MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラム
~みんなで 医療通訳者を増やし、守り、育てよう!~

ヤマアラシのジレンマ

2007-08-29 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳は対人支援の仕事です。
感情を交えず言葉を通訳するのが本来の仕事ですが、人間対人間のやり取りであるため、かなり泥臭い部分があるように感じます。
通訳者にとって患者からの「ありがとう。お陰で助かりました」という言葉がなによりです。もちろん、その言葉がないからといって、仕事をなおざりにしたり、その人に特別冷たくしたりと言うことではないのですが、やはり人間ですから、中には本当にお手伝いしたくないなあと感じさせる患者さんもいないことはありません。
もちろん、苦しいし、心細いし、日本の医療文化がわからないのでいらいらしてしまうのはわかります。ただ、そうした感情を医療通訳者にぶつけられても、どうしようもありません。
また、大変な場面でなくても、様々なところでトラブルを起こす話し方の人というのは外国人に限らずいます。自己主張を繰り返して相手の話をきかないとか、相手の立場を思いやって譲歩したり調整したりできないとか、それこそ相手のメンツをコテンパンに潰すとか・・・。これは医療通訳に限らず、会社との交渉や近隣トラブルや家庭裁判所の調停での通訳などでもみられます。そういう「負のエネルギー」のとても強い人の通訳をすると、そのエネルギーが体に入ってしまって、なかなか取れないことがあるのです。見えないものなのですが、体中に毒素がまわるという感じです。手がしびれたり、心臓がバクバクいったりします。行政の窓口やメーカーの苦情処理や自治会の役員、学校などでも同じような経験をされている方がいるのではないでしょうか。
最近では、対人支援全般に関して、それを担う人々の心のケアが問題になっています。
ただ、外国へ来て、言葉の通じない場所で暮らしていくには、いろんな人たちの援助が必要です。行政だけでなく、友達やご近所やボランティアや様々な人たちとのかかわりのなかから助けたり助けられたりという関係が生まれます。それを自らの「負のエネルギー」で断ち切ってしまう人たちは、本当に生きづらいだろうなと思います。
自己主張の強さは、時には大切なのですが、自分の病気を治すチームには通訳だけでなく患者自身の協力が必要です。気持ちよくコミュニケーションができるような環境への鍵はもしかしたら患者自身がもっているのかもしれませんね。

コメント

守秘義務のこと

2007-08-22 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
「2006年5月22日の参議院本会議で健康保険法と医療法等の改正案への質問に立った民主党の山本孝史議員は質問の冒頭で自らがんを告白し、同時に提出した本法案の早期制定を訴えた。当初、会期中での成立は難航するとみられていたが、これが世論の共感を得て与野党間でも歩み寄りを見せ、早期成立につながったといわれている(Wikipediaより)。」政治家の病名や病状はトップシークレットといわれています。病気の噂が出るだけで次の選挙や人事にも影響するそうです。政治家でなく、一般人であっても病気であることや病名はできれば隠しておきたいプライバシーです。それは、家族や親友という非常に身近な人であったとしても例外ではありません。以前、ある方の通訳をしたとき、コミュニティの別の方からこの方の病名を聞かされて、驚いたことがあります。本人には家族がいないため、どこから漏れたのか、もしかしたら私の守秘義務に落ち度があったのか・・・と。実際には患者本人が誰かにしゃべったということがわかってほっとしたのですが、通訳者としてはそれくらい病状や病名の守秘義務には細心の注意を払わなければいけません。そして医療通訳倫理の中で、もっとも難しいのがこの守秘義務であると私は思っています。
ときどきボランティアの方で、公の場でご自分の通訳されたケースを詳細に報告されている方を見ることがあります(最近はありませんが)。国籍や年齢、病名、住んでいる地域などが特定されると、外国人の場合人数が少ないので、知っている人が聞くとすぐに特定されてしまうのです。聞きながら、これはまずいなと思い、私ならこの人に通訳をお願いしたくないなあと思ってしまいました。
医療通訳の具体的なケースをあげてくれという声があります。もちろん、医療通訳の実態を知っていただくためには、現場の状況をお伝えしなければならないのですが、同時に守秘義務があるため、本当のことはお伝えできません。このブログに書かれていることも、いくつかのケースを混ぜたりして作ったフィクションです。
通訳者として、守秘義務はなにものにも優先する職務上の倫理です。本人の承諾なしには家族であっても、話すことは出来ません。冷たいと思われるかもしれませんが、医療通訳の仕事はそんなものだと割り切っています。

コメント

問診は「ディスカッション」だったんだ・・・。

2007-08-15 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
私は、ほとんどの本を市立図書館で借ります。家が狭いから本が買えないというのが一番大きい理由ですが、いろんな種類の本を読むには図書館が一番だからです。通訳者は外国語の勉強と思っていらっしゃる方も多いと思いますが、意外と日本語の語彙力は重要です。微妙な言い回しをどれくらい日本語でできるかで、通訳の評価も変わってきます。ですので、外国語だけでなく、日本語の新しい言葉や使い回しは常にアンテナを張って収集する必要があります。それだけの理由ではありませんが、あまり好き嫌いはしないで、どんな本でも読むように心がけています。特に、遅くなってもベストセラーはできるだけ眼を通すようにするために、図書館はなくてはならない存在なのです。神戸市内のすべての図書館が、インターネット予約のあと、メールでお知らせが来て1週間以内に取りに行くというシステムになっています。
また神戸市の場合は雑誌も借りることが出来ます。これはとても便利で、読みたい号だけ予約すればいいので、たとえばナショナルジオグラフィックのマラリア特集とか、最近だとan・anのダルビッシュ投手のインタビュー号とか(笑)。
話は少しそれましたが、今日のお話はそんな図書館でたまたまみた雑誌の言葉です。
No32,07.7.16号のAERA巻頭インタビュー、アートディレクターの佐藤可士和さんの言葉が印象的でした。佐藤さんといえば、SMAPの広告やビール缶のデザインなどで有名な方です。一見、医療通訳とはなんの関係もないようにみえますが、インタビューを引用すると『アートディレクターは医者に近いという。クライアント(患者)との徹底的なディスカッション(問診)で、誰に何を伝えたいのかを見極める。不要なものをそぎ落とし、本質(診断)を引き出す作業。デザインはその為の「処方箋」』。他のインタビューでも、佐藤さんは自分の仕事が「医者の仕事に近い」と答えています。実は私は通訳を担当する外国人のことを「クライアント」と呼んでいます。「患者」「外国人」という単語はいまいちなじまず、通訳作業の受注をうけた客という立場のほうがしっくりするのですが、ものを売るわけではないので「お客様」というのも変なので、「クライアント」と呼ぶようにしているのです。「患者」=「クライアント」という認識はいいなあと思ったのですが、私が感心したのは、「問診」を「ディスカッション」と表現していることなのです。私は「問診」は「interview」か「counseling」だと思っていたのです。実際に診察室で、私はスペイン語ですが、医師の問診を受けるとき「counseling」の一環として訳してしまっていると思います。ただ、それでは医師→患者の一方通行で、医師の質問に対して患者が誠実に答えるという構図になります。「discussion」だと、患者も診察に積極的に参加するイメージになりますね。今まで、問診をそのようにとらえたことはありませんでした。ひとつの物事を様々な角度から見ると違うように見えてくる。私があまりものを知らないだけかもしれませんが、これからは問診の場面もディスカッションだと認識して通訳したいと思います。

コメント

四十肩?

2007-08-08 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
熊さん「先生、右足がどうも痛くて仕方ねえ。どうにかしてください。」
医師「う~ん。レントゲンを見てもどうもないし、これは年だね。治しようがないよ。我慢することだね。」
熊さん「するってぇと、先生は右足が年だから痛いっていうのかい?」
医師「そういうことになるねえ。」
熊さん「そりゃおかしいよ。なんともない左足はこの右足と同い年だよ。」

先日、とにかく肩が痛いので整形外科にいったら、年だといわれて、怒って電話をかけてきた人がいました。そのとき、この落語のオチを思い出しました。(不謹慎ですみません)
四十肩とか五十肩というのが、日本独特なのかどうかは専門家でないので、わからないんですが、日本人には腰痛や肩こりの人が多く見られます。年をとれば、体のあちこちがいたくなるのは仕方ないかなと思って、あきらめるところもあります。
ただ外国人の方の中には、診察で「年齢」といわれ、我慢するしかないといわれても納得されない方が少なくありません。この方も、「先生は痛みを軽減する方法についていろいろいうんだけど、自分は痛みを取るように頼んでいる。これは日本語ができないから、伝わっていないんだろうか。それとも他の診療科にかかるべきなのか?」といいます。そして「自分の国では、60歳であろうと、70歳であろうと、ちゃんと痛みを取る治療は出来る(断言)。日本ではどうして治療できない」といわれ、もしかしたらあなたの希望がちゃんと伝わっていないかもしれないので、通訳を交えて医師と話をするようにしましょうと伝えました。
これは言葉の問題というより医療文化の部分が大きいかもしれませんね。
こういう方は、何度も医師や病院を変えて、結局おなじ治療になってしまうケースが少なくありません。きちんと患者の意思を伝えることの大切さを感じました。
コメント   トラックバック (1)

日本渡航医学会に参加して

2007-08-01 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
7月20日(金)~21日(土)東京の慈恵医科大で日本渡航医学会が開催されました。「渡航医学」とは、あまり耳慣れない言葉ですが、「人の移動と医学」に関することを研究する学会です。具体的には、たとえば日本人が海外に出る時に予防接種が必要であるとか、飛行機の上で病気になったらどうするとか、団体旅行中に客が急病になった場合添乗員はどのようにすべきかなど。なるほどと思ったのは、人の移動にはストレスや感染症がつきもので、それは日常の医療と少し違った観点で考えられるものであるということです。
また最近は、旅行をすることによって元気になるヘルス・ツーリズムなども積極的に提案されていて、今回の学会で多くの事例を聞くことができました。
では、医療通訳者がなぜ渡航医学と思われるかもしれません。私も最初はそう思っていたのですが、日本渡航医学会の理事長である関西医科大の西山教授は、「渡航の中には、アウトバウンド(日本から外へ出て行く移動)ばかりでなく、インバウンド(海外から日本へ来る移動)もある。そこには海外からの観光客や移住者の健康も含まれる。これからはインバウンドの渡航医学についても力を入れて取り組んでいかなければならない」とおっしゃっています。今後、インバウンドの医療に関しての研究が進む中で、医療と言葉の問題は避けて通ることが出来ないテーマです。大きな枠組みで考えたときに、私たち医療通訳の研究は、この渡航医学の一部とも考えられるのです。多くの方々に是非興味を持ってご参加いただきたいと思います。(私も評議員の一人にしていただいている関係で少し宣伝モードが入っていて恐縮ですが)
来年の学会は岡山市で開催予定です。関西からは近いですので、是非ご参加ください。
コメント