柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

継承者

2007-11-20 08:43:26 | Weblog
11/16の産経抄(くどいですが、産経新聞は山口県から撤退していて読もうと思えば大阪なり福岡かりから郵送されるのを待たねばなりません、昨日届いたのが11/16分というわけです、どこかの離島のようなことです)、吉兆はじめとした老舗の不祥事に触れ、守るべきは吉兆の名前ではなく、創業者の「物語」の方だ、と書きます。こういう時には言い古されたフレーズなんでしょうが、沁みる表現です。継承者の立ち位置の微妙さを表して余りあります。すっかり変えるのはもったいないこと、特にブランド化したものであれば余計に、かといって今までの人間関係に安穏としていたのでは足元すくわれる、それは創業者が作り上げた信頼関係、人間関係であって、いわば一身専属のもの、その人亡き後は付き合う義理はなくなるってわけです。そこにどう気づくか。普通は意気込んで突っ走るんでしょう、先代の古さが目に付いていればいるほど拍車がかかります、今の時代にそぐうやりかたで!。でも、きっとそちらだけ指向していると転けるんです。今までの顧客を失うことになりますから。よく言われるように、新しい何かを導入する、手に入れようとすれば、必ず今まで持っていた何かを失うのです。経営第一に定めれば、今回のような顛末です。経営が第一に違いないじゃないか!そうですが、でも創業者はそうじゃなかったんです。むろん、守らねばならぬものが大きい継承者と、ダメならダメでしかたない立場の創業者とではそれこそ第一歩が違うのは理解します、つまり創業者こそが理想を追えるし、夢みたいな無茶でもできる、それが世に受け入れられるか否かを問うという気楽さがある一方で、継承者の守り第一という条件付き経営とでは大きく違いましょう。でも、何故に家業が世に認められ受け入れられてきたかをそのまま素直に感じ入らねばならぬのです。例えば今世間に喧しい公共事業への食い込み問題、ああいう業種なら如何に役人に取り入るかが勘所です、接待賄賂作戦です。人の性です、何千年も昔から続いている関係です。が、食品関係は一般人が相手です。多数に向かって気持ちが通じるって部分が必ずある筈なんでしょう。うちはきっとこうしますって頑固さ。そこを人は信頼する。それがブランドってことです。記憶は都合のいいところだけを増幅して残すものです、創業者のエピソードも良いところばかりが並んでいます、商売人の鏡みたいに書かれますがそこには一度眉に唾を塗っておいて、しかし創業者はなべて皆頑固です、ここというところを曲げない。だから人に認められるんです。白洲次郎言うところのプリンシプル、ここだけは曲げぬという原則。狡いことをしない。馬鹿正直に徹する。言うたことはやる。そうなんですね。ブランドというのは、その店の物語なんですね、匂いというか。目に見えているのは確かにブランド品を求め買っていくお客の姿だけです。良いものを安く。誰もが考えることでしょう。売上を伸ばすにはそうです。そして次は在庫管理。入りを図りて出るを抑える。そこを鋭くすればするほど、合理的に考えれば考えるほど、その店の匂いが消えていくんでしょう。どこも一緒になります。扱うモノ(商品)が違うだけです。利を求めれば何かを失うって図です。目先の在庫減少を図ったばかりに信頼を失った。その店にしかない物語を忘れたからでしょう。その店にしかない匂いを消そうとしたからでしょう。ううむ、継承者はおそらく創業者よりも才能を求められるのでしょうね。創業者は当たるか外れるかの勝負です、自分の好きなことをずっとやってればいいんです。継承者は守って維持して、あわよくば発展させてという役目です、ひょっとしたら自分に向いていないこともやらねばならぬのですから。創業者は偉かったとか、先代はそうじゃなかったぞ、なんて非難されるのも継承者の務めです。偉かったから世に当たったのか、世にたまたま当たったから偉く思われるようになったのか、それはわからぬことですが、そこを呑み込んで「精進します」なんて言いながら頭を下げて世を渡っていく。継承者の肩を持った一文でした。才能ですぞ。
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