柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

本土

2015-04-29 09:25:13 | Weblog
昨日4月28日は先の敗戦後の占領状態を脱した日本の主権回復の記念日、いわば独立記念日だと書きました。この日を教科書はおろかマスコミがこぞって無視し続けてきたのはそれなりに理由がある筈です。きっと未だにこの日の意味を知らない人はワンサカいることでしょう、私も若い頃は全然知りませんでした、そういう教育だったのです、試験問題にならぬことは覚えやしません。何故か。占領されていたということを隠したかったのか(今更言わずともよい)。戦後教育は左勢力(日教組)の恣意でしたから左巻きさん達の方針だったわけですが、どういう意図だったのか。戦争したことを咎めるなら敗戦して占領されていたことを強調すればいいとも思うのですが。ソ連を外して講和条約を結んだ事に対する処置でしょうか、真の独立とは認めないとか。つまりサンフランシスコ条約自体を認めない。ああ、これでしょうね、そんな気がします。日本を共産国化したかったのに、こうなったわけですから。占領する為の暫定憲法だったものをダラダラと70年もそのままにしてる国です、こんなことなのでしょうが、例えばフランスとかドイツはどういう扱いしてるんでしょうね、敗戦してその後主権回復した日のメモリアルを。やはり殊更には言挙げせぬものなのでしょうか。で、昨夜TV見てました、さすがに朝日ですここだけが沖縄にとってはこの日は屈辱の日なのだと長尺で採り上げてました。どの局もポールマッカートニーの武道館公演を報道してましたが、屈辱の日報道はここだけでした。主権回復する条件として沖縄が割譲されたのです。日本から切り離された、屈辱の日なのでした。主権回復されたと祝うだけじゃダメだという冷水のつもりなのでしょう。この日から沖縄の悲劇が始まったという筋立てです。うむ。現在までの経過を俯瞰すれば占領状態の継続という形で沖縄ばかりに負担を強いてきたという歴史ではありますが、当時の、占領からの脱却という交渉において優先事項の選択はやむを得なかったことでしょう。朝鮮戦争、ベトナム戦争の後は中国覇権主義に対する軍事的要所として、沖縄の存在価値は変わりません。地政学的軍事的価値(こればかりはどうにもなりません)は甚大です。沖縄県になった後でも何も変わりません。翁長知事が沖縄は進んで基地を提供しているではないと頻りに云いますが、ここの所は、だからあれだけ迷惑料を支払ってきたろう?で(原発地域にも通じる理屈ですが)相殺してきたことです。そういう約束じゃなかったんですか。国土の1%足らずの面積の所に米軍基地の80%近くを有していると、不公平を咎める時の定句ですが、そういう場所(地政学的要衝)だから構えているわけです、ちゃんとした理由があることです。沖縄の代わりはどこにもできぬのです。仮にグアムに逃げれば尚一層中国は挑発してくることでしょう、そういう国を相手にしているのです。もっとも翁長知事は親中さんらしいですから、日本よりも中国に吸い込まれるを望んでいるのやもしれませんが。激烈な戦場と化した沖縄の方々には、多くの親族同胞が無体に殺されて挙げ句に日本に捨てられたという憎しみが屈辱の日と呼ばせているのですが、日本は敗戦し占領下に置かれやっと主権回復の機会が訪れてという状況鑑みれば、どちらを採るかの為政者の選択であったわけです。本土の勝手。しかしこの非難はどの時代においても甘受すべき事柄とは思います。
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