柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

生芯

2016-01-03 10:10:23 | Weblog
長の休みが苦手だとは何度もここで書いてきましたが、別にやることがないわけではなく、今やるべきことはあれこれあるし実際にやりながらなのですが、やはり非日常の違和感に負けています。順応できぬというか、スイッチを切り替えられぬというのか。たかが5日6日のことです、つまりただのオヤジの愚痴というわけです。日常定事に頼り切っている暮らし感覚。この辺りもっと老いた後のシミュレーションじゃないのかと思ったりします。定年後の自適の暮らしをサンデー毎日と表現もしますが、それはやることがない、やらねばならぬことがないことへの自虐感でもあり、堕ちて行く予感へのおののきでもあり、でしょう。休日ばかりの毎日。うむ、言い得て妙。と、他人事でなくなってくるわけです、いよいよその順番が回ってきました。私は定年のない職に就いていますが、世代交代は否応なしでしょうし、またそうでなければなりませぬ、次の役目を果たすのみです。もっとも「次の役目」があればの話ではあります。ここです。上手く移れた人は毎日の仕事を続けていける。誰かの為に、社会の為に、お国の為に仕事ができる。お国の為になんて言うとそれだけでアレルギー反応示す向きがおられましょうが、男はこういう気持ちこそが大切なんです。女房子供の為に、これが基本。昔なら父母の為に、会社の為に。自分の為になんてのは物事に立ち向かう動機にならぬのです。左巻きの諸兄、あなたとてそうでしょう?いかに個人主義を振り回しておられても、どんな行為を起こすにせよ誰かの為にあるいは社会の為にとの公の気持ちを否定はできますまい。どの男も持っているであろう性質(タチ)、序列意識と建前優先、そして公の意識。否定されますか、できぬでしょう?前二者はあるいは振り払っていけることでしょうが、後者です、そこを充足できればきっと元気でおれるのでしょうね。気概と言うか、生きるための芯と言うか。とまれ、明日から有難いことに日常が戻ります。次を見据えつつ、毎日進み行きましょう。諸姉諸兄におかれましてもご自愛なさいますように。
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