大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

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日本語版新聞紹介

遠山金さんも大岡忠相も,百田発言には「百たたき]のうえ、打ち首獄門申し付けるで一致したそうな?

2015-06-28 | なんでこんなあほなことが

“つぶれてほしいのは「朝日」「毎日」「東京」”

百田氏 今度はツィッターで

 

 

 沖縄の2紙(琉球新報と沖縄タイムス)を「つぶさないといけない」などという暴言を自民党議員らの会合で語った作家で元NHK経営委員の百田尚樹氏が、27日にもインターネットの短文投稿サイト・ツイッター上で言論抑圧の暴言を繰り返しました。

 問題のツイート(投稿)は、「炎上ついでに言っておくか。私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です」という もの。沖縄紙に対する暴言への批判には「冗談」「ジョーク」だと言い訳していましたが、今回は「本当につぶれてほしい」と断言するなど、弁解の余地はあり ません。

 全国紙などの主要紙のうち、戦争法案や沖縄米軍新基地建設を推進する安倍政権の立場に近い論調の新聞をつぶしたいメディアから除外した百田氏に対 し、ツイッター利用者からは「百田さんにとって信頼できるのは産経、読売?」という皮肉まじりの問いかけとともに、作家がときの政権に守られながら暴言を 放つなら、「『どんな意見を容認するかは権力次第』となる」と警告する声も上がっています。

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声明文は会合に出席 した議員や百田氏に送付し、県民への謝罪を求める。

2015-06-28 | 琉球新報より

県選出野党議員が自民報道圧力に抗議 「違憲、看過できず」

2015年6月28日

 

  沖縄県選出の野党国会議員でつくるうりずんの会(会長・照屋寛徳衆院議員)は27日、安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」に講師 として招かれた作家の百田尚樹氏や出席議員から、県内2紙をはじめ報道機関に圧力をかける発言が相次いだ問題で、抗議声明を発表した。声明文は会合に出席 した議員や百田氏に送付し、県民への謝罪を求める。

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「早ければ来月、遅くとも(光復70周年 の)8月15日以前に訪朝できそうだ」と述べた。

2015-06-28 | 韓国あれこれ・・・

金大中大統領夫人、来月にも訪朝…金正恩と会談も

2015年06月27日11時02分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

李姫鎬(イ・ヒホ)氏
  故金大中(キム・デジュン)元大統領の夫人、李姫鎬(イ・ヒホ)氏が早ければ来月、北朝鮮を訪問する。訪朝すれば金正恩(キム・ジョンウン)第1書記に会うと予想される。

  金大中(キム・デジュン)平和センター理事の金聖在(キム・ソンジェ)元文化部長官は26日、「我々から18日に『李姫鎬氏の平壌 (ピョンヤン)訪問について協議しよう』と連絡し、これに対して北が昨日(25日) 『開城(ケソン)で30日に会おう』と連絡してきた」と伝えた。これを受け、金聖在元長官をはじめとする南側の関係者5人とメン・ギョンイル朝鮮アジア太 平洋平和委員会副委員長ら北側の関係者5人が30日、開城で李姫鎬氏の訪朝日程を調整する予定だ。

  北朝鮮の金正恩第1書記は昨年末、李姫鎬氏あてに親書を送り、金正日(キム・ジョンイル)総書記3周忌の弔花について謝意を表し、 「来年の良い季節に女史が必ず平壌を訪問し、休養しながら楽しい日々を送ることを期待する」と招請した。李姫鎬氏側は当初、5月末の訪朝を進めたが、北側 が留保的な態度を見せ、延期された。金聖在元長官は「陸路訪朝と(平壌)百花園招待所投宿および金第1書記との面談などの日程は、前回に北側が李姫鎬氏を 招請した当時にすでに協議した内容」とし「(30日に開城では)訪朝の時期を主に協議する予定」と述べた。続いて「早ければ来月、遅くとも(光復70周年 の)8月15日以前に訪朝できそうだ」と述べた。

  統一部の林丙哲(イム・ビョンチョル)報道官はこの日、「金大中平和センター側が李姫鎬氏の訪朝申請をしてきた」とし「政府は訪朝の 必要性と申請要件を満たしているかなどを判断し、承認するかどうかを検討する予定」と伝えた。また「政府は南北間の実質的協力通路を開く意味で民間レベル の交流を積極的に支援している」と述べた。統一部の別の当局者も「承認しない理由は特にない」と話した。
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連載 12 京都の都の造営(都市計画)は朝鮮人技術者の指導でつくられたのです。

2015-06-28 | 「私がお話し」します。

第二章        京都は昔から「韓国・朝鮮」と深いつながりがありました

1、京都から、韓国・北朝鮮との友好の花を咲かせよう

京都は朝鮮と深いつながりの土地

 

1、        向日市寺戸町大牧・桓武天皇皇后陵

 

 私が生まれ、住んでいる京都府向日市向日町は桓武天皇が西暦784年奈良の都を長岡京に移した中心、大極殿のそばです。

さらに794年に京都平安京に遷都したのです。だから向日市には桓武天皇皇后陵があり、桓武天皇陵はそこからよく見える京都伏見区桃山町にあります。

 

 宮内庁のホームページには、平成13年12月18日皇居石橋の間で天皇が誕生日を前に恒例となって居る記者会見において「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。

韓国から移住した人々や、招聘された人々によって、 様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。

 そうして日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。また、武寧王の、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」と述べています。

 

京都の都の造営(都市計画)は朝鮮人技術者の指導でつくられたのですから、現在も朝鮮とつながりが深い場所や施設が多く存在しています。

朝鮮人の母から産まれた桓武天皇が長い間生活していたのが、向日市と京都なのです。

だから今、この土地に住んでいる私たちが、差別意識をなくし、韓国・朝鮮・との友好親善のために努力することは大変意義深いことだと思うのです。

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