MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳研究会(MEDINT)をたちあげるまで(2)

2006-03-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
とても個人的なことですが、私は典型的(?)なB型で、興味のあることにはのめりこむけれど、飽きるのも早いという性格です。その性格を自分が一番よく知っているので、他の人を巻き込んで、団体を作る、それも自分が楽しむためのものではなく、社会システムを変えるという使命をもった団体を作って、それを代表するなんて絶対無理だと思っていました。できれば誰かに代表をやってもらって、自分は事務とか裏方がやれればと今でも思っています。
2000年、AMDA兵庫で、在住外国人のための活動を探るための講演会シリーズがはじまりました。すでに実績をあげていたAMDA国際医療情報センターの事務局から職員を招いて現状をうかがったり、ブラジル人集住地区の医療事情を研究していた大阪大学のIさんや、母子保健に詳しい看護師のKさん、外国人の精神医療がご専門のN先生など、2年間で計7回の講座が開催されました。広報活動が地味だったにもかかわらず、多くの方々が参加してくださり、言葉と医療の問題への関心の高さを感じました。2年間の講座を終えて、この関心の高さをどのように発展させていったらいいのかを考えていました。
ちょうどその頃、毎日新聞社のF氏に言われた言葉を聞いてそれまで愚図っていた自分の心が決まりました。「今と5年前のあなたの言っていることは同じだ。進歩がない。問題点がわかっているなら、どうしてそれを変えようとしないのか」
実はその頃、私はくたくたでした。次から次へ持ち込まれてくる外国人の問題、言葉のトラブル、文化衝突。ニューカマーが定住するには避けては通れない問題が山積していました。しかし、在住外国人の専門通訳はその技術や専門を認められず、ボランティア扱いされて、身分保障やサポートもなく、孤立無援の状態でした。
病院に通訳として同行したくても、なかなか休みがとれません。休みがとれたとしても、交通費もなく、病院からは患者の保証人になることを求められたり、知識がなかったために、防護することなく結核患者に付き添ったりということもありました。それでも、一人ひとりをサポートするのは私にとっては有意義なことでした。しかし、自分ひとりがやっても、それはその人が助かるだけで、次から次と病人が出てくるのです。どうしようもありません。神戸にいる少数言語の通訳者はみな似たような状況に立たされていました。
特に、母語によるサポートが必要なのは心と身体が弱った時です。たとえば、病気になった時や犯罪にあって被害者になった時のケアは特別なものが必要だと痛感しています。結局、「医療と言葉の問題」に活動を特化することに決めて、2002年10月医療通訳研究会(MEDINT)を立ち上げました。そのとき、AMDA兵庫のM先生はもちろんですが、会のブレーンであるIさん、薬剤師で語学もできるIさんとNさんなどの励ましがあって、やっと立ち上げたというのが実情です。「石の上にも3年」を目標に、2003年からいよいよ医療通訳研究会の本格的な活動が始まります。続く

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