柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

市場

2011-04-10 09:33:48 | Weblog
多くの人間の住む社会生活のインフラストラクチャー、それはライフラインに関わるあれこれです、水道、電気、ガス、通信(電信電話)、食料供給、ゴミ処分(糞尿処理)、医療、福祉等々、これらは市場原理にはそぐわない、新自由主義の競争に晒すべきではない、つまり利潤第一の商売の具にしてはならないという話がよくされます。だから日本ではそれぞれを国が管理してきました、規制規制でがんじがらめにしてきました、それでよかったんです、こっちはお上が赤字覚悟でやってくれるから安心しておれる、だから国民は目を外に向けられた、経済は大きく発展した(日本人は金持ちになった)のでした。日常生活の安定のために大きくエネルギーを割かれる状態では、つまり余裕のない状態では、社会全体の環境整備を考えられない(でもないのでしょうが)だろうとは想像しやすいことです。曽野綾子が事あるごとに中東アフリカの政治形態や国民の暮らしぶりを比較対象に出して説いているように、日本の現状は有難いことだと思いますし、今までの体制、生きて行く上で、安全安心して暮らして行く上で欠くべからざる環境をお上が管理してきたことを悪しざまに言うは間違いだろうと私は思っているのです。だから、何でもかんでも市場に任せろ、つまり儲け主義に任せて行けばいいんだ、その活力こそが経済や文明を押し上げて行くんだ、そこにお上が介入するなという説には初めから胡散臭さを感じてました。もっともそれはホリエモンらの虚業家が褒めそやされることへの違和感が後押ししましたし、拝金主義の匂いがプンプンすることへの嫌悪感でもありました。小泉改革も、あの人の明快さに皆が引きずられただけで、竹中理論が(彼は未だにあの時のままの持論を展開しますし、小泉改革の成果は数字として残っていると曲げませんが)正しかったとは決して言えないのです、事実医療現場はこれだけボロボロにされました。国の借金はこれだけ減ったんだと彼は言いますが、どこかを大きく削らないと為し得ないことではありましょう、それが長年に亘り膨らむだけ膨らんだ医療福祉費だったというだけの話であり、私がそこの業界人であるからこれだけ不平が溜まっているという側面を否定しませんが、小さな政府と言い方を替えて(つまり人の受け取り方をすり替えて)人の欲望、端的に金銭慾に社会の営為を任せることへの評価ができてないですね。人の気持ちの評価ができてない、というかわざとしない。道徳観、倫理観、社会通念。それは人が社会生活集団生活する上で、憲法法律の二回りも三回りも広範囲に亘り行動言動を規制する決まりです、そこへの影響を無視している。そこへの慮りがあればこそ辛抱、我慢、忍耐、意気に感ずる、希望、熱意、上昇志向等々の気持ちが湧きます。利潤ばかり見ていては人の気持ちは動きません。ホリエモンが無理やりに社会から抹消されたのはその所為です。実際に何か作るわけでもない、特別に社会への貢献度の高い事業しているわけでもない(ビルゲイツがあれだけ儲けていても人は謗らないですね、ウインドウズの恩恵に皆が浴しているからです、あの儲けぶりを認めているからです)、なのに何千億もの金を儲けてヘラヘラしてる、だから実業家をもじって虚業家などと貶められたのでした。彼がどんな仕事してたのかどれだけの人が知っていたでしょうね、私も知りません。その辺りへの(いいえ、こここそが一番の勘所でしたが)配慮がなかったから、今もないのですが、結果として失敗したのでした竹中さんは(彼はそうは思ってないのでしょうが)。市場原理に晒してはならぬ分野があると思います。今回の原発事故に関連して、電力を電力会社に独占させていることこそが根本問題だと指摘する向きがあります。確かに独占企業ですから、いかに民間とはいえ形は国営です、国策に沿った仕事です。赤字を出さぬような経営、利潤第一の経営方針、つまり保守点検や人員配備、安全対策、新技術の導入などなど、経費としてかかる部分の縮小方向という民間性を槍玉にあげるわけですが、いいえ、所詮独占企業ですから赤字になれば国から補填が来ます。どのみちお役所気質です。電力を完全に市場原理に晒すとどうなりましょうか。ストの度に停電とか。大東京は電車が間引かれるだけであの大混乱でした。水道は?下水道(こんなもののない田舎では単に処理場の問題ですが)も困りますよ。国鉄や電報電話局が民間化されたことは問題なかったですね。今次の震災で携帯が繋がらないという会社間の優劣も民間化なればこそのこと、こういうのは選択肢のある利点です。郵便局はどうです?宅急便との競合もあるのでしょうが、今のところ巧く棲み分けられているんじゃないんでしょうか。もっとも亀井さん達の言い分は郵便貯金資産を巡るもので、実際の郵便配達小包配達業務のことじゃないんでしょうが。田舎が捨てられるというのも主張の一つでしたが、そういう話も聞きませんねぇ、配達事業はクロネコヤマトや佐川急便が十分にカバーしてるんでしょう。でもいざとなった時の食料供給やごみ処理等はとても民間では賄えないでしょうし、そういうモノでもないですね。医療福祉もそうなんです。最後は医者個人の意気であり職業意識に頼ることなのですが、医者不足の元凶は医者が少ないのでも何でもなくて、単に規制の緩和であり、それによる医者としての規範意識の崩壊であるのです。規制がなければ医者とて楽を選ぶ、僻地より都会、夜昼ない科より土日の休みやアフターファイブの保障された科を選ぶのです。当然です。私達の世代まではまだ規範意識が保たれていたのでしょうが、個人主義至上で、公意識を恣意に潰されて教育されてきた世代には当然の選択です。これが小泉改革だったのです。経済のこと、プライマリーバランスしか頭になかった竹中さんには規制緩和の余波を想像する頭がなかったんですね。人の勝手に任せてはならぬ分野が必ずあります。そこは自由とか平等とか公平とかとは違う次元です。日常生活の安全安寧のためにこそ税金を投入する。そこには守るべき規制が存在する。大きな義務が発生する。だからこそ甲斐も意気も生まれ来る。金のためにやるんじゃない分野が必ずあるし、そういう所に適した人間が必ずいるし、そういう者こそ大切に遇せねばならぬと思うのです。今次の原発事故の決死隊に象徴されますが、世の中にはその一隅一隅で世のため人のためと意気に感じて仕事をしている人が多くいるのです。ここはくっきりと区別すべきことと強く思います。電力会社を完全に民間化せよとか、その流れでドサクサに紛れて早くTPPに参加せよとかいうバカな識者を聞くたびに、みそくその区別のつかぬ安物の学者頭を嗤うことです。
コメント
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