柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

国母

2019-04-21 10:10:01 | Weblog
マスコミの好きな「カウントダウン煽り」です。平成もあと十日だと。今上天皇と皇后さまの写真記事が頻りに新聞に載ります。学者の一面、昭和天皇との違い、云々かんぬん。30年の月日は長いです、特にお二人には老いゆく30年ですから映像上の変化が残酷です。沖縄訪問時の爆弾騒ぎ、ハンセン氏病施設への訪問、そして島原雲仙岳の大土石流に始まっての大災害の数々、そこここでお示しになったお二人のお姿は昭和天皇のそれとは大きく異なり、それはそれで非難の対象にもなったことでしたがしかし民草にはお心が十分に伝わり、陛下が事あるごとに言われる象徴天皇としての務めの具現を我々は見てきたわけです。そして皇后さまの存在の大きさです。史上初めて民間から皇室に入られて、当初はさぞやいじめに遭われたでありましょう。宮内庁は単純に役所でありましょうから家柄出自は問われないにしても、天皇様の日常はそれこそ奈良平安時代からの習わしでガチガチに固められておりましょう、大奥こそ存在せずともお付きの女官は遠く藤原の血筋をひく由緒正しき家柄の者(五摂家九精華の門閥です)が居並ぶのでしょう。どこの馬の骨?粉屋の娘風情が何を偉そうに。日常些事に亘るこまごましたしきたりをいちいち咎められ、知らぬを蔑まれ、排斥の圧力が常にかかる。いえ、見てきたような私の勝手な推測ですが、皇太子妃が適応障害になって公務に出られなくなってしまっているのはこの環境因が理由に違いないことでしょう。だから余計に皇后さまの「強さ」が際立ちます。昭和天皇は旧来の帝王学をそのままに体現されて、戦後の劇的な地位の変化にも習い性となるままに振舞われ、あの独特の喋り口は幼少時の私の耳にも異様ではありました。が、今上陛下はアメリカが作った憲法にある象徴天皇のモデルを作るべく常に意識されてこられたわけで、皇后さまも昭和の皇后様とは違う行動をなさってきた、それを咎めて週刊誌や女性誌が大バッシングを展開し言葉が出なくなるほどの心痛を負われたこともありました。皇太子妃がそれとは逆の、あまりに公務を放棄することに対して非難を受けているのは周知のとおりですが、「前職」との比較という点では同じ観点です。益荒男ぶりと手弱女ぶり。男と女の評価の一つですが、上品で知的で且つ嫋やかさを備えられた皇后様こそ国母という名にふさわしい「名君」であられたと思うことです。
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