔵さま。胸まで木に覆われている昔の姿が掲示されていた。
木から解かれてほっとされたか?さみしがられているか?
厳島神社(三宅町伴堂) 株立ちのアラカシがご神木になっていた。
杵築神社(伴堂 ともんどう)
なもで踊り絵馬など、ここにも古い絵馬があった。
丹波佐吉狛犬 伸びあがったような形 (写真写りが悪い。もっとゆっくり撮ればよかった)
古代衣装髪にアサザの髪飾りのボランティアさんによる万葉集の歌のお話など。
h26年の太子道イベントの時にはここで天平の舞などを見せていただいた。
万葉集にうたわれるアサザ(万葉名アザサ)希少なものだが、あちこちに植栽されていた。
川西町から三宅町 ボランティアさんも充実しておもてなしの心を感じた。
解散後、石見駅に到着。
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