MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳者が当事者になる日

2016-04-27 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
外国人支援の活動をしていると
特に日本人の立場でやっていると
日常生活に戻れば、困ることがないので
いつでもやめることができるなあと思うことがあります。

それは、どこか傍観者であり
誰かのためにという視点であり、
自分という観点が抜けている活動です。

ただでさえ通訳者は
医療通訳だけをやっているわけではないので、
もっと楽しい通訳を、報酬の確保できる通訳をと考えるのは
当たり前のことです。

また、ボランティアであれば
次々に出てくる新しい課題に目が移ると
この活動をやめても困らない状況にあるために
医療通訳者は増えていかないのだと思います。

なぜ、それが医療通訳者の問題にならないかというと
医療通訳者の議論の中に
医療通訳者自身が当事者として位置づけられていないからです。

外国人医療において医療通訳は「道具」です。
はさみや包丁などの「道具」は意見を言いません。
自分の仕事をきちんとすることが第一です。
ですが、道具は使う人によって力を発揮したり
発揮できなかったりします。
「こうつかえばもっと便利なのに」
「こうつかえば道具は増えていくのに」というのは
実は道具である医療通訳者自身しかわからないことなのです。

医療通訳の議論において
今まで黒子であった医療通訳者を
当事者として位置づけていくことが次の段階にあると思っています。
「このままだと私は嫌だ」と言いませんか。

そろそろ、誰かが何とかしてくれるという待ちの姿勢をやめて、
医療通訳の当事者として一緒に声をあげていきませんか?

今年はそういう年にしたいと思います。

肺がんサバイバー

2016-04-20 21:19:33 | 通訳者のつぶやき
がん患者さんの通訳につくと、
長いつきあいになります。

治療も生活も生き方も仕事とのかかわり方も
みなさんそれぞれ違います。

今までは家族がいて、
患者と家族にきちんと通訳をつけて説明することで
どうしたいかということを決めることが多かったのですが、
最近は、患者以外にキーマンとなる家族がいないというケースも
少しずつ増えてきています。

母国には連絡したくない。
国に帰りたくない。
日本で治療したい。

バブルの終わりころ、
働き盛りで日本にやってきて
ずっと働き続けていた人が人生の半分を過ごした日本で
治療を受けたいという思いをもつのは不思議なことではないと思います。

海外では治療について様々な選択肢を出してもらって
自分で決めるのが一般的といわれています。
医師の説明は受けるけれど、
その選択肢の中から自分で決めるいうのは
日本人には少し苦手かも知れません。

最近では
拠点病院にがん専門相談窓口があって
看護師や社会福祉士といった専門職が
違った角度から患者に寄り添ってくれます。
とても心強い存在です。

私たち通訳者は
こうした場面では治療したり、相談にのったりはできません。
情報を正確に伝え、患者の希望をきちんとつなぐ。
文化の違いを埋めていくだけです。

ただ、治療方針を決める患者さんの選択に
心のなかはざわざわしても、
こういう生き方もあるのだなと思います。

先日、ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」を見ました。
映像を記録することが仕事の長谷川さんが
ご自分の肺がんの闘病生活を6年にわたって記録しています。
薬の名前、治療法・・・聞いたことのある単語もでてきます。

時には、医師のアドバイスを聞かない、
自分で納得がいくまで病院を回る、
外科手術をする、
自分で患者団体を立ち上げ、学会で請願をだす。
その前向きな闘病はある意味、誰でもできるものではないと思います。

末期がんだったAさんが
緩和ケアをすすめる医師に本気で怒っていたこと、
主治医をかえる通訳をしたことを思い出しながら見ました。

今週末、再放送があります。
深夜ですが、見逃した方は是非見てください。

ETV特集「肺がんサバイバー~余命宣告から6年 命の記録~」
4月23日(土)午前0時00分~午前1時00分
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259534/


金曜日の夜です。






医療通訳に必要な自治体の要件

2016-04-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
ちょっと前の話ですが、2月27日に岡山で開催された
日本国際保健医療学会に参加しました。

CHARMさんが日本の在住外国人医療についての報告をされるのを
聞きにいったのですが、
その中で地方自治体で医療通訳制度を作るには
どのような要因が必要かという質問がありました。
「在住外国人の数」か「首長の意識の高さ」かという質問でした。

「在住外国人の数」はやはり集住している都市であれば
病院で外国人患者を見かけることも多くなるでしょうし、
病院も外国人患者ケースをたくさん持っており、
医療通訳の必要性を理解してもらいやすいような気がします。

「首長の意識の高さ」ももちろん大切だと思います。
外国人に優しい都市は、いろんな人への配慮にも長けています。
住民としての外国人を大切にしてくれれば、
おのずと何に力を入れるべきかも理解してもらいやすいでしょう

それ以外に、「住民の意識の高さ」も重要だと思います。
通訳をやれる人がいても、
その人たちが医療通訳を選んでくれるかどうかは意識にかかっています。
医療通訳は楽しい通訳ではないけれど必要な通訳です。
その使命感でやってくれる人たちがたくさんいるということと
それを応援してくれる人がたくさんいるということも大切でしょう。

もっといえば、
外国人住民自身が声を上げられるようなシステムになっていること、
必要な施策について提案できるような場所があることも重要でしょう。
医療通訳が必要だと強く思っているのは病院以上に利用者たち本人なのですから。

ひとつの要素ではなく、
いろんな要素が重なって
必ずしも集住していない都市であっても
すばらしい医療通訳制度を実現しているところは日本の中にあります。

制度やシステムは「人」だと思います。

今年はできればそういう都市を訪ねて、
がんばっている人たちと議論したいと思っています。


ぶつぶつ・・・・

2016-04-06 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
基礎レベルの医療通訳は、
「予想できる内容の通訳」と書きましたが、
診療所やクリニックでの医療通訳が
簡単だというのは大きな誤解です。

原因不明の湿疹に苦しんでいるAさん。
皮膚科を転々としていますが、治りません。
自分の症状やいつから発疹がでているか、
持病の説明、
生活環境の説明、
服薬について、
その他もろもろ思い当たること・・・・。

同じ「ぶつぶつ」でも、
原因を特定するまでにいろんな聞き取りを行います。
医師は病気を特定するまでに、
問診を繰り返したり、薬を試してみたり・・・。
クリニックレベルでの医療通訳の内容は
多岐にわたる場合が多いと感じます。

逆に、紹介状を持っていく病院では、
とりあえず診療科と病気の目処はついています。

医療通訳の難しさは、場所ではなく場面によって違うのだなと思います。

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最近、苦労しているのは
知的障害とまではいかないけれど、
生活に家族や周りの援助が必要な人の通訳です。

本人に日本語で伝わらないだけでなく、
通訳をしても、伝わらない。
わかりやすく言っても伝わらない。

単身で来日している場合は、
この人のことを把握しているキーパーソンもいない。
情報がそれぞれバラバラで、
病気や生活や福祉サービスも分断しており、
把握できるのは本人だけという状況。

もちろん、通訳者も断片的にしか係わり合いがありません。

医師は通訳者に「薬出しときましょうか」と聞きます。
通訳者は本人に聞いてくださいとお願いします。
医師は通訳がいなければ「怖くて診察できないよ」といいます。
通訳者は医療の通訳ができる人は
平日昼間にそんなにごろごろ転がってないってと
心の中で思います。

誰も「この人」を把握していない。できない。
この状況での治療ははっきり言って本当に困難です。

ただ、このようなケースが増えてきているように思います。
医療通訳が「何も足さない」でよかった時代が懐かしく思えます。