MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

医療通訳は難しい

2012-05-28 16:02:20 | 通訳者のつぶやき
愛知県立大学の医療分野スペイン語・ポルトガル語の
今年度のサテライト講座がはじまりました。

私は長久手の外国語学部の特殊講義(前期・後期)とは別に
こちらの基礎講座を担当しているのですが、
年々、自分自身の医療通訳に対する理想が高くなっていくなと感じます。

ですので初級の方に医療通訳の心構えをお話しすると、
普通なら怖気づいてしまうと思います。
ただ、その中にだからこそ自分がやろうと思ってくださる人がいて、
そうした方が技術を磨いていい医療通訳になってくださると信じています。

通訳をやっている人たちは
自分たちの仕事に誇りを持っています。

日本ではコミュニティの通訳を専門職というより
ボランティアとして見る人が今でも多くて
私も昔はきちんと報酬を得てプロとして働いているのに
「ボランティア」と書かれて悔しい思いをしました。

外国人のお手伝い=良いこと=ボランティアの図式です。

でも、実際に通訳をされている方は
もっと技術を磨いて、
もっと必要とされる通訳者になりたいと願っています。

「ちょこっと簡単に、バイリンガルで(?)通訳してくれたらいいから」
というスタンスには、もういい加減にしてと言いたいです。

だから、私が医療通訳のお話をさせてもらう時は、
自分への戒めも含めて、
医療通訳の理想像をうんと高く設定します。

「皆さんがされる医療通訳という活動は
医療を受ける人権と人の命にかかわる仕事です。
気楽にやってくださいとはいいたくありません」
そんなメッセージを込めて講座をさせてもらっています。

そして自分自身も少しでも理想に近づけるように
意識しながら活動を続けています。
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外国人も通訳を選ぶ

2012-05-21 09:55:33 | 通訳者のつぶやき
先週の土曜日RINKの勉強会に行ってきました。
通訳・相談員の方に医療分野のお話をさせてもらったのですが、
休憩時間にある方に次のようなコメントをもらいました。
「医療通訳が外国人の基本的人権という考えははじめて聞いた。
自分が同行するときは外国人であるということで診療拒否をされることがある。」

先週も書きましたが、
医療通訳は患者の当たり前の権利です。
もし、医療通訳を使わずに問診の聞き取りをしたら
診断や治療に影響が出てきてしまいます。
だから、医療通訳は治療に絶対必要なものなのです。

外国人はかわいそうという発想でいると、
いつまでたっても医療通訳が根ずくことはありません。

最近気づいたことがあります。
それは通訳を頼むとき外国人が通訳をテストしていると感じることがあるのです。
簡単な医療単語をいって、
「これって日本語でなんていうの?」
「これってどういう症状なの?」
と、聞いてきます。
それに合格すれば実際に通訳をしてくださいという話になるのです。
中南米の日系人の場合、
日本に10年以上、長い人で20年以上住んでいます。
彼らの日本語は上達しており、生半可なレベルでは
直接日本語で医師と話したほうがいいという状況が出てきています。
医療通訳ボランティアにも優秀な方がいらっしゃいますが、
私たちもいつまでもボランティアの立場に甘えていると
彼らの必要レベルに達しない役に立たない通訳になってしまいます。

90年代、青年海外協力隊の帰国隊員によくボランティアをお願いしていました。
ですが、10年くらい前から彼らの2年間の語学経験より、
日本にいる外国人の日本語のほうが上回ると感じるケースが出てきました。
もちろん、日本に帰国してからも語学に磨きをかけて
通訳をやっている人たちもたくさんいますが、
2年間の海外経験だけでは、とても医療通訳はできません。

何でもいいからバイリンガルで通訳してほしいというレベルから
簡単なことは自分の日本語で十分間に合う。
よりレベルの高い通訳を求める状況にずいぶん前から移行してきています。

外国人は通訳を選びます。
それを誰が贅沢だと言えるでしょうか。
医療通訳には命がかかることもあるのです。



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PAZ Y JUSTICIA(平和と正義)

2012-05-14 10:15:25 | 通訳者のつぶやき
南米のパラグアイの国旗は世界でも珍しい
表と裏のデザインの違う国旗です。
ベースは赤、白、青の三色旗なのですが、
表面には国章、裏面にはライオンと文字が書かれています。
その文字が、

「PAZ Y JUSTICIA(平和と正義)」

成人男性の3分の2以上が死んだといわれる戦争を経た国だからこそ、
PAZ(平和)にかける思いは強いのかもしれません。

私の学問的ベースは政治学にあります。
そして、医療通訳を考えるとき、いつも基本としているのが
この平和と並ぶもうひとつの言葉、
JUSTICIA(正義)でありJUSTO(公正)という概念です。

同じように国民健康保険や社会保険に加入し、
日本社会の一員として貢献している外国人が、
病気になったとき、安心して医療が受けられないのはJUSTO(公正)ではない。
言葉の問題で治療が受けられないのであれば、
その言葉の問題を取り除くことが必要である。
だから外国人患者を特別扱いするのではなく、
普通に治療を受けられる環境を整えることが大切だ。

・・・という発想です。
医療通訳に対して特別なサービスと感じている人もいるかもしれませんが、
私にとっては「言葉のバリアを取り除く」にすぎないのです。
それ以上でもなく、それ以下でもない。

そのための「医療通訳」という道具を作ること。
自分自身がよい道具になること。
日本国内でこの道具をいつでも使える状態にすること。

きわめて単純な目標です。
でも、それがとても難しい。
医療通訳研究会(MEDINT)はまずは10年を目標にしてきました。
なのでここからはおまけの活動です。
どこまで活動を伸ばせるか、楽しみにしています。


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BYO通訳の注意点

2012-05-07 12:27:25 | 通訳者のつぶやき
4月の講座では、交流会の中で
オーストラリアの医療通訳者ローチェ・多恵子先生からいただいた
DVD「Working with interpreters」を鑑賞しました。

行政窓口や医療現場などでの
コミュニティ通訳の使い方のビデオなのですが、
悪い例がいくつか示されていて、どう悪いかみんなで考えます。

例えば、医者を置いといてクライアントと勝手に話をしてしまう通訳
レベルが低すぎて専門用語が訳せない通訳(これを通訳と呼ぶのか??)
通訳をせず自分の意見を話し始める通訳
家庭の事情が恥ずかしいので隠してしまう子どもの通訳など

この人たちを通訳と呼んでいいのかどうかの議論もありますが、
少なくともその現場で2言語できる人はその人だけなので、
とりあえずプロの通訳者と区別してBYO通訳と呼びます。
BYOはBring Your Ownの略で「持ち込み」の意味です。
オーストラリアではBYOのお店では好みのワインなどのお酒を持ち込みするため
そんな時によく使う単語です。

このビデオではどの通訳も問題を抱えているのですが、
外国人側が友人や家族を連れてくるので、
行政や病院などのユーザー側が通訳の質の管理ができないことが問題です。

日本でも同じような場面をよく見ます。
行政や病院は気軽に「通訳を連れてきてください」といいますが、
その人の利益や病状にかかわる通訳を
通訳レベルのわからない人にさせていいものなのかを考えてみてください。

BYO通訳はプロでないため、
通訳としての勉強をしていなかったり
専門用語に通じていなかったりします。
でも、現状ではコミュニティ通訳にお金が付くケースが少ないため、
こうした家族や知り合いが同行せざるを得ない場面が多いのです。
これは、専門職として市民や患者と向き合う人たちの当事者としての問題です。
自分の診断がきちんと患者に伝わらないことに
黙っていてもいいのかということです。

医療通訳の啓発にあたって、
医療通訳を使う病院の人たちに「頑張ってください」と
言われることがありますが、それは違うと思います。
頑張ってほしいのは医療者である方々のほうです。
医療の質を守るためには医療通訳の正確性は必須なのです。
質の管理のできる医療通訳者の存在が
医療機器や器具と同じように必要だということを
一緒に訴えてください。
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