MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

ハートは熱く、頭はクールに

2006-05-31 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳者が受ける依頼の中でとても困るのが、患者本人や家族ではない第三者(友人や知人)からの依頼です。特に、伝聞が多く興奮しやすいタイプの人の依頼は、まず状況を理解するのに時間がかかります。
人によって考え方は色々あるとは思いますが、私は事情に精通しない第三者からの依頼は受けません。友人が病院にいってほしいと依頼してきたこのケースも、こちらの電話番号をつたえて、通訳が必要ならば患者もしくは家族から連絡するように伝えました。
なぜ、第三者からの依頼に慎重かというと、患者や家族本人が他の人に知られたくないというプライバシーの問題もありますし、第三者からの報告では通訳の必要性が十分把握できないこと、また病院の受け入れ態勢もよくわかりません。患者や病院が呼んでいるわけでもないのに、通訳者だけが行ったところで、なぜ来たの?となることが多いのです。電話をかけてきた本人は、心配して患者のために誰かを派遣したいと思ったのでしょうが、医療通訳は必要な場面とそうでない場面がありますし、通訳者を依頼するかどうかの判断は状況のよくわかった人が行うべきだと思います。
また同国人でも日本人でも、善意の人はどうしても他の人にも善意を押し付ける傾向があります。「どうして、あなたは助けないのか?」「どうして、来てくれないのか」と人には厳しい言葉を残しながら、結局は自分もその場所を離れてしまう。人間だから仕方ないけれど、対人援助の場面ではハートは熱く、でも頭はクールにが基本だと思います。

ただ、このケースでひっかかったのは、彼が「医師が明日までもたない(日本語で)といっている」といったことでした。
次の日に、患者の家族から手術が成功したという電話が入るまで、実はドキドキしていました。医療者ではないので、治療は病院にまかせておけばいいのです。でももし何かあったら・・と思ってしまいます。ここで100%クールになりきれないところが、私にはまだ修行が足りないなあと思うところです。




ひと貯金

2006-05-24 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳研究会(MEDINT)の活動も4年目に入り、会員も100名を越えました。たくさんの方々に支えていただき感謝しています。最近はやっとNGO団体として認めてもらえるようになってきました。
活動を始める前も今も感じるのですが、ひとつの団体を継続するのは本当にしんどいことです。
物理的なしんどさではなくて、24時間団体の活動のことを考えてしまうのです。原稿の締め切りや講座の前の日には夢の中で予行演習までしています。締め切りに間に合わなかったり、パワーポイントが使えなかったり、講師(または受講者)が来なかったりという夢を見るのです(笑)。そのせいで、昨年は左眼の帯状疱疹までわずらってしまいました。それでもまだ考えることがあって、いつも自分の効率の悪さに自己嫌悪してしまいます。
随分、講師の先生方や他団体の方々に行き届かないことがあって、呆れられているなあと内心思っているのですが、この場を借りて謝っておきます。ごめんなさい。
そんなしんどい思いをしても、どうして活動を続けるかというと、この医療通訳の制度化という問題が社会的に意義のあることだという信念と「言いだしっぺ」の責任感が表の理由ですが、裏の理由として、素敵な人に会えるということがあります。
仕事を離れて、肩書きや年齢を無視して、同じテーマに取り組んでいく同士というのは、本当に何をおいても変えがたい宝です。医療通訳研究会を通して、そういう宝にたくさん出会いました。事務局長のIさんは、熱い思いは同じなのですが、とてもクールに物事を観察できます。彼女のいくつもの助言がなければ、医療通訳研究会はここまで続いてこなかったでしょう。副代表のAさんは、様々な医療通訳研究会の足りない部分を埋めてくれます。私が一番頼りにして甘えている存在かもしれません。
実は、まだまだ増える医療通訳研究会を通しての私の「ひと貯金」がとても楽しみなのです。

当事者は誰なのか

2006-05-17 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
なにかを始めるときに、それが誰のための活動なのかを考える必要があります。

私は若い時、開発途上国の食糧事情を改善したいと思い、農業を勉強しなおして青年海外協力隊に参加しました。出発する前は、そこにいる人々を「助けたい」と使命感に燃えていました。しかし、現地で活動するに従って、その国にはその国の食文化があり、食生活を改善するなどということは、とても一方的で傲慢なことであり、こちらが提示した野菜の中から彼らに好きなものを選んでもらっていくつかの野菜を定着させることができればいいと考えるようになりました。夏野菜30品目、冬野菜50品目を育て、料理教室で食べてもらって、最終的に彼らが選んでくれたのが青梗菜(ちんげんさい)でした。この活動では、志を持つなということではなく、志を人に押し付けるなということを学びました。

医療通訳の活動を立ち上げるに当たって一番悩んだのが、これが誰かのための活動であるならば、本当にその人々が欲している活動なのかということです。つまり、勝手な思い込みで当事者に善意の押し売りをしていないかと確認する必要があります。
医療通訳の制度がないことで一番困っているのはもちろん外国人当事者です。また、受け入れる医療機関も困っているでしょう。この二者がこの問題の当事者であることは明らかです。
しかし、在住外国人通訳をやっている通訳者も実は大変困っている当事者なのです。それは、目の前に通訳を必要とする事例があるにもかかわらず、同行するのに交通費すら補填されない、保証も何もない、でも見逃すわけにはいかないことがたくさん起こっているから。それに気づいて声をあげてくれる人があまりにも少ないから、通訳者も大変困っているのです。
また、私はこの仕事が好きです。在住外国人を支援する通訳がボランティアでなく、誇りを持って職業となることを願っています。2世・3世の子供たちが、自分のコミュニティのためにこの仕事を希望を持って選んでくれるような社会を作りたいと思います。
そのために、医療通訳研究会の活動では、医療通訳者の立場で発言していきます。誰かのためでなく、私たち医療通訳者がよりよい環境で、専門通訳に従事し、在住外国人に高いクオリティのサービスを提供できるようになるために。
外国人の皆さん、医療従事者の皆さん、一緒に声をあげていきましょう。

読めない不自由

2006-05-10 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ゴールデンウィークを利用してソウルへ行ってきました。
何度も行っているのですが、距離は沖縄より近いのに、とても遠いところへ行ったような気がします。
その理由のひとつに町の中の表記がハングルであるということがあげられます。
実際に韓国へ行ったことのある人ならばわかると思うのですが、観光客が行かないところは当然ながらハングル表記しかありません。英語やアルファベット表記は、地下鉄やホテル、観光地にはあっても、バスや街角や食堂にはありません。わからない文字と言葉の洪水の中で歩くのはとても心細いです。たまに英語表記があると、うれしくなります。
また、道に迷っていると、街の人たちが声をかけてくれる(親切なのかどうかもわからない?)のですが、その言葉すらわからないためにお礼も言えない状況が情けないです。
読めないということは、判断できない、自分で決められない、そして人にたずねることもできないのです。
10年ほど前、一人で大田まで出かけ、長距離バスターミナルへの行き方がわからず、3人のバス運転手に荷物のように次から次にバスに乗せられて、無事郊外のバスターミナルに着いたことがありました。小さな町はガイドブックにも掲載されていません。この時も、バスの行き先表示さえ読めれば、そんなに迷うことはなかったと思います。また、ハングルを読むのはそんなに難しいことではないといいます。次にくるとき少しは読めるようになりたいなあと思いました。
なぜ、文字の読める国でなくて、韓国とかタイとかに行くのか?それは、日本にいて文字が読めることに慣れてしまい、「もし読めなければ・・」という想像力を養うためのフィールドワークかもしれません。自分自身が読めない体験をすることで、読めないということがどういうことなのか想像できます。
私たちの周りにも漢字表記しかない案内がたくさんあります。それを見た非漢字圏から来た人々はどのように感じるか・・ソウルで少しだけわかったような気がします。


制度の通訳は難しい!

2006-05-03 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳は診察現場の通訳と考えられていますが、それ以外にも薬局や検査、受付や会計やソーシャルワーカーとの話し合いなどにも必要とされます。
先日、あるお母さんからの依頼で小児専門病院との電話を通訳しました。
お母さんは、都会から離れたところに住んでいて、近所に子供も少なく、小児科クリニックがないといいます。子供の発育のことで以前から悩んでいて、近所の人に相談したら、この都会の小児専門病院を紹介されました。お母さんは1日がかりでも、その専門の病院にいきたいと思い必死で頼んできたのです。
早速、その病院に電話したところ、紹介状が必要という説明を受けました。まずは、近隣の病院を受診して、そこで高度医療が必要だと判断された場合に、その専門病院への紹介状を書いてもらい受診するということでした。私たちにとっては、当たり前のシステムです。でも、それがなかなかお母さんに理解してもらえません。
「紹介状とはどのようなものか」「お金を出せばいいんですか」「子供が大変なのに、どうしてまず他の病院を受診しなければならないのか」「仕事を何日も休めないので、一日ですませたい」。
ただ、すぐに命に関わる症状ではないので、「きまりです」という説明で、それ以上は説明できませんでした。もちろん、病院からの説明以上に通訳者として付け足して説明するのはルール違反です。そこで、保健センターからできるだけ近隣の小児科をご紹介いただいてお母さんに納得してもらいました。
習慣や考え方の違いから、この制度の説明通訳は実はとても大変なのです。それは制度が「なぜ?」という質問に十分に答えられるものばかりではないから。特に、子供の診療の場合は顕著です。大人は我慢できるけれど、子供はかわいそうでという親心がでるのでしょう。
また、あまり日本に慣れていない人は、できるだけ大きな病院や大学病院がいいと思い込みがちです。でも、近所にかかりつけ医を作ることが実は大切なのだということを、理解して欲しいなと思います。