柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

面白味

2008-11-09 11:00:17 | Weblog
毎日新聞のコラムでサッカーアルゼンチン監督にあのマラドーナが就任することを採り上げています。ぶくぶく肥えて、大麻の何のとスキャンダル振りまいて(私でも知っていますから)、それでもあの地位につけるところがお国柄と言うべきか。と言うか日本では絶対有り得ない人選。特殊なのは日本なのかもしれませんが。神の手シュートはあまりにも有名です、当時から現在に至るまで百人が見たら百人とも指摘できる単純なハンド。だから伝説化しているんですが。でもあの大会でのマラドーナはすごいなと思って見てましたね、これまた伝説のキーパーまで含めた5人抜きなどなど。実はあの大会は、私が初めてサッカーのワールドカップの存在を知ったという記念すべきもので、救急病院に勤務していた時代、サッカーファンが同僚にいて、夜中も熱心に見ていてワーワー言ってる、つられて見て知ったという実状です。まだまだサッカーがマイナースポーツである時代です(いえ、野球以外はみんなマイナーな時代と言うべきですか、あの時代はまだバレーボールがメジャーでしたか)。という私の時代背景、コアなファンでなければどなたもちょぼちょぼだと思いますが、マラドーナというネームバリューには肯かれると思います。日本で言えばどう喩えられましょうか、ラグビー代表監督に新日鐵釜石の松尾をもってくるとか。日本では有り得ない話でしょうね。この人確か賭け麻雀かなにかの小さな咎で姿を消したのでした、マラドーナの比ではないのです。彼はラグビーが面白かった時代の雄です。新日鐵釜石が全日本を何連覇かした時代、1月15日(でしたよね)の日本選手権試合が楽しみでした。一方に強い強い釜石がいて、高校ラグビー大学ラグビーにスターが現れるというラグビー隆興期でした、こっちはよく覚えています、冬のスポーツはラグビーでしたから。サッカーの天皇杯はなんだか面白くなかったです(今も見ません)。ちなみラグビー界の若きスターは伏見工業高校から同志社大学に進んだ二人、平尾と大八木。大学ラグビーと言えば早慶明の時代に関西から強いチームがでてきた、そんな時代でした。不祥事マラドーナに匹敵するは清水健太郎あたりですかね。格が違いましょうか。やはり小さいことには拘らないお国柄、ラテンの血でしょうか。
 昨夜の日本シリーズ、しびれましたね。西武の岸。松坂のような威圧感などまるでない、普通の細身の若い衆が飄々とやる。印象的だったことが三つ。一つ、あの素人目にもよく曲がり落ちるカーブの凄いこと。あれを待っていても待ちきれなくて振ってしまうという感じです。昨日は池谷と中畑(日テレ放映)が解説でした、球のキレはそうでもないって中畑はあくまで巨人寄りに煽ってました、あの「キレ」がどうのこうのは野球やったことのない素人には理解できぬ事です、どころかあんな高いところから見ていてよくわかることと眉唾に思うことなんですが、カーブの曲がりは見たままですからよくわかります。フォークが落ちるのも極端なら見た目に訴えますが、彼のカーブ(あれだけ落ちるのは昔に言ったドロップなんでしょうか)はまさに変化球。二つ目、アナウンサーが感嘆して見せてましたが、昔の大エースのような先発救援と大車輪の働きだというもの。三日前に完封勝利した岸を中二日でロングリリーフさせることを指してのことです。今の時代考えられぬ投手起用というわけです。一方で日本シリーズとペナントレースとは違う、スクランブルだとやら総動員だとやら煽ってるその口で実際に使われると非難して見せます。この偽善も嫌なこと、常套のマッチポンプを見るのですが、細身の若い衆はあっさりやってしまいました。監督の判断と投手の心意気ということなんですが、昔の大エースとはつまり稲尾と杉浦のことです。あの人達の記録は本当に凄いことですが、伝説化するほどによく言えば野球が合理化されてきた、別の面から見れば野球から浪花節(義理人情)と心意気が削がれてしまったということです。ビジネス化した、大リーグ化したとも言えますか。岸に最後まで投げさせたことが昔の匂いを思い出させてくれたということでした。三つ目、解説の二人が最後の9回は西武は外人のストッパー投げさせるだろう予想していたことです。理由はそうやってペナントレースを戦ってきたからということでした。私はここが野球を面白くなくした原因として象徴的だと思うのです。稲尾や杉浦の時代に戻れなんてバカを言うんじゃありません。試合の流れなんてことをさかんに言う割には形に拘る不自然です。昨夜の岸はあのカーブがとても冴えていました、渡辺監督も肚が据わっていました、こりゃ替えないなとこっちにも伝わっていたことですが、この二人が曲げない。つまりこれが今のプロ野球界の常識であるわけです、分業至上主義。阪神が典型例です。敗者復活戦で負けたときにも書きましたが、形で勝ってきたチームが形に拘って負けるのです。これは宿命です。今目の前の流れを読めるがプロのプロたる才、指揮官の最大の仕事と思いますが、そこを形式優先することによって鈍らせるというかわざと読まないと言うか、一番大事であろう勘を封じ込めて責任回避する、お前で負けたらしゃぁないと言った岡田監督のセリフとこいつと心中するつもりだったという渡辺監督のセリフは同等でしょうか、そこに保身、安全策という逃げがないでしょうか。ここにこそ野球をつまらなくした原因があるのではないのでしょうか。エースで四番という逸材達が集まってのゲームと思うのですが、そこに腕も折れよという心意気やこんな怪我で休んでいられるか!という意地や責任感が合わさってこそ人を魅了するんでしょう。面白いと感じるんでしょう。昨日の細腕投手の快投は多く問題を投げかけてくれたと思うことです。違いましょうか。
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