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2002年民主党大統領候補となった盧元大統領の釜山選挙対策本部長を務めたことで、政治と縁を結んだ。

2017-04-04 | 韓国ハンギョレ新聞

文在寅はどんな人物?

登録 : 2017.04.04 04:11 修正 : 2017.04.04 07:59

盧武鉉元大統領との出会いで政治の道へ… 
「弊害の清算」課題抱えて再挑戦

文在寅前代表が3日、高尺スカイドームで民主党の19代大統領選候補に選出された後、花束を手に党員に挨拶している。文候補は同日の首都圏・江原・済州道の予備選挙を含め計4回の巡回予備選挙の累積得票率57%を得て、決選投票なく候補に確定した。カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社

 3日、共に民主党の大統領選候補に選出された文在寅(ムン・ジェイン)前代表(64)は、誰かの一歩後ろに立っていた方が落ち着くような人だった。維新反対デモを率いていた大学生から人権弁護士に、社会変革に取り組んできたが、彼はいつも“政治”の前面に出るより、“自由人”としての生活を渇望していた。2012年の大統領選挙を控えて盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の逝去後、“運命”のように政治に呼び寄せられた彼は、自分の名前を掲げて政権交代を叫ぶ“現実政治家”に変貌した。

 

■運命

 

 1953年1月23日、慶尚南道(キョンサンナムド)巨済(コジェ)で2男3女の長男に生まれた文候補は、貧しさのためにトウモロコシのおかゆの給食で食事を済ませ、月謝が払えず、授業の途中に教室から追い出されたこともあった。慶南中・高等学校を経て、浪人して慶煕大学法学部(1972年)に進学してからは、勉強よりも維新反対デモの先頭に立った。司法研修院を次席で修了したにもかかわらず、デモの前歴のため、判事になれなかった彼は、検事でも大手法律事務所の弁護士でもなく、「庶民が経験する事件の中で弱い人を助けてやりがいを見つける普通の弁護士」になる道を選んだ。

 

 そんな彼に政治家の道を歩ませたのは盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領だった。いや、運命だった。“弁護士盧武鉉”と釜山(プサン)でともに法律事務所を運営していた文候補は、2002年民主党大統領候補となった盧元大統領の釜山選挙対策本部長を務めたことで、政治と縁を結んだ。

 

大学生の文在寅(左)と現在の妻、キム・ジョンスク氏(左から2番目)//ハンギョレ新聞社
特戦司令部部隊の同僚と共に。右端が文在寅候補//ハンギョレ新聞社
開業した弁護士事務所で母親と記念写真を撮る姿//ハンギョレ新聞社

 彼は盧武鉉政権で大統領府民政首席秘書官、大統領秘書室長などを歴任したが、盧前大統領の相次ぐ勧誘にもかかわらず国会議員選挙に出馬するなど政治の第一線に出るのは極力避けた。彼を政治舞台に呼びよせたのは2009年5月23日の盧前大統領の逝去だった。「あなたはもう運命から解き放たれたが、私はあなたが残した宿題に縛られることになった」。彼は結局、2011年末「政権交代」という大義名分のために、野党の大統合を通じた民主統合党の創党に参加し、2012年4・11総選挙当時、釜山沙上(ササン)選挙区で議員に当選した後、大統領選挙まで駆け上がった。しかし、同年12月、当時朴槿恵(パク・クネ)セヌリ党候補と対戦した大統領選挙の結果は51%対49%、彼にとっては痛い敗北だった。

 

盧武鉉政権の大統領秘書室長職を務めていた時代//ハンギョレ新聞社
大統領府から退いた後、慶尚南道梁山の家でのひととき//ハンギョレ新聞社

■権力意志

 

 眠っているかのように見えた彼の権力意志が新たに注目され始めたのは、2015年に新政治民主連合2・8全党大会の時だった。当時、党内の長老たちだけではなく、側近たちも「じっとしていれば花の御輿に乗せて大統領選挙に運んであげるのに、汚れ仕事の代表を務めても何の役にも立たない」と止めた。しかし、彼は「このままじっとしていると、私は何もできず消えてなくなる」と言い、出馬を決めた。結局、党代表になったが、それから10カ月は茨の道だった。代表就任後、2カ月後に行われた再・補欠選挙で惨敗した直後、沸騰した「責任論」は“新人代表”のリーダーシップを巡る議論に飛び火した。また、「公認革新案」の処理のため、党代表再信任投票まで掲げたが、安哲秀(アン・チョルス)前代表などが「親文(在寅)覇権主義」を批判しながら、大挙離党し、党が割れた。

 

 2016年4・13総選挙を控えて危機に直面した彼は勝負をかけた。2012年の大統領選挙の際、ライバルの朴槿恵前大統領側で国民幸福推進委員長を務めた金鍾仁(キム・ジョンイン)元議員を非常対策委員会代表に迎え入れ、正面突破を試みて、総選挙で勝利した。しかし、「政界引退」まで公言し力を入れた全羅道で国民の党に惨敗したのは、政治的負担になった。

 

 文候補は、今回の大統領選挙で「弊害の清算」と「完全に新しい大韓民国」を約束する一方、「異なることが間違いとして排斥されてはならない」と強調している。2度目の大統領選挙の挑戦に乗り出した彼は、党外から吹き荒れている反文連帯の風を静め、反対側に立った有権者を説得して“過去”と決別しなければならない難しい宿題を受け入れた。

 

イ・ジョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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国民日報によると、朴前大統領は食事はほとんどとれず、食べ物をたくさん残したり、消化障害の症状を一部見せたり・・・

2017-04-04 | あらゆる差別を許さない

朴前大統領、拘置所で4日目…拘置所での日課は?

2017年04月03日16時58分
[ⓒ 中央日報日本語版]

先月30日、逮捕状実質審査を終えてソウル中央地裁を出た朴槿恵前大統領。
  囚人番号503番をつけた朴槿恵(パク・クネ)前大統領がソウル拘置所に収監されて4日目になった。

  3日、韓国メディアのYTNなどによると、朴前大統領はソウル拘置所の女性収容洞1階の隅にある22号室に収監されている。3.2坪規模の部屋に、優遇レベルで6~7人が一緒に使う部屋を独房に改造したところに留まり、比較的に問題なく適応しているということが分かった。

  ソウル拘置所は午前6時30分の点呼から一日が始まる。朴前大統領も原則的には他の収容者と同じ日課を送る。毛布の片付けや掃除を終えてから刑務官の点呼を受けて7時に朝食を食べた後、11時30分に昼食、午後5時に夕食をとる。韓国メディアの国民日報によると、朴前大統領は食事はほとんどとれず、食べ物をたくさん残したり、消化障害の症状を一部見せたりしていることが分かった。

  弁護人は平日午前9時から午後6時まで時間制限なしに面会が可能だ。家族や知り合いは一日一回、10分程度会える。

  面会が許されない時間には、通常テレビの視聴や読書で時間を過ごす。テレビは服役者の教化放送一つだけを視聴することができる。矯正当局が自ら製作した番組の以外に、ドラマやバラエティ番組は2~3週前に放映されたものを主に録画して放送する。夕方に1時間ずつ、その日のニュースが唯一のリアルタイム番組だ。
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