MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラム
~みんなで 医療通訳者を増やし、守り、育てよう!~

「少しだけ通訳」の需要

2007-10-29 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
電話相談を受けている関係で、病院から切羽詰った声での電話がかかってくることがあります。
この日も産婦人科を受診している人から「赤ちゃんが死にそう!」「赤ちゃんを助けて!」と電話がかかってきました。
実は、こうした電話は少なくないのです。
初めの頃は、動揺しながら通訳していましたが、最近ではきちんと医師の話を最後まで聞いてから通訳することに徹するようにしています。
案の定、医師がインフォームドコンセントを懇切丁寧にすることによって、病名や副作用などを実際の症状と勘違いして聞き取ってしまうケースでした。
少し日本語がわかる人は、通訳なしで病院に行きます。
医療通訳が一般的ではない日本では、それは仕方のないことでしょう。
ただ、通常の妊娠や健康診断だと思って軽い気持ちで受診したのに、医師から重い病気の名前を聞くと気持ちが動転してしまうことは十分理解できます。
このケースでも、もしも「子宮外妊娠だったら大変なことだから、おなかが痛くなったらすぐに救急車で病院に行ってくださいね」という説明だったのですが、ご本人達は、「子宮外妊娠だから、急いで大きな病院に行ってください」と理解してしまいました。診察室は患者にとっては特殊な空間です。とても緊張しますし、もし悪い病気だったらどうしようとドキドキしながら診察を受けています。だから、日本語能力が高い人でも勘違いをしてしまうことがあるのです。医師はどうしてこんなに患者が驚いているのかが理解できなかったと思います。通訳に入り、この病気になるパーセンテージやどんなときにどこに連絡をするかということを理解して、やっと気持ちを落ち着けることが出来ました。
これはたとえばC型肝炎の検査結果を告げるときに「陰性である可能性が極めて高い」というような表現で伝えると、「陰性」とはっきり言ってくれないので、何か病気が隠れているのかと勘ぐってしまいます。言葉がすべてわかるならば、そうした言葉の裏に隠れたニュアンスを理解できるのですが、そこまで日本語になれていない場合、非常に難しいといえます。そんなときどうすればいいかというと、可能性をパーセンテージで表示してもらえばわかりやすくなると思います。1%なのか10%なのか90%なのかで随分違いますが、数字は具体的な理解の手助けになるのです。
こうした「少しだけ通訳」が必要な場面は少なくありません。もし周囲に通訳がいなくて、ご本人の様子からきちんと理解されていないと思った場合、もう一度説明をしなおすか、通訳を探すように本人に伝えてみてください。
冒頭の患者さんは、もちろん油断は禁物ですが、きちんと理解をして安心して帰宅されました。
医療通訳者にどこでもドアがあったら、こうした問題は簡単に解決するのですが・・。

PS:ブログを1回休んでしまいました。すみません。日本シリーズ残念でした。完敗でした。ぐったり疲れました。あっぱれドラゴンズ、あっぱれ落合監督~です。
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自分の中の国際協力

2007-10-24 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
私がスペイン語通訳になったのは、3年間の青年海外協力隊での活動がきっかけというのは以前お話しました。
実は、通訳以外に帰国した翌年の1992年から、ずっと協力隊の募集説明会の司会の仕事を続けています。自分を試したい、誰かの役に立ちたいという思いを前向きに実現しようとしている説明会の参集者(20歳~39歳)と話をするといつもたくさんのエネルギーをもらえるので、これは私にとって大好きな仕事のひとつです。また、若かった頃のことを思い出し、自分の原点を振り返ることもできます。最近は、40歳を越えたのでシニア海外ボランティア(40歳~69歳)の担当をすることが増えているのですが、年齢に関係なくチャレンジしたいという気持ちに国境はないと痛感します。
同期の隊員や友人の中には、今でも国際協力の分野で活動している人たちがたくさんいます。世界中を駆け回り、時には多くの困難にぶち当たりながら、小さな種を蒔き続ける姿は凄いなあと思います。私もあちら側に・・と思ったことは一度や二度ではありません。友人達の姿に、もう一人の自分を夢見ることもあります。
でも、私は国内にいることを選びました。20代で国際協力を目指して法学部を卒業後、農業を勉強しなおして南米にいった自分が、帰国後できることは、実はあまりたくさんありませんでした。本当は、すぐにでも南米に舞い戻るつもりだったのです。でも能力がなくすぐに戻ることが出来ず、南米への思いがどんどん大きくなってきた頃に、この仕事に出会いました。1990年の入管法改正以降、日系人だけどスペイン語やポルトガル語しかできない2世・3世が、なれない職場や地域でトラブルに遭遇したり、労災事故にあったり、書類のトラブルにあって強制送還されそうになったりということがたくさん起こりました。スペイン語での相談窓口ができたとき、南米に行くことはできなくても、毎日南米にいるような環境で仕事が出来るとすぐに手をあげてから早15年です。
毎日スペイン語での相談や通訳をする仕事は精神的にもタフでなければいけないのですが、私にとっては国内にいて大好きな南米に関わる仕事を続けられることが楽しくて仕方ありません。
海外で国際協力の仕事をするのは、苦労も多いと思いますが一見華やかにみえます。一方、国内で外国人支援の仕事にするのは、地味で地道な活動であり、その重要性もなかなか理解してもらえません。でも、自分達の身近の人たちと共生できなくて、海外の国際協力はありえないのではないかとも思います。協力隊員は累計で3万人を超えました。ほとんどの帰国隊員は日本に帰国し、地元社会で根を下ろしています。海外経験や言語能力を活かして、こんどは日本の中の国際協力に参加する人がひとりでも増えてくれればというのが切なる願いなのです。
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「食間」はどう訳すか?

2007-10-17 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先週に続いて、通訳者のアドボカシーについて話したいと思います。
先日の英会話の講座のなかで、薬の服薬指導の際に使われる「食間」という言葉をどう訳すかが議論になりました。
参加者のひとりKさんはプロの医療翻訳者です。医療に関しての知識もあるため、いくつかの言葉の中の意味について訳すときに、通訳者のアドボカシーが必要なケースがあると例を挙げてくれました。
たとえば、「食間」は「between meals」と訳します。辞書にもそう書いてあります。ですので、特に注意がない限りは「食事と食事の間」としか訳しません。しかし、医療従事者にいわせると、この「食間」という言葉の意味には「empty stomach(胃が空の状態、空腹)」の意味があるといいます。常識的におおむね食事から2時間後というのが通常の意味らしいのです。
しかし、ここに食文化の違いが関わってきます。私がパラグアイにいるとき、朝起きて6時半には仕事にいって、その後ゆっくり9時頃に軽い朝食をとり、1時頃家に帰ってきてボリュームのある昼食をとり昼寝して3時頃から再び仕事、5時頃仕事場でおやつを食べて、夕食はほとんど寝る前に食べるという生活でした。この場合は日本の食間の時間とすこしずれています。少なくとも夕食のあとは暗くてすることがないので2時間も待たずにすぐに寝てました(笑)。
日本で暮らしていても、宗教の関係や食文化の違いで、もともとの食事時間のまま生活している人も少なからずいるでしょう。
実は、この「食間」を訳すと、結構「?」という顔をされることが少なくありません。具体的に「いつ?」とか「何時?」といわれるのですが、薬袋には「食間」としかかかれていないため、食事と食事の間としか訳せません(もちろん食事中ではありません!)。この薬を飲む場合に、食事の間という意味よりも「胃が空である」ということのほうが重要ならば、そのように指示すべきだと思います。ただ、通訳者が勝手に言葉を付け足してしまうことには問題があります。食習慣が違う方の場合は、医師や薬剤師の方に確認するという擁護を行う必要があるでしょう。
それ以外にも、「頓服」や「ジェネリック医薬品」、「市販薬」を正しい意味で訳せますか?
日本語ができるということと、医療通訳が出来るということは違うということを再認識しました。

PS:パ・リーグのクライマックスシリーズ第5戦は歴史に残る名勝負になると思います。良い子は早く家に帰ってテレビを見ましょう!
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通訳者とアドボカシー

2007-10-10 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳について話をしていると必ず「医師の言葉を100%訳す通訳」なのか、それとも「アドボカシー(擁護)も行う通訳」なのかという議論になります。

医師が外国人患者に慣れており、異文化理解やコミュニケーション能力に優れている場合は、もちろん前者でいいと思います。通訳者の役割は本来、何も足さない、何も引かないが鉄則なのですから。
ただ、現場では必ずしもその理想が通る場合ばかりではありません。
特に日本の医療現場では、外国人患者を診る機会はけっして多いとはいえませんし、そのための特別な配慮に関するトレーニングが行われているわけでもありません。ですので、医療通訳倫理に反すると思いながらも、診療に影響がでないように医療通訳者が擁護しなければいけない場面が少なからずあるのが現実なのです。
たとえば「様子をみましょう」という医師が最後に患者に言う言葉にも、受け取り方によっては文化的違いが出ることがあります。ですので、この言葉には若干の補足説明が必要なのですが、必ずしもそこまでしてくれる医師ばかりではありません。
もし、患者がこの言葉をきちんと受け取っていないと感じた場合、そのことを医師に伝えることが大切です。また時には、この「様子をみましょう」の言葉の裏側にあるものを丁寧に訳すことも医療通訳者次第だったりするのです。
「様子を見ましょう」は「大丈夫です」でもなければ「治療の必要はありません」でもありません。なにかあればすぐに受診するようにという意味もこめられていますし、今回の薬があわないようならば、別の薬にかえることもあるという意味もこめられています。
日本語には言葉の裏側を慣習によって推測したり、読み取ることを要求する場面が多々あります。ですので、外国人患者にこの言外の意味が伝わっていないことがあるのです。日本語ができる外国人でもそれはあります。それはこの言葉がとても日本的で、言葉の背景にある医師の指示を読み取らなければいけない言葉だからです。
だからといって、医療通訳者が勝手にいろいろ付け加えることは出来ません。患者に不信感をいだかせたり、不安をあおるようなことになると逆効果です。
こうした場面で医療に障害が起きないように配慮しながら適切な擁護を行うことが医療通訳者に求められています。
私が、普通の通訳より医療通訳が難しいと感じるのはそういうところです。介入の必要がまったくなければいいのですが、それだけでは現場では解決しないことが多すぎます。もし、医療通訳者が100%以上通訳してはいけないということが決まってしまえば、医療通訳は言語外のことを訳せなくなってしまいます。私たちはそのことをとても危惧しているのです。
医療通訳の制度を作るときに、現場の通訳者の意見をいれなければ、使い勝手の悪い通訳システムになってしまいます。日本で実際に稼動しているよい医療通訳事例は、必ず通訳者が中心となって、患者の立場に立った活動をしています。
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情報化社会

2007-10-03 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
近頃よく「最近物忘れが激しくて・・・。」という人に会います。
エクスキューズでなく、もう挨拶のように聞く言葉。
実は、私もそうなんです。
漢字がでてこなくなったし、顔は出てきても名前がでてこなかったり、途中まで覚えているのに、もやがかかったようにはっきり思い出せなかったり。
一生懸命、ニンテンドウDSで頭のトレーニングとか常識力とかやっているんですが、どんどん忘れていく・・・。
これも、年かなあと半分あきらめていたのです。
でもこの言葉をあらゆる年代の人から聞くのっておかしいですよね。
そこで、思い当たることがありました。

そういえば、昔に比べて物凄く情報量が多くなっているのです。
そんなこと当たり前と思うのですが、ネット社会になってから、情報量が半端ではなくなった気がします。
昔は新聞くらいでしか、知りえることのなかった情報が、ありとあらゆる公私を問わないメディアから発信されます。昔は仲間内でしか知らなかった事も、ネットを使うことによって、世界中の人々と共通認識になります。
だから、世の中が急に荒れたとか、犯罪が増えたとか、不安だとか、怖いとか感じるけれど、よく考えてみるとそうした不安が表面化されていなかっただけで、昔からあったことなのかもしれませんね。ただ、自分が知らなかっただけ。
要らない情報や知らなくていいこと、知りたくないことまで眼や耳を通して入ってきます。情報は取捨選択をすればいいので、情報を得ることは悪いことではありません。でも、情報が増えたから幸せになったかどうかはわかりません。

医療通訳をやっていると、患者さん自身が病気に関するあらゆる情報を持参してくることがあります。医師と話せる時間は限られているので、メモを持参する人もいます。自分の国の掲示板やHPから取り出した情報が、取捨選択されない状態で頭の中に入っているため、質問の趣旨がずれてしまうこともたまにあります。
患者は、自分に都合のいい情報に希望を見出します。それは十分理解できるし、仕方のないことかもしれません。昔は病気に関する情報は「家庭の医学」くらいしかなかったし、口コミといっても身近な人々のものでした。情報規模がとても大きくなって、様々な情報を自宅にいながら得ることが出来る世の中になりました。だから余計に知らないことに不安を感じてしまいます。
もし、記憶や情報の許容量は一定なのだとしたら、私たちは要らないものを取り入れることによって、必要なものを取りこぼしていっているかもしれません。

情報の量ではなく、質をかんがえなければと、物忘れの激しくなった頭を抱えて感じています。
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