この秋は、人前で話をさせてもらう機会が少なくありません。
ほとんどは外国語相談員としての話なのですが、
中には医療通訳研修や一般の方に医療通訳を知ってもらう講座などもあり、
毎回、新しいことを考えながら原稿を作ります。
その作業自体は、医療通訳を考える上で大切な作業なのですが、
本来の私の仕事は、話をすることではありません。
なので、人前で話すという慣れないことをすると、どっと疲れます。
また、半端でないストレスが溜まります。
苦手意識はありますが、
でも、できる限りの協力はさせていただこうと思いながらやっています。
それから、講演にいくと「新しい課題」をもらえることがあります。
だから、「医療通訳って大切ですよね」という人たちより、
「そんなものいらない」とおもっている人たちのところのほうが
面白いし、とても勉強になるというのが本音です。
個人的には、医師や看護師、看護学生といった視点の違う方の集まりや
研究者の人たちの集まりで議論に混ぜていただくのはとても楽しい体験です。
11月15日~16日にかけて大阪大学コミュニケーションデザインセンター(CSCD)で、
「コミュニティに基づく参加型研究(CBPR)の可能性」というプログラムに参加しました。
私自身、CBPRという考え方はここで初めて聞いたのですが、
研究者が、コミュニティのメンバーやリーダーと平等な立場で
問題解決に向けて研究の段階から参加して、
その学問的知識を積極的に活用していく
「参加協力型の調査方法」といえばいいでしょうか。
(すみません。すべて消化はされていません。)
とにかく、研究室にこもって論文を書いていた学者が
地域社会というものに目を向けて関心を持つというのは、
私たちからすれば歓迎すべきもののように思えます。
今回は人類学の先生方が多かったのですが、
NGO的視点とは違った思い切った提言をいただき、
それは目からうろこものでした。
ある参加者が、ぽつりと
「近代以前に医療通訳はあったのか?」といったのですが、
そういえばあったのかな、考えたことなかった..と気づきました。
ある参加者は、
「子どもに医療通訳をさせるのを法律で禁止すれば、
自然に病院は医療通訳を置かざるをえなくなる」といいました。
私たちは、いやそんなことしたら現場はまわらなくなる・・とか、
通訳費用をどうするとか先に考えてしまうのですが、
確かに、そこから議論を派生させてみるのは悪いことではありません。
同じような人同士で集まると、
同じような発想ばかりで、
自分の意見の確認しかできません。
やはり議論は多くの発見ができる「異種格闘技」がいいですね。
ほとんどは外国語相談員としての話なのですが、
中には医療通訳研修や一般の方に医療通訳を知ってもらう講座などもあり、
毎回、新しいことを考えながら原稿を作ります。
その作業自体は、医療通訳を考える上で大切な作業なのですが、
本来の私の仕事は、話をすることではありません。
なので、人前で話すという慣れないことをすると、どっと疲れます。
また、半端でないストレスが溜まります。
苦手意識はありますが、
でも、できる限りの協力はさせていただこうと思いながらやっています。
それから、講演にいくと「新しい課題」をもらえることがあります。
だから、「医療通訳って大切ですよね」という人たちより、
「そんなものいらない」とおもっている人たちのところのほうが
面白いし、とても勉強になるというのが本音です。
個人的には、医師や看護師、看護学生といった視点の違う方の集まりや
研究者の人たちの集まりで議論に混ぜていただくのはとても楽しい体験です。
11月15日~16日にかけて大阪大学コミュニケーションデザインセンター(CSCD)で、
「コミュニティに基づく参加型研究(CBPR)の可能性」というプログラムに参加しました。
私自身、CBPRという考え方はここで初めて聞いたのですが、
研究者が、コミュニティのメンバーやリーダーと平等な立場で
問題解決に向けて研究の段階から参加して、
その学問的知識を積極的に活用していく
「参加協力型の調査方法」といえばいいでしょうか。
(すみません。すべて消化はされていません。)
とにかく、研究室にこもって論文を書いていた学者が
地域社会というものに目を向けて関心を持つというのは、
私たちからすれば歓迎すべきもののように思えます。
今回は人類学の先生方が多かったのですが、
NGO的視点とは違った思い切った提言をいただき、
それは目からうろこものでした。
ある参加者が、ぽつりと
「近代以前に医療通訳はあったのか?」といったのですが、
そういえばあったのかな、考えたことなかった..と気づきました。
ある参加者は、
「子どもに医療通訳をさせるのを法律で禁止すれば、
自然に病院は医療通訳を置かざるをえなくなる」といいました。
私たちは、いやそんなことしたら現場はまわらなくなる・・とか、
通訳費用をどうするとか先に考えてしまうのですが、
確かに、そこから議論を派生させてみるのは悪いことではありません。
同じような人同士で集まると、
同じような発想ばかりで、
自分の意見の確認しかできません。
やはり議論は多くの発見ができる「異種格闘技」がいいですね。