柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

危ない奴

2008-06-26 20:34:42 | Weblog
午後7時を回って書いてます、こういうのも久しぶりです、朝このブログ管理者のメンテナンスにひっかかり、昼は用事で時間がとれず、この時間という顛末です。こういう比較をするとよくわかりますが、やはり朝一番というのは頭が回りますね、つまりこの時間疲れてますわ頭、そう思います。それとも単なる馴れの問題でしょうか。
 77歳の爺さんが息子夫婦と4歳の孫をでかいハンマーで(女房もでしたか)撲殺した事件。面相がわからないほどぐしゃぐしゃに叩きつぶされていたそうです頭。こういう狂人ばかりはどうにもなりません。息子や妻はわかってたでしょうにね。いえ仮に肉親にはわからなくても(知らんふりしていても)嫁にはきっとわかっていたでしょう、この爺さんおかしいって。孫ん子が4歳ってのも可哀想なこと、息子夫婦が45歳前後だったでしょう、遅くにできた子でさぞや可愛かっただろうにと思いやることですが、一緒に死んでよかったねとせめて思いましょうか。秋葉原の男にしても、大阪で斬りつけた女にしても、こういう奴らこそを何とかせねばならぬわけですが、いつも書きますが監視管理社会、密告社会化との選択です、息苦しくなるか安全をとるか。どっちもいやですがね。戦前戦中の特高憲兵の専横の例は、そいつらの質を保てなくなると社会が潰される、そういう実証でした。誰が監視管理するのか、誰がその危険度を判断をするのか。ここの質をちゃんと担保できなければやはり一般社会への網掛けは避けるべきでしょう、ましてやこういうことを法律化してはなりません。質は必ず劣化するからです。必ず知らぬ間にとんでもない奴が権力を握るからです。共産革命のようになります、文化大革命のような事態になりましょう。だから有為の意識高いトップが一身専属的に個別に組織的に監視管理するしかないのではなかろうかと思うことです。世の中の安全を守るとはどういうことなのか。一つ屋根の下に暮らしている者同士の殺人事件と、秋葉原のような事件とは質が違います。どちらが危ないかと言われればもちろん後者だと皆さん思われましょう、それは前者に「余所んちの内輪もめ」を感じるからです、犬も食わない夫婦喧嘩と同等視してしまうからでしょう。そういう歴然とした線引きがどなたの心にもあるわけです、それは警察にも司法にも行政にも。虐待児の保護についても同じことが言えますね。家族親族内の出来事には他人は手を出さない、手を出してはいけないという共通の認識が誰の心にも生来存在するのでしょう。人間性善説性悪説に倣っていえば、人間生来排他主義説。人間の性癖は血族親族中心の社会形成であるわけです。この枠の中には入ってくるな。枠の中には干渉するな。そういう人間が多く集まって生きていくためにはルールがいるわけです、罰則がいるわけです、それを皆が守らねばならぬわけです。社会の安全は法律で守られているのか、個々人の意識の高さに負っているのか。構成員(住民)の雑多性を思えばそのいずれも保障されることではありません、となると突発する破壊行為から社会を守るには直接的な抑制(危険因子の抹消)しかないのではないですか。そろそろどこかの首長がそういう対応をしてみてくれないものでしょうか。我が町の安全を確保する!と宣言でもして。石原慎太郎あたりが言いそうなことですが、やってくれないですかね。無法な外人と危ない邦人取り締まり(監視)。前にも言いましたが危険なのは「おかしな一般人」です、プロの暴力団じゃありません。何とかならぬものでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 間抜け | トップ | とほほ »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事