平和国家じゃない、戦争に加担する日本
フリーランスエイドワーカー・高遠菜穂子さんに聞く
ISに襲われ、シンジャル山で2週間生き延びたヤジディ教徒の赤ちゃんを抱いて(2014年8月)
イラク戦争の教訓忘れないで
―何でイラクなんか行くの? 危ないじゃん。
「そう言われるだけで泣きそうだった。とにかく日本人を無視しようと十数年。外国にいるほうが楽だった」
今日の世界人口75億人。その内113人中の1人にあたる6560万人が避難民とされている。「この人たちを支える仕事がなかったら地球は破滅する。実は世界では多くの人が携わっていて、ジュネーブに行くと誰も驚かないしましてや『何でイラクなんかに』だなんて言われない」。
高遠菜穂子さんは2000年からフリーランスエイドワーカーとしての人生をスタートし、03年3月20日イラク戦争の開戦から2ヵ月後、ジョージ・W・ブッシュによる「大規模戦闘終結宣言」を受け5月1日からイラクに入った。04年、イラク日本人人質事件に巻き込まれ日本のマスコミや周囲の人々から激しい「自己責任」バッシングを浴びせられながらもなお、今日までの14年間をイラクを中心とする紛争地で活動している。イラクと日本を行き来した回数は数え切れない。いや、数えていない。
そんな高遠さんの仕事の9割は「緊急支援」だ。「軍事作戦があるというとき、作戦が開始されてから準備をしても間に合わない。軍事作戦開始の事実を知った瞬間に人が逃げてくるし、始まった瞬間から押し寄せてくる。そんな地獄の様子をいつも想定している」。
避難民ルートはどこに出来るだろう、今から攻めるところに200万人の人口がいるとするとその内の何十万人が被害を受けるだろう、そこから何パーセントがこっちに来るだろう…さまざまな想定をして起こりえる状況を全て炙り出す。そうして避難民らを迎え入れ、医療および物資、心の支援も行う。
「逃げるとは死と隣り合わせ。撃たれるんだから。家族で逃げてきて全員が生き残った例なんて奇跡に近い。逃げる間に砲撃の巻き沿いにされ、生きていたとしても手足が飛び、両目が飛ぶ。緊急支援は一刻を争う仕事」。
緊張が高まる朝鮮半島情勢については、「もちろん前提は、戦争なんて絶対に起きてほしくない。でも職業柄、シミュレーションはしている」。
誰も戦争なんてしたくない。でも一方で思うことがある。
「今の状況は、イラク戦争前夜と似ている」
朝米関係とイラク戦争の教訓
「イラク人は『イスラム国』の一番の被害者。それはイラクの皆も言っている」。しかしなぜか、「日本では全イラク人がまるでテロリスト集団かのように烙印が押されている」。
それは朝鮮に対しても同じことだろう。「北朝鮮と韓国が本当は一つの国なんだってこと、今もずっと戦争しているってこと、知らない人があまりにも多い。説明すると、『え、そんなことテレビで言ってなかった』と返ってくる」。
アジア太平洋戦争時の日本帝国の植民地支配、その後1950年から始まった朝鮮戦争は未だ「休戦」のままだ。そうして米国とその追随者たちによる「分断体制」が巻き起こしている本当の脅威には目もくれず、朝鮮半島を取り巻く緊迫した情勢の発端があたかも「北のミサイル」にあるというような認識が蔓延している。
「怖いのは政府ではなく、メディアによる民間の扇動だ」としながら高遠さんは「休戦協定のことを何人の日本人が知っている? 朝鮮側の視点に立ったことある? 多角的な視点がないと『こっちは間違っていない』、『あっちが間違っている』と勝手な線引きがされて、戦争になってしまう」と話す。
イラク戦争の発端も「でっち上げの脅威」であった。「イラクは大量破壊兵器を持っている」「アルカイダをテロ支援をしている」と米国が率いる「有志連合」は先制攻撃をしかけたが、蓋を開けるとそれは嘘。「イラクに大量破壊兵器などなかった」―その結果と引き換えに100万人に及ぶ大量の命が奪われ、今日、イラクでは420万人が避難民として生きている。
戦争で何が嫌か? それは人が傷ついて痛んで悲しむこと。「でも仕掛ける側は誰が死のうと関係ない。昨年11月にトランプがアジアを歴訪したけれど、彼を死の商人とはよく言ったもの。脅威を煽って武器を売る、戦争を実践して長引かせてまた武器を売る、破壊物の再建もコンストラクションカンパニーと繋がっているから丸儲け…『軍需産業』、儲けることしか考えていない」。
高遠さんは続ける。「今この場に及んで、日本の結構な割合の人たちが他人事だと思っているのではないだろうか、起きても『朝鮮と米国との戦争だ』と」。
戦争は誰もが避けたいこと。でも仕事柄いつも考えざるを得ない「もし戦争が起きてしまったら」と。
在日米軍が日本にいる。朝鮮戦争を仲介している「国連軍」基地が日本にもあるのだ。仮に現情勢から戦争を想定した場合、「日本が紛争当事国になる可能性は100に近い」。それだけでは済まない。「自分たちも火の粉を被りながら、他の国から難民が来る可能性もある。そうして路頭に迷い、自分たちも難民・避難民になる…最悪なシナリオだけれど、十分に起こり得る」。
2003年3月、なぜ米国はイラクに先制攻撃をしてしまったのか―その収拾は未だ付いていなければむしろこじれている。「なのに米国を悪く思っている人は少ない」。
「とりわけ今の朝鮮の緊張状態はイラクの戦争前夜と似ている」と高遠さんは警鐘を鳴らし続ける。
「たまにテレビで点のように出てくるニュースだけをつなげたらいけない。その点と点の間には必ず線がある。薄くてもいい、なぞるだけでもいいから、知ると見方が全く変わってくる。これが、イラク戦争の教訓」
ISに解放されたモスルの病院に医療器具を届け、状況やニーズの聞き取りをする高遠さん(2017年7月)
幻想はもう捨てた
「イラクを通して見えてきたものは、平和国家を標榜しながら戦争に加担する、日本だった」
2004年、武装勢力に目隠しされ首まで切られそうになった当時の状況を説明しようとするだけで「今でも心臓が高鳴って涙が出る」。
「人生をかけてイラクに行ったから殺される覚悟は出来ていた。だけど殺されそうになって生き延びたのに、日本でここまで『殺される』とは思わなかった」
生き延び日本に戻るや否や、人々から「自己責任」バッシングを突きつけられた高遠さん。山のような脅迫状、飛び掛ってくる人や勝手に写真を撮ってくる人、講演中に人が怒鳴り込んできて警察沙汰になったことも。主催者の車のフロントガラスを割られたり、何度も身の危険にさらされた。
「イラク人の武装勢力に殺されかけたというあってはならない記憶と、日本人同胞にまんまと殺されるという記憶がセットになっている。忘れたことなんて一度もない」
「日本は平和な国だと言うけれど、人間は平和じゃないと思った」。「日本人はそんなことしない」―こんな幻想はもう捨てた。
「どっちの味方だとか、どっちが良い悪いは関係ない。今、明らかに足りないのは『人道主義』で行動する人。心から支援の手を差し伸べられる人」
高遠さんが幾度と越えてきたのは、硝煙の匂いが漂い、遺体が無造作に横たわる路上だけではない。「住み込んでいた病院の、ドクターたちと一緒に卓球した所とか、ご飯食べた所とか、空爆で、ボコボコになった」―よりどころをなくした思い出、行く場のない懐かしさ、そして、死…大きな喪失感に疲弊する心、その試練さえも乗り越え今日も紛争地に駆けていく心の真髄にあるものは何か?
「みんな人間。家に帰れないとしてもキャンプで生きるし、食べて、水も飲んで、子どもはどうにか学校に送って…難民になって何もなくなっちゃっているけど、人としての営みを取り戻すために日々たたかっている」
「私は耐えるために生きているんじゃない。自分がやるべきことはあくまでも人道支援。何か言われるのが怖いからってやめるなら最初から行っていない」
あるべきありのままの人間を、ただ愛し、愛しぬく―高遠菜穂子、その志は揺るぎない。
プロフィール
高遠 菜穂子(たかとお なほこ)フリーランスエイドワーカー
1970年、北海道生まれ。大学卒業後、会社員を経て地元で飲食店経営に携わる。2000年インドの「マザーテレサの家」、01年からタイ、カンボジアのエイズホスピスでボランティア活動に専念。03年5月からイラクでの活動開始。04年4月にイラク・ファルージャで「自衛隊の撤退」を要求する現地武装勢力に拘束された。解放後、日本国内で「自己責任」バッシングを受ける。現在もイラク人道・医療支援活動を継続中。
「イホネット=イラクホープネット」呼びかけ人、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人、「9条の会」世話人。
(李鳳仁