でも、クリスマスまでにユーロ崩壊? と言ううわさが出ています。
本年11月9日、第1回「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」(以下「本件WG」という。)が開催された。本件WGは、本年8月 25日に政府が設置した放射性物質汚染対策顧問会議(以下「顧問会議」という。)の下に設置されたものであり、警戒区域や計画的避難区域の解除に向け、低 線量放射線による住民の健康影響や、放射線の影響を受けやすい子ども・妊産婦にどのような配慮が必要かについて、12月上旬まで1週間に2回のペースで集 中的に議論し、その結果を政策に反映させるという。
低線量被ばくの人体影響については、専門家の間でも大きく意見が分かれている。低線量被ばくとは、累積しておおむねゼロから約100ミリシーベルト (mSv)程度までの被ばくを指すと理解されている(米国科学アカデミー「電離放射線による生物学的影響」調査委員会報告 BEIR-VII2005年 等)。このような低線量域での被ばくについては危険性が無視できるという見解と、これ以下であればがんなどが発生しないというしきい値は存在しないという 見解が併存し、科学的にも決着が付いていない。
ところが、本件WGの構成員には、広島・長崎の原爆被爆者の健康影響の調査研究に携わる研究者が多く、低線量被ばくの健康影響について、これに否定的な見 解に立つ者が多数を占めている。しかし、原爆症の認定をめぐっては、これらの研究者らが関与して策定された審査方針に基づく判断を覆した裁判例も少なくな い。例えば、広島地裁2006年(平成18年)8月4日判決では、上記審査方針では認定されなかった41名もの原告全員について原爆症と認められ、その中 には、被爆後13日目(8月19日)後以降に広島市内に入って医療活動に従事して後年がんを発症した低線量被ばく者も含まれていた。度重なる国敗訴の判決 を受けて、2008年(平成20年)3月には審査方針が改定されたが、その後も国は敗訴を続け、東京高裁2009年(平成21年)5月28日判決は「審査 の方針(13年方針)は原爆症認定の判断基準として相当とはいえない」とも判示した。同年6月には審査方針を再び改定しているが、その方針でも救済されな い被爆者についても原爆症と認める判決が相次いでいる。このことは、本件WGに参集した委員が含まれた審査会で策定された方針では、低線量被ばくのリスク を十分に評価していない可能性があることを示している。
本件WGの人選は、顧問会議の座長が一方的に指名できることになっており、本件WGの会合もマスコミ関係者を除き、一般市民は傍聴もできず(第2回からインターネット中継はされている。)、議事録も公表されていない(11月24日現在)。
事故後の政府の対応は、既に国民の間に抜きがたい不信感を形成しており、今回のような方法を採ること自体が更なる不信感を招くことは明白である。
低線量被ばくのリスク管理については、国民の関心も高く、このような重要な政策課題が、このように市民に開かれず、公正であるとは考えられない構成員によ り短期間の議論のみで決定されるのは看過し難い。低線量被ばくの影響が現れるのは数年から数十年後であり、今科学的に解明されていないからといって後に影 響が現れる可能性がないとはいえない。影響が現れた後に、「あのときに対策を講じておけばよかった」と後悔しても遅いのである。
そもそも、低線量被ばくのリスク管理のような科学者の間でも見解が分かれるような課題は、科学者だけで決定できる性質の問題ではない。将来に禍根を残さな いようにするために、社会全体として、そのリスクをどの程度受忍できるのか、今、被ばくの低減や健康被害の防止のためにどのような対策を取るべきかなどに ついて、幅広い分野の専門家も交えて、十分な議論を尽くした上で社会的合意を形成することが求められている。そのためには、本件WGは、低線量被ばくのリ スクも無視できないという立場に立つ研究者はもちろん、被災地に居住している、又は居住していた市民、被災者の支援に関わってきたNGO、弁護士会及びマ スコミ関係者の参加を保障するとともに、議事を公開し、広く国民の意見を聴取した上で、合意形成を図らなければならない。
よって、当連合会は、政府に対し、閉ざされた「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」を即時に中止して、多様な専門家、市民・NGO代 表、マスコミ関係者の参加の下で、真に公正で国民に開かれた議論の場を新たに設定し、予防原則に基づく低線量被ばくのリスク管理の在り方についての社会的 合意を形成することを強く求めるものである。
2011年(平成23年)11月25日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・略
ありがとうございます。
被害が出たところは本当にお気の毒です。早速お見舞いいただきありがとうございます。
和歌山・奈良などの山間部です。山崩れや小規模河川の氾濫で特殊なところがやられたようです。
四国や中国地方は、被害が出ました。
近畿地方の西のほうを通過したので、京都は案外どうもなかったようです。
お寺などでも お堂がひっくり返ったとか、かわらが飛んだと言う被害もありませんでした。
私は、8月27日の夜から9月1日まで、東京の渡君のマンションに行っていました。
これから何度も行かねばならない第一回目でした。高速夜行バスなら1人¥4000で行けるというので、体力検査もかねて行こうと
妻と2人で京都発23時30分新宿着7時、わたるクンの迎えあり、で行きました。
自主運営の高麗博物館(新大久保・日本の中の韓国といわれる町にある)、関東大震災88周年、朝鮮人犠牲者追悼式、日朝協会本部事務所などをウロウロしていました。
最初の予定は2日の夜行で帰るつもりでしたが、 天気予報では東京直撃と言うので、1日の夕方新幹線でかえってきました。
それで、特に何もなく、2日から小雨、夜は大雨3日はちょっとだけ台風を感じて家にいて、4日は朝から大阪に行きました。
4日は、もう時々小雨程度で傘はもって行きましたが使わずじまいでした。
時間があれば原稿の続きを書いています。
5日は、妻のアッシー君(府立病院)と、本を作る業者に段取りを聞きに行きました。
一日経つのが早くて・・・
とりあえず京都は被害にあわなくてよかったです。 ありがとう マンさん より
Lieber mansan,
Lieber Mansan!
暑い暑い夏のようですね。
そんな中で選挙や広島行きがあって大変かと思います。
でも、選挙戦で“こういう場合は、こうしてほしい!”と長年実感してきた人に手伝ってもらえるほど心強いことはありませんね。 ハノーバーは気温17~25度。晴れ時々曇り。ところによりにわか雨。 この前の土曜日に“なでしこ”がドイツのサッカーチームを破り、大騒動です。 とにかく絶対確実、とドイツは思ってましたから。 地元での女性サッカー世界選手権で、地元のチームで、なおかつ世界チャンピオン、ヨーロッパチャンピオンを、という訳で、えらい番狂わせです。 決勝進出を決め笑顔の、(後列左から)熊谷、鮫島、宮間、川澄、(前列左から)海堀、阪口=13日、フランクフルト(共同) でも、ドイツでは、1970年ぐらいまでは女性サッカーを法律で禁止してたのですよ。戦後しばらく法律で、夫の許可がなければ女性は働けない、とか、結構野蛮だったのです。 ところでチェルノビルの原子炉が爆破してもう長く経っているわけですが、バイエルンでは未だに、猪等の獣が死んでいるのを見つけた場合は、これを”特別危険(放射性)ごみ”として扱う、ということだそうです。 私たちも好きなきのこ狩りやブルーベリー狩りをやめて久しいです。 かんかんでりの日本とは様子が違い、しのぎやすく、秋の気配がはらっとしたり。 それではまた近いうちに。 お元気で!
大橋様
女の友人12人でアテネ旅行をしてきました。5月1日から10日までで、戻った翌日アテネを始めとしてギリシアでスト・デモの大騒ぎがあったと聞き、1日違いで無事帰れた事を喜びました。
メールを頂き有難うございました。
もう立候補されないと聞いて、世代交代がきたのかな、でももう少し何とかならないのかな、とかいろいろ思ってしまいます。
考えれば普通の職業の人であれば、とっくに定年で、ゆっくりされているのに、長くご苦労されてきた、やはり激しいお仕事でしょうから、消耗が大きいと思ったり、でも誰にでも勤まることでもないし、と思ったり。でも、いつか終りが来るのでしょうね。ピリオドをご自分でうたれたのですから、他人がどうこうは言えませんね。本当にご苦労様です。
お母様の伝記など、是非、若い人に手渡してあげてください。ご自身のこともがんばって書き上げてください。大変しんどいことでしょうが、大切に思います。
こちらはメーデーでのデモは少なく、5月に移るその日を“夜を通して踊り明かそう!” の趣旨が強く、ダンスパーテイが夜通しで行われるようです。
私は躍れないので参加したことがありませんが、若い人たちは熱心です。
アテネはギリシア人の友人がアレンジしてくれ、まさにデモで警察隊との衝突があった、議事場のすぐ側、歩いて3分ほどの所にホテルを取ってくれました。
アクロポリスへも徒歩で30分ほどの所で、町の真ん中で、最上階のホテルの食堂から、毎朝 朝食の時にアクロポリスが見えていました。部屋からもバルコニーを通してアクロポリスが見え、とてもよかったです。ホテルそのものは古いのですが、清潔でもあり、一日の宿泊料がツインで80ユーロで、一人 40ユーロでしたので、財布も楽でした。
街中を見る限り、どのレストランもお店も流行っているように見え、人が多く、ギリシアのユーロ内における”破産”経済は見当たらないように思えましたが、やはり、あのようなデモ騒ぎになったのですから、私たちが見なかった所で、着実に破綻のしわ寄せが押し寄せているのでしょう。
旅行をアレンジしてくれた人も、ドイツ人と結婚していますが、アテネに彼女名義のマンションがあり、人に貸しているそうです。お姉さんも何軒か持っていて、貸しているのだが、この所、家賃の停滞が多くて、上手くいっていない、と話していました。
私はソクラテスが歩いたマルクトの後を辿ったり、ヨーロッパのデモクラシーの生まれた所を歩け、大変幸いでした。
不思議な現象で、ドイツのほうが暖かく29度を超えたようでしたが、アテネは15度~22度程で、風がさわやかで、気持ちよかったです。一日だけ、それも、たまたま標高400mほどのDelfi、という遺跡のところで、土砂降りの雨に会いました。
海の神、ポサイドンの宮殿を訊ね、コリント・エーゲ運河を見、コリント・ミケネを訪れ、友人の家族・その友人の御家に招待して頂き、3晩、手作りのギリシャ料理をご馳走して頂きました。
その他の夜は、評判のレストランへ行き、生演奏で、ギリシアの曲にあわせて、友人と2人のお姉さんが踊りだし、アラブの曲を指名して、アラブの友人が踊りだす、となんとも賑やかな食事でした。
戻ってきたら又体重が増えてしまっていて、あわてています。
夫は復讐だ、と6月からカナダの学会に一人で、出かけます。
最初は気持ちが乗らなかったらしいのですが、行って帰ってくるだけで4日ほどのことだから、土日を入れれば何とかなる、といく気持ちになったようです。ところが休日が取れたようで、厚かましく1週間行ってくるのだそうです。それだったらいっでょにいって上げたのに・・・とぼやきますが。 余り贅沢は言えません。
来週はハノーバーの駅前で地震・津波被害への募金活動をします。
ケーキを作って、折鶴を折って、がんばるそうです。
今の所、コンサートも入れ、独日友好会だけで、1万8千ユーロ集まった、ということです。
2万ユーロが第一目標です。
写真と一緒に上手くつくといいのですが。
それとどういうわけか、メールがちょん切れて届きます。
全部が読めず、失礼しているかと思います。私のも今回は長いのですが無事つくでしょうか?
ではお元気で。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【ワシントン斉藤信宏】
国際通貨基金(IMF)トップである専務理事、ストロスカーン容疑者の逮捕は、IMFの政策決定に空白を生み、世界経済に も悪影響を及ぼす懸念がある。特に、財政危機に直面する国を抱え、対応に追われる欧州連合(EU)にとっては、大きな支柱を失うことになり、今後、対応に 苦慮することになりそうだ。
専務理事は、15日にはドイツのメルケル首相と会談、さらに16日以降、EU財務相会合の会場で各国の経済閣僚とギリシャへの追加支援策について 協議する予定だった。支援策にはIMFの信用力が不可欠と見られているだけに、専務理事の不在は支援の行方にも大きな影響を与えそうだ。
専務理事は、昨年5月にギリシャの金融危機が表面化すると、ほぼ独断に近い形でEU・IMF合同の救済スキームをまとめあげた。そのスピードと手 腕には欧州を中心に高く評価する声が上がったが、逆にIMF内部では、加盟各国への根回しをしないまま出身地、欧州の救済策をまとめたことに、新興・途上 国を中心に不満の声も出ていた。IMFから支援を受けたことのある途上国出身の理事は「支援の条件が甘すぎる」と理事会で厳しく追及。「ストロスカーン氏 の次の専務理事は欧州からは選出されないのではないか」(IMF幹部)との指摘も出始めていた。
IMFでは、リプスキー筆頭副専務理事が今年8月末に退任することが決まっており、専務理事の逮捕が辞任につながれば「トップ2人が不在」という異例の事態にもなりかねない。後任人事も難航が必至と見られており、加盟各国は難しい対応を迫られそうだ。
|
||||||||||||
|
|
|||||
|
![]() |
|