みどりの野原

野原の便り

11月28日 沖縄 4日目 首里城&まとめ

2007年11月28日 | Weblog
4日目 最終日

首里城公園(那覇市)
前来た時は建物の中には入らず素通りしたので、今回初めて入城。

石垣にアサヒカズラが咲いているのが見えたが、写真を撮る間もない、

廣福門・漏刻・瑞泉・歓会・守禮之門などを抜け、9時の開門の儀に駆けつける。


              歓会門


              開門の儀

台湾で見た衛兵の交替式を想像していたが、3人の門番?の1人の太鼓の音を合図に
簡単に門が開いた。

首里城正殿
14世紀末に創建され独立した琉球王国の王様の居城として政治経済文化の中心であ
った。
何回も消失し、復元されたものも太平洋戦争で焼け、平成4年に復元されたもの。

琉球独特のもの・日本・中国の影響を受けた建築様式が融合したきらびやかなもの
だった。


        王冠

             正殿

北殿
北殿は行政を行う場所として、外国からの客を迎える場所でもあった。
新収蔵品展が行われていた。
三線・長線・夜雨琴などの楽器の部品に鉄刀木が使われているのは南国ならでは
か?

王様の任命式の様子を表した模型が展示されていた。
新国王が誕生すると、中国皇帝のから使者が来て、王様の就任を認める儀式が
行われたという。
なんで中国から認めてもらわないといけないのかはわからないまま。


            任命式 
右天蓋の中にいるのがが中国からの使者 中央左が任命書を読み上げる使者の代理者 中央が新国王 

1時間はあっという間に過ぎ、これで観光は終わり。飛行場へと向かう。

まとめ
南部戦跡では
アメリカ軍からは「浮沈空母」とするため激しい攻撃を受け、
日本軍からは日本の砦として「死守」するよう迫られ、
降伏を許されず、降伏しようとした民間人は背後から日本兵に打たれ、前進も後退
も出来なくなり死ぬしかなかった沖縄の人たち。子供や若い人も含めて。
やりきれなさを実感した。

中部基地の町
前に東南植物楽園を歩いていた時、突然「ぐぉーー」と轟音が響き、天地がひっくり
返ったかと思わずしゃがみこんだ真上を大きな軍用機が通り過ぎた。
今回も飛んだ。前ほどは驚かなかったが、この轟音の下で人々の生活があることを
思う。
町にはYナンバーの軍関係車が走る。これもいろいろ問題があるようだ。

私達にはもう遠くなった戦争が今もここには続いているように思った。

北部
本部町(もとぶちょう)に近づくと、今まで見られなかった大型シダのヘゴやクワ
ズイモが車窓からたくさん見え、明らかに植物相が変わってきたことを感じる。

やっぱり北部が好きだなあ。
車窓からではあったがいろんななつかしい木が見れた。
モモタマナやオキナワキョウチクトウは実の季節だった。

格安ツアーの3泊4日 充分楽しめた。

帰りのリムジンバスでは羽曳野あたりから二上山にかけて山の紅葉がすばらしかった。
秋の紅葉はいいなあ。


コメント
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