日本の放射能汚染シーフード密輸 法治で安全性確保
輸入シーフードは中国の食卓において品質と安全が保障されているという見方が一般的だった。しかしこのほど山東省の青島税関で日本福島県の放射能に汚染さ れた海域で獲れたシーフードの密輸が摘発されたことで、この輸入シーフードへの「信頼」に揺らぎが生じている。この輸入価格が2億3千万元(1元は約 15.1元)分の「問題あるシーフード」が本当に汚染されているかどうかは、今後の検査を待たなければならないが、ここ2年ほどの間にこのような低価格の シーフードが「飛ぶように売れて」一般庶民の食卓に並んだことは間違いない。今、改めて食品安全に注意が向けられている。人民網が伝えた。
福島第一原子力発電所の放射能漏洩事件が起きてから5年あまりが経つが、放射性物質は生物濃縮の問題が単なる吸着作用の問題より深刻だ。たとえば福島第一 原発の周辺で測定された放射性物質セシウムは、半減期が30.17年で、食物連鎖を通じて濃縮され、人体に長期間潜伏する。事件後、シーフード好きな日本 国民でさえ食べるのを控えるようになった。1987年のチェルノブイリ原発事故の後で、研究者が同原発の冷却水にいたザンダル(スズキの仲間)を調査した ところ、この魚を1キログラム食べると、体内に入った放射性物質のセシウムはすぐには排出されず、毎日レントゲンを受け続けているのと同じ状態になること がわかった。こうしたケースをみると、今回のような汚染されたシーフードの密輸販売は、本当に大胆な暴挙だということがわかる。
利益があれば何でもするというのが、悪事の根源だ。金儲けできるルートがあるということでこの密輸は2年もの間、続けられた。今回のシーフードの密輸ルー トを調査すると、ロシア発であれ、日本発であれ、ベトナムを通じて陸路で中国に入るという具合に迂回路を通っている。疑わしい動きをしたルートであったが 故、青島税関の注意を引き、最終的に密輸が発覚することになった。
実際、2011年に福島原発事故が起きて以来、中国は日本産の農産品に対し慎重の上にも慎重を重ねてきた。11年に国家質量監督検験検疫総局(質検総局) がうち出した「日本から輸入される食品・農産品の検査検疫の監督管理の一層の強化に関する公告」では、福島県をはじめ12都県からの食品、食用農産品、飼 料の輸入を禁止し、日本のその他の地域から食品、飼料を輸入する場合でも、二重の検査を受けるとした。検査報告時には日本政府が発行した放射性物質検査の 合格証明書と原産地証明書の提出を求めた。また各地の検査検疫機関は輸入された食品、食用農産品、飼料の放射性物質を測定し、合格しなければ輸入できない とした。今回の問題あるシーフードは、通常の何倍も輸送費をかけて長い距離を運ばれており、まさしくマルクスの「3%の利益がありさえすれば、どんな罪も 犯す」という言葉そのものだと言える。
「善に従うは登るが如く、悪に従うは崩るるが如し」というように、食品の安全性に基づいたブランドに対する信頼の構築はたやすいことではなく、信頼は崩れ る時は一夜にして崩れる。今回の汚染シーフードは輸入によるものだが、食品の安全性に対する懸念をかき立てている。数年前には、中国産食品の安全性への信 頼が粉ミルク問題のためにどん底に落ち、国産粉ミルクは今、「過ちを改めて生まれ変わろうとして」おり、世界で初めてグローバル食品安全基準(BRC)の Aプラス認証を取得したブランドのメーカーもあるが、消費者に「絶対信じない」から「無条件で信じる」に変えることは、引き続き長い道のりだ。
今年上半期には、密輸摘発のための共同特定プロジェクト「国門利剣2016」で真っ先にターゲットになったのは農産品の密輸だった。だが突撃方式の漁で は、網から漏れる魚が必ずあり、法治の網を張りめぐらし、緻密に織り上げ、違法行為のコストが高くつくようにしなければ、違法行為に対する抑止力を向上さ せ、食品の安全性の保証効率を高めることはできない。欲に駆られた者があらゆる計略で「良心」をうち破ろうとする時、社会全体が有害な行為を法治システム によって囲い込まなければ、子供や孫の世代に安全な食べ物を与えることができなくなる。今年の食品の安全性宣伝週間のテーマは、「徳を尊び法を守り、食品 の安全性をともに実現しともに享受する」で、法的手段によって管理が適切に行われなければ、安全な食品を生産し、安全な食品を口にすることはできない。管 理が適切に行われるためには、現在の「農業部門が生産段階に責任を負い、食品薬品監督部門が販売段階に責任を負い、畑から市場までがつながらない、監督管 理部門が連携しない状況」を改善しなければならない。
さらに注意すべき点は、このたびのシーフード密輸は輸入型の食品の安全性リスクだが、国際化が進む中で食品の安全性を考える場合には、これまでのように国 内に目を向けるだけではだめで、国の門をよりしっかりと守る必要があるということを如実に物語っているという点だ。(編集KS)
「人民網日本語版」2016年8月26日