みどりの野原

野原の便り

9月30日 長谷寺周辺 三人のビッグネーム

2014年09月30日 | Weblog
西国三十三か所観音霊場第8番の札所でもあり、ボタンで有名な花の寺 長谷寺。
近くなのにお参りする機会がなかった長谷寺と周辺を案内してもらう機会があった。

  
       長谷寺仁王門前  
             右)登廊は下中上段の3つ折れになり、399段あるらしい。
登廊の横には燈籠が立ち並び、有名なボタンがたくさん植えられている。今はまだ淋しい。

上り詰めると本堂に着く。本堂の前は舞台になっていて見晴らしが良い。
中央の御本尊・十一面観世音菩薩立像は室町時代に再建されたもの。火災に遇う度に何回も再建され、現在の像は室町時代のものらしい。
右手に錫杖 左に水瓶を持つ。このスタイルは長谷寺式というそうだ。
大盤石という岩の上に立たれているのも特徴らしい。左右の脇侍が大盤石を守っている。

十一面観音様を祀った「徳道上人」、後に出てくる今の長谷寺の形を作り上げた「專誉僧正」、長谷寺開祖の「僧 道明」は、長谷寺にとって重要な人物だとお話があった。

本堂の横に回りこむと裏観音と呼ばれる十一面観音さまがいらっしゃる。秘仏だった本尊の代わりにこの像を拝んだという小ぶりの観音像。


歴代能化墓所 「能化」とは聞きなれない言葉。住職。指導者的な人の意味らしい。

 
この墓所には今の長谷寺の形を作り上げた(左)專誉僧正 右)豊臣秀長公が祀られていた。
豊臣秀吉によって根来寺を焼き討ちされた專誉僧正が秀長公の招きにより長谷寺に入ったのというのも変な因縁? 徳川の世になってもここに豊臣秀長公が祀り続けられているというのも又・・

    
本長谷寺という小さい社 

 
中央には銘文に長谷寺の造立の理由などが書かれた銅板法華説相図(国宝)のレプリカ  
右に長谷寺開祖の僧 道明 さて左の人は? と問われる。 
長谷寺の観音様を作る時、毎日接待してくれた美しい娘さんが、帰り道に白粉が落ちていて、後をつけて行くとおばあさんだったという「白河の婆」の話を聞く。
その功徳のお蔭でここに祀られるようになったのか。 
40年前ごろまで白河の村から1年に1度この像に白粉を塗りに来ていたとか。

 
本堂のところに戻ってきた時、若いお坊さんが五色幕を張っておられた。 
今勉強中の方や資格をとった若いお坊さんらしい。專譽僧正以来今も長谷寺は学問寺であるという。
お昼前に本堂に戻ったのにはわけがあった。

 
本堂横からは鐘楼が見える。そこで12時ちょうどに鐘と法螺貝が鳴らされるという。
しばらく待っていると、12時きっかりにブォ~~ヒュ~ 合間にゴ~ン ゴーン
昔からずっと続いているらしい鐘と法螺貝。。 法螺貝の音は・・練習中かな?

弁当を食べて長谷寺を出る。
 
スサノオ神社へ階段を登る 
          右)県下最大 天然記念物のイチョウ巨樹 
ここへはイチョウがまっ黄色の時にも来たことがある。

 
    與喜天満神社         磐座の鶏形石
日本最古の天満宮だそうだが、平安時代に菅原道真のたたりを恐れた藤原氏が滝蔵権現から天満宮にチェンジした・・と聞くと??となる。
そして、名高い菅原道真を祀ると参拝者が増え、清少納言や紫式部も来て歌を詠み・・と長谷詣でが盛んになる。人気者が人気を呼ぶ? 今も同じかな?

 

長谷寺参道 與喜浦の棚田 長谷寺遠望 景色のよいスポットに案内してもらい・・

最終が

これも知らなかった女夫饅頭(めおとまんじゅう)をいただく。
西国三十三か所名所図絵でも紹介されているらしい。 長谷寺は草餅と思っていた。 

知らないことだらけの長谷寺 回り尽くした感がある。
(本当はまだまだあるのだろうが・・)詳しい説明、勉強になった。  
コメント
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