みどりの野原

野原の便り

9月17日 オオヤマト古墳群等 史跡巡り

2019年09月17日 | Weblog

山の辺の道周辺の古墳は何回も来ているが、行ったことのない所もあり、長柄から巻向へのコースは新鮮な感じだった。
オオヤマト古墳群・柳本古墳群などのいくつかを巡った。

 
大和(おおやまと)神社 祭神、大国魂大神は日本書紀にも記載される神で、後に当地に遷座。
山上憶良が遣唐使として出発する丹比広成に贈った(航海の無事を祈る)歌の歌碑も建つ。
                    右)鳥居から続く参道は長い。
この近辺に広がる古墳群をオオヤマト古墳群という。

 
参道の途中に落ちていたタマムシの死骸 中は空洞だった。
   右)参道出口あたり、濠?池?の向こうは馬口山(ばくちやま)古墳 初めて聞いた。
放置されているようだが、案外古墳の形は残っているらしい。

 
萱生町 手前のため池は向こうにある西山塚古墳の周濠の名残とか。
墳丘は今は果樹園等に転用されているが、開墾時に石棺や勾玉土器等が見つかったそうだ。今は所在不明らしい。
「26代継体天皇の皇后、手白香皇女の真陵」との説が有力らしい。
宮内庁は次に行く衾田陵を手白香皇女陵と比定している。


26代継体天皇の皇后、手白香皇女の陵として宮内庁が比定している衾田陵。
でも手白香皇女と築成の時代とは合わないそうだ。

 
        柿木畑横を登って衾田陵の拝所まで行った。
特に変わったことはなかったがここまで来たのは初めてだ。

ツルボやマメアサガオ・ヒヨドリバナ ヒメクズ・クサギ・スズメウリなど、気にする人はいないが、ここから下る道は自然な感じでよかった。

天理街道を超えて黒塚古墳へ。
黒塚古墳は発掘された石室から大量の銅鏡が出て一躍有名になったところ。
銅鏡や石室の実物大模型が展示されている黒塚古墳展示館は祝日の翌日で休館だった。

 
    黒塚古墳 後円部に登る。  後円部墳頂の石室の展示 長さ8.3mもある。
石室の壁から天井へは板石を持ち送りで積んだ合掌式という造りで、築造後まもなく発生した大地震で崩れたが、かえってその後の盗掘者も拒み、石室内部が良好な状態で残ったという。

三角縁神獣鏡が33枚 他、築造当時の状態で見つかった。
この鏡が魏の国から邪馬台国の卑弥呼に送られた100枚の内のものか、連れてきた技術者により国内で作られたものか・・
いろいろな考えがあるようだ。
(ネットでは・・蛍光X線での分析の結果・・微量元素の割合が古代中国鏡と一致することが分かり、中国で製作された可能性が高まった。との記事があった)

 
    ハゼノキ 果実があった。       高い枝にヤドリギ

冬場、お壕へオシドリを見に行く崇神天皇陵(宮内庁では崇神天皇山辺道勾岡上陵に比定)(考古学では行燈山古墳と言われる)を見学して・・


伊射奈岐神社 この境内(裏山?)は (大和)天神山古墳だそうだが、墳形はわからない。
1960年、県道拡張工事で後円部の一部が削り取られたとか。
内部からは木簡の一部や銅鏡23面、石室に使われた多量の水銀朱が見つかったらしい。

 
 12代景行天皇陵(渋谷向山古墳)  右)ミズワラビ やジュズダマの生える野道

珠城山古墳群の近くで終了。
垂仁天皇纏向珠城宮跡の碑を見て下り、JR巻向駅へ。

コメント
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